幼い頃に十分な養育を受けることができなかった人は、安定した「愛着」を頼りにした生き方ができないために、安定した「愛着」を獲得した人に比べて、様々な面で十分な力を身に付けることができません。「愛着」はどんな力を育むのでしょうか?今回も精神科医の岡田尊司氏の文献を基に紹介します。

○「人間関係能力」を育む
「愛着」が子どもに育む力の中で最も大切なものは何でしょうか。それは、将来にわたって人間社会の中で生きていく能力、いわば社会適応能力、俗にいう「社会性」です。「愛着」は、更にその中でも最も大切な「人間関係能力」を育みます。幼い頃に母親との間に「愛着」を形成するということは、「自分が危機に陥った時に救ってくれる人がいる」という他者への信頼感を子どもが獲得するということです。この「他者を信頼できる気持ち」、それこそが、他者を“良き存在”“、良き仲間”と思える人間関係能力の根幹をなすものです。
  この人間関係能力が育まれないと、学校では友人関係面で、就職後は職場での人間関係面でトラブルを抱えることになります。

人間社会は“集団生活社会”ですから、この力が十分でないと、“社会”という枠組みから放出されて、“家の中”に閉じこもって生きていくしか道はなくなります。特に職場から放出されてしまうと、それがそのまま無収入生活を余儀なくされることになります。つまり「愛着」を形成できるか否かは、その人の生死に関わる問題に直結する問題なのです。

○「自制心」を育む
「愛着」は、特に人間関係能力を育む、というお話をしました。
「愛着」が安定し人間関係能力に長けた人は、たとえ“怒り”を覚えたとしても、それを「自分の身を守るため」「対人関係を見直すため」といった目的のはっきりした理性的な行動として表し、人間関係を維持することができます。ところが、「愛着」が不安定で人間関係能力が不足している人の場合、「怒り」という本能的な感情がそのまま暴走し、更に事態を悪化させたり知人との関係を破綻させたりしてしまいます。
   このように、人は「愛着」を土台にして、感情をコントロールして理性的に行動する「自制心」を身に付けていくのです。いわゆる本能的な感情を“我慢する”力を身に付けていくのです。

○「知能」の向上をもたらす
「愛着」が不安定な子どもの「身体面」の特徴として、年齢相応な身体の発達が未熟で小柄な子が多いことが挙げられています。なぜでしょうか。「愛着」が不安定な人は、ストレスを緩和する「安全基地」の機能が不十分です。「ストレスは万病の元」という諺がある通り、「愛着」の不安定さは、身体の健全な成長にも悪影響を及ぼすのです。それは当然、脳の発達についても同様です。
   実際に、深刻なネグレクトを受けた子どもの頭の回りの長さ、つまり“脳みそ”自体の大きさが、平均よりも小さいのだそうです。また、イギリスで行われたある研究では、母親との「愛着」が安定型のグループの子どもと不安定型のグループの子どもとの知能指数を比べたところ、安定型のグループの子どもの方が平均で19ポイントも高かったそうです。
   さらに最近の研究では、親の厳しい体罰により、の前頭前野(社会生活をする上で非常に重要な脳の部位)の容積が19.1%減少し、言葉の暴力により聴覚野(声や音を知覚する脳の部位)が変形することや、親によるDVを目撃してきた子どもでは脳の視覚野が小さくなる影響があるとし、暴言DVを目撃した方が、身体的DVの目撃より6倍も脳に悪影響を及ぼすことが明らかになっています。

○「自立性」を育む
  母親との間に「愛着」を形成した子どもは、自分を危険から守ってくれる、母親という「安全基地」を獲得します。「安全基地」を獲得した子どもは、いざという時には“そこ”に逃げ込めばいいということが分かっているので、安心して自分だけで様々な“探索行動(「初めて見るものに触ってみる」「興味のある物に近づいてみる」等)”を行うことができます。つまり、それが「自立性」の“種”となるのです。反対に、母親との「愛着」を形成せず「安全基地」を持たない子どもは、自分に危険が迫った時にそれを回避する術を持たないため、怖くて自分から進んで“探索行動”ができず「自立性」を獲得することができないのです。

○「精神的・身体的健康」に影響する
「愛着」が不安定な人は、ストレスを癒やす「安全基地」の働きが十分ではないので、ストレスに対して過敏で、うつ病などの精神疾患に結びつきやすいと言われています。更に、ストレスの多い生活が続くと、動脈硬化や高血圧、糖尿病などの生活習慣病をもたらすことは、今では多くの人が知るところです。反対に、「愛着」が安定している人では、同じようなストレスを受けても、ストレスホルモンの分泌が少なく自律神経系の反応も穏やかであることが医学的に分かっています。ストレスと関連した心身症や様々な体の病気は、「愛着」が不安定な人に起きやすいのです。

○特に「成人後の異性関係」や「子育て」に影響する
「愛着」が大きく影響するのは、その人が大人になってからの性行動や子育てだそうです。ある実験によると、母ザルに育てられなかった子ザルは、正常な異性愛を発達させれないことが少なくないそうです。この問題は、人間の場合には、主に“虐待”や“非婚化”、更には“セックスレス”といった現象となって現れるそうです。
   母ザルに育てられなかった子ザルと同様に、乳幼児期に親からあまり構ってもらえなかった人は、他人との交流を避けがちで、異性関係においても、恋愛対象との“絆”を何としても守ろうとする意志が弱い傾向にあります。そのため、大人になって結婚適齢期になったときに、異性に対しても積極的に関わることができず、結婚というハードルを越そうとする意欲が湧かなくなってしまうのでしょう。更に、結婚をしたとしても「愛着不全」が招く“人格の不安定さ”が夫婦関係の維持を妨げ、今や3組に1組の夫婦が離婚すると言われています。
   日本は今、「少子化」という深刻な問題を抱えています。内閣府は、今後もこの問題に拍車がかかるようであれば、約30年後には税収の極端な落ち込みから、社会インフラが崩壊した社会が待っているという最悪のシナリオさえ試算しています。その問題を根本から解決できるのは、安定した「愛着」の形成であり、今こそ私たちは「愛着」の考え方に注目しなければならない時を迎えているのです。

○薬物やアルコールなどの“依存症”にも影響する
「愛着」が不安定なために、本来困った時に自分を癒してくれるはずの「安全基地」を持たない人は、手近に得られる“代わりのもの”に依存してしまいやすい傾向があります。手っ取り早い方法で自分を慰めてストレスを軽減させようとするのです。食事や買い物、アルコールや薬物といったものは、その代表的な例だと言えるでしょう。また、不安定な対人関係や恋愛に次々のめり込むことも多いようです。それによって、激しい刺激や瞬間的な満足を得ることで、束の間でも不安な気持ちを忘れようとするのです。
   事実、アルコール依存症や薬物依存症の人達を調べたところ、高い割合で、不安定な「愛着」タイプを示していたとのことです。つまり子供の頃に、放任だったり、否定的な扱いを受け続けたり、過干渉だったり、過保護だったり、虐待されたりするような不安定な環境で育った子供は、母親を「安全基地」と見なせないので、それに代わるものにすがるしかないのです。
   また、ギャンブルや見境のないセックス、ネットゲームやチャットといった行為に依存する場合もあります。万引きが癖になってしまい、そこから得られる快感に依存してしまうのです。もちろん、ギャンブルやネットに依存しやすい人にも、不安定な「愛着」のために親子関係がギクシャクしていたり冷淡だったりする傾向が見られます。