最も大切な家族間の「愛着」
   家族は、私達にとって最も身近で大切な最小単位の社会集団です。外に出れば、大人は仕事で神経を使いストレスを抱えて帰ってきます。子どもも先生から注意されたり友達とけんかしたりして嫌な気持ちを引きずって帰ってきます。家庭は、そんな気持ちを癒やし、明日へのエネルギーを生み出す、いわば心の中の「安全基地」なのです。
   ところが、その家庭内の家族同士でも、言い争い、けんか、無視。そんなことばかりでは、家庭は「安全基地」どころか「危険基地」となってしまい、抱える不満とストレスはどんどん増えていく一方です。しかし、家出でもしない限り、家族の元には毎日必ず帰ってこなければなりません。その家族が、家族員それぞれにとっての「安全基地」としての機能を果たすためには、家族同士の「愛着(愛の絆)」が必要不可欠になるのです。
   さらに昨今では、家族間の絆が失われた為に、3組に1組の夫婦の離婚、家族内での暴力や殺傷事件、さらには「どうせ親に言っても分かってもらえないだろう」と思い込み、重大な悩み事を相談できずに自らの命を断つという事例さえも起きています。

人間同士の「愛着」を維持する会話
「家族間の『愛着』」を維持するためには、「愛着」を形成する為の愛情行為「愛着7」を家族が互いに心がけることが一番の近道です。しかし、スマートフォンやパーソナルゲーム機等が「一人に一台」規模で普及し、家族同士の会話自体が減っている現代においては、家族が同じように「愛着7」を意識することは容易な事ではありません。
 そこで、ここでは、どの家庭でも確実に「愛着」の維持ができる方法をご紹介します。その方法とは、家族同士の会話にあるルールを導入することです。そのルールとは、家族の誰かに何かして欲しい、または自分が何かしたいという事がある時に、その事を一方的に相手に要求するのではなく、「……してくれない?」「……してもいい?」と聞き、相手が「いいよ」と答えてくれたら、更に「ありがとう」と返す、というものです。そのルールについて、ここでは便宜上、「相手の気持ち確認ルール」とでも呼ぶことにしておきます。

“他者尊重”の意識が弱い子ども達
   ちなみに、学校での子どもたちの様子を見ていると、ある子どもが消しゴムを忘れてきたようなときに、「ちょっとかしてね」と何気なく隣の友達の消しゴムを手に取る子どもが多くいます。「いいよ」とも言っていないのに一方的に持っていかれた側としては、やはり面白くありません。結果的に、その相手の行為に不満を抱くことになるため、それがきっかけでトラブルになる場合も少なくありません。つまり、今の子ども達には「人に断る」という“他者尊重”の意識が弱い面が見られるのです。これも、他者との「愛着(愛の絆)」の弱さの表れなのかもしれません。このことは、子どもの“人間関係能力”にも悪影響を及ぼしかねない由々しき事態です。

“愛の絆”を育てる「尊重の欲求」と「承認の欲求」
   逆に、「ちょっとかしてね」ではなく「かりてもいい?」と相手に聞いて、相手から許可を得られれば、もめ事は起きませんし、相手から「いいよ」と言ってもらった時に「ありがとう」と返すことによって、両者の間に“尊重”(「かりてもいい?」という言葉で相手の気持ちを尊重すること)と“承認”(「いいよ」と快く貸してくれた友達の行いを「ありがとう」という言葉で承認すること)で築かれた温かい人間関係が生まれるのです。しかし、この方法は「愛着7」による行為ではありません。このことによって、なぜ人間同士の「愛着(愛の絆)」の形成・維持が図れるのでしょうか?
   心理学者A.マズローによれば、私達人間は、全ての人が「誰かと心の絆で繋がっていたい」という欲求(「所属・愛情の欲求」)を持っているとされています。それがいわゆる、「誰かと『愛着(愛の絆)』で繋がっていたい」という気持ちです。その欲求が満たされると、今度は「誰かから大切に思われたい」「誰かから認められたい」という、より高次の欲求を満たしたいと考えるようになります。この他者から「大切に思われたい」「認められたい」という気持ちがそれぞれ、「尊重されたい」「承認されたい」という気持ち(「承認・尊重の欲求」)です。
   ここからがポイントですが、ある高次の欲求が満たされると、その下位欲求も同時に満たされるのだそうです。つまり、誰かから、「借りてもいい?」という言葉によって自分の存在を無視することなく尊重された、「ありがとう」という言葉によって自分が許してあげた行為を承認された、という思いを抱くと、自動的にその下位欲求に当たる「だれかと心の絆で繋がっていたい(誰かと『愛着(愛の絆)』で繋がっていたい)」という欲求も満たされるというわけです。
   少し堅苦しい話になってしまいましたが、誰でも人から「ごめんね」と謝ってもらったり、「ありがとう」とお礼を言ってもらったりした時は、どこか温かい気持ちが沸き上がってくるのものです。と同時に、その相手に対して好印象を抱き、それが良好な人間関係に発展するということは、きっと誰もが経験したことがあるでしょう。

家族間の「相手の気持ち確認ルール」の実際
   例えば、家族でテレビを見ていて、誰かが別のチャンネルを見たいと思いました。その時、「チャンネル変えるよ!」と一方的に変えるのではなく、「チャンネル変えていい?」と他の家族に聞くのです。聞かれた者は、変えてもよければ「いいよ」と答える。聞いた者は「いい」と言ってもらったので、「ありがとう」と答えます。
   
また、食事の時でも、誰かがテーブルの上にあるお醤油入れに手が届かないので、近くにいる家族に取ってもらいたいと思いました。その時、お醤油入れの近くにいる家族に「醤油とって!」と一方的に頼むのではなく、「醤油とってもらえる?」と他の家族に聞くのです。聞かれた者はよければ「いいよ」と答え醤油を取ってあげる。聞いた者は醤油を取ってもらったので、「ありがとう」と返すのです。
 
 同様に、「お母さんおかわり!」ではなく、「お母さん、おかわりいい?」。「お母さん、明日6時に起こしてね」ではなく「明日6時に起こしてくれる?」。逆に、親も「新聞取ってきて」ではなく「新聞取ってきてくれる?」、「肩もんで」ではなく「肩もんでくれる?」等々。

   
ただし、聞かれた側の人間も、何かしらの都合があってその要求に応じることができない時もあるはずです。そういう時は、「ダメ!」というような冷たい言い方ではなく、「ごめん、……だから後でね」等のように丁寧に断ります。そのように丁寧に断ることは相手を尊重している行為になるので、断られた方も嫌な気持ちがしません。

毎日の習慣によってより強まる家族間の「愛着」
  
いかがですか?このルールを家族内で毎日習慣化することができたら、自ずと、相手を尊重する気持ちや相手に感謝する気持ちを日常生活の中のいろいろな場面で家族に伝えることができるのです。きっと家族内の「愛の絆(愛着)」は維持されるどころか、より強く太くなるに違いありません。
   ただし、一番理想的なのは、家族同士で会話するときは、相手を見て、嫌そうな表情をせずに(微笑んで)、優しい言葉遣いで語り、相手の話をよく聞く、等の「愛着7」による愛情行為で接することであることは言うまでもありませんが…。