【今回の記事】

【記事の概要】

我が家には、節分に限らず出てくる「鬼

 年に一度の節分の日、保育園や幼稚園によっては、鬼に扮した先生たちが頑張る日でもあります。鬼の姿を見た子どもたちが泣き叫び、鬼を追い払うために豆をまく様子はこの時期の風物詩でもあります。

 我が家では、3歳の息子が「どうしても」言うことを聞いてくれないときには、節分に限らず、鬼さんをエキストラ出演させます。
 公園に遊びに行き、「そろそろ帰ろう」と何度言っても帰らないとき……お買い物に行った先で「おもちゃがほしい!」と売り場から離れないとき……鬼は現れます。
 自分の意見を貫こうとがんばっている息子を横目に、「あれ?あ!鬼さんから電話だ!」と真っ暗な画面のスマホに目をやる私。息子は真顔になって、すぐさま言うことを聞いてくれます。効果てきめん過ぎて、逆に「鬼の何がそんなに怖いんだろう」と思ったりもします。

保育士の危惧「信頼感手放している
 都内の認可保育園の園長で、保育士の研修や子育て中の親のためのイベントを開催するNPO法人こども発達実践協議会の代表理事の河合清美さんは、「子どもを鬼でコントロールしたときには、同時に信頼感を手放しているかもしれないことを知っておくべきです」と話します。

(インタビュアー・以下同)鬼さんに頼って、子どもに何かをさせてしまうことに後ろめたさを感じています。
(河合さん・以下同)「鬼で子どもを『脅す』ときは、『子どもVS鬼と大人』の構造になっていますよね。『~すると鬼さん呼ぶよ』とか、『あ、鬼さんから電話だ』とかって言ってしまうと、大人が鬼の仲間のようになっています。日本の文化では多くの場合、人間にとって鬼は怖い存在なのに、親が一緒に鬼を怖がらなかったり、鬼をコントロールできちゃったりすると、そんなお父さんお母さんは、子どもにとってはむしろ鬼より怖いんじゃないかと思います」

――鬼と一緒に親も怖い存在になってしまう。
「そうです。その瞬間、子どもは言うことを聞くかもしれないけど、それと同時に、乳幼児期に得ておくべき『お母さんお父さんは、絶対味方をしてくれるんだ』という信頼感は、知らず知らずのうちに手放してしまっているかもしれません」

信頼感の根っこには受容された経験
――やはり乳幼児期の愛着関係というのはその後の子どもの人生にも響いていくのでしょうか。
乳幼児期の愛着関係、基本的信頼感というのはとても大切です。子どもが泣こうが怒ろうが、その行動を親や保育士など身近な大人に受容された体験の中で、『自分は自分でいい』という自己肯定感や他者への信頼感は培われていきます。そのような感覚の根っこには、一番身近な人に受容された体験があるというのは、概ねどの発達の研究者も言っていることです。だから、『脅す』という行為によって、子どもに『よく分からないけど不信感がある』という感覚をセットで(子どもに)与えてしまうことへの疑問符はどこかで持っていてほしいと思います」

鬼さん」を使っちゃいけないというわけではない
―親の中には鬼さんに頼らないと生活がまわらなくなってしまっている人もいるかもしれません。
「『鬼さんを使っちゃいけない』というわけではないんです。だって、朝急いで保育園に行かないと会社に遅れてしまう時とか、手っ取り早く言うことを聞いてほしい時があるじゃないですか。そんなとき、つい『鬼さん』が出てきてしまうのは、生活とのバランスの中で致し方ないと思います。推奨はできないけど、『ダメですよ』といってしまうと、親が苦しくなってしまう。ただ、子どもの中に不信感が芽生えてしまう可能性があるということをわかった上で、親が主体的に『関わり方を変えてみようかな』と思ってくれればいいかなと思います」

――その「関わり方を変える」が難しい。
「子どもを強い刺激でコントロールした場合、その刺激に子どもは慣れていくんですよね。それは、『外発的動機』だからです。外側にある怖さや褒美が動機だと、そのことで多少動かされますが、自分の中に動機があるわけではないので、そのうち慣れて、もっと強い刺激が必要になります。『良い子にしていないとサンタさん来ないよ』も同じです。外発的動機によるコントロールがエスカレートした結果、過去の日本では、体罰などに結びついてしまっている。つまり、子どもをコントロールするために強い刺激に頼る関係性に陥ってしまう可能性があるんです。『鬼が来るよ』も、その時点では虐待とは言わないかもしれないけど、方向性・手法としては同じで、構造は似ています」

公園から帰りたい…鬼に頼らないためには
―それを避けるためには外発的動機の逆、『内発的動機』を誘引しないといけないのですね。
例えば、うちの子どもは、公園遊びが楽しくなってしまって、親が帰りたい時間に帰れないことが多々あり、そんな時に鬼さんに頼ってしまっています。
「私は内発的動機、中でも自己決定を大事にしています。公園から帰るときの対策を、ロールプレイしてみましょう。『帰る』ことを自己決定するには時間のゆとりが必要です。まず、20分くらい前には『もうすぐ帰るよ』と声掛けを始めます。
親「なにが終わったら帰る?」
※「ブランコ終わったら帰ろうね」と言ってしまうと、自己決定にならない。せめて「なにが終わったら帰る?滑り台?ブランコ?」くらいにしておく。
子「ブランコが終わったら帰る」
※自己決定をしているので、ブランコが終わったら帰ることも。それでも帰らない時もあります。
子「まだ遊びたい」
親「そうだよね。まだ遊びたいよね。またここの公園、来る?」
※「まだ遊びたいじゃなくって帰るよ」などと否定しない。
子「うん!来る!」
親「楽しかったね。じゃあまた次の土曜日に来ようね」

「次いつ来るかを決められると、不思議なものでそれに満足して帰る気になるんです。もっと小さな自己決定で言えば、靴を履くという行為。履きたがらないことってありますよね。そんなときは『右の足からはく?左の足からはく?』という風に聞きます。すると、『こっち』と決めて、履いたりします。自分で決めたことだと嫌じゃないんですね」
 
【感想】
 節分の時期は過ぎましたが、「鬼」に限らず、「…に怒られるよ」と、親以上に子どもが恐れる存在を使って脅す養育はありがちなような気がします。記事中に挙げられている「良い子にしていないとサンタさん来ないよ」も同じです。


このような「脅し」以外にも、うっかりすると使ってしまいがちなNG言動については、本ブログ記事『“保育”における 子どもの脳を健全に育てる“言葉がけ”』で取り上げています。ご参照ください。
 つまり、本投稿のテーマは「子どものやる気を起こす(動機付けの)方法として、罰や脅しによる『外発的動機づけ』で行うか、子どもの興味・関心に基づく『内発的動機付け』で行うか」ということです。
 
   なお、この「外発的動機づけ」「内発的動機付け」については、以前投稿した記事(「「おどし育児」していませんか? 〜「外発的動機付け」 と「内発的動機付け」〜)でも取り上げていますが、あえて本記事を取り上げた最大の理由は、外発的動機付けを否定するだけでなく、「では、どうしたらいいか?」を具体的に紹介しているからです。
 
 記事中の実践例を振り返ってみましょう。
  1. ①まず、20分くらい前には「もうすぐ帰るよ」と声がけを始める
  2. ②「なにが終わったら帰る?」と子どもに遊ぶ内容を決めさせる
  3. ③(それでも帰らない時には)「そうだよね。まだ遊びたいよね。またここの公園来る?」と、子どもの気持ちを受け止め、次回も遊ぶことができる確認をする。
 
 ポイントは次のようになるでしょうか。
  1. ①「もうすぐ終わる」という“見通し”を与える
  2. ②「残りの時間、何をする?」と複数の行動から“自己選択”させる
  1. ③「(②まで収まらない場合)そうだよね。まだ遊びたいよね。またここの公園来る?」と、子どもの気持ちに“共感”し、次回も遊ぶことができるという“見通し”を与える。

     なおこの①では、「あと○分で終わりにしようね」と穏やかな口調で伝えることが大切です。「あと○分で終わりだよ」等の一方的な指示や命令は子どもの反発を招きます。

     ところで、この中の「自己選択(決定)」は、「イヤイヤ期」をはじめとして、幼児期と接する上でのキーワードになりますし、更には旦那さんに家事を頼むときにも有効(「洗濯か洗い物のどっちか手伝ってくれない?」)だと言います。このように、性別はもちろん世代を超えて老若男女に通用するのは、私達人間に「自分の意思を尊重されたい」と言う「尊重の欲求」があるからだと思います。

 さて、ここからは私の私見ですが、それでも続けようとする時には、上記のような“共感”と“(次回への)見通し”を確保するだけでなく、「約束は守るもの」という“教育”もするべきだと思います。例えば…
親「そうだよね。まだ遊びたいよね。またここの公園、来る?」
子「うん来たい!」
親「分かった。じゃあ今日は約束だからこれで帰ろうね。」
 
 子どもの気持ちの“受容”はもちろん大切ですが、それだけでは「甘やかし」だと思います。先ずは、受容によって子どもに安心感を与えた後は、社会のルールや常識も教えなければ、適切な教育はできないと思います。
 なお、この前者が母親による母性の働き(子どもの受容)、後者が父親の父性による働き(子どもの社会化)に当たるものだと思います。やはり母性と父性とのバランスが必要ですね。
 
“愛着”が与える基本的信頼感
「『鬼さんを使っちゃいけない』というわけではない」との指摘がありました。
 ただし、そのために大切な前提となるのが、記事中にも述べられている「乳幼児期に得ておくべき『お母さんお父さんは、絶対味方をしてくれるんだ』という信頼感」だと思います。
 このブログではこれまで何度となく、乳幼児期の養育によって形成される“愛着”(愛着形成の限界時期である1歳半以内が理想的)によって、子どもが養育者を信頼し、心の中に「安全基地」を築くことができることを紹介してきました。仮に、その時期に愛着が形成されなくても、その後の養育を望ましい形(例「安心7支援」)に変えることができれば安定した愛着に変えることができます。
 そのような親の愛情が根底にあれば、少々のことでは子どもとの愛の絆が切れることはないのですね。