【今回の記事】

【記事の概要】
   ある男の子・リュウ太君には、こんな困った特徴がありました。
落ち着きがない
危険な遊びが大好き
物を失くしやすい

   余りにも物を失くすので、お母さんは無くしやすい物を一つにまとめる以下のような道具入れを用意したそうです。

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   しかし、そんなお母さんの工夫も虚しく、男の子の忘れ物は一向に減る様子は見られませんでした。
   旦那さんからは、「お前が甘やかすからだ!」と言われていたので、お母さんは、この子には、もっと軍隊的に厳しい躾が必要なのかもしれない」と思い、息子さんに対して、正に上記の漫画のように怒りまくっていたそうです。
   しかし、いくら注意しても、息子さんの行動はが改まることはありませんでした。とにかく何につけても親の言葉を聞きません。聞かないというか、どうも忘れてしまうらしいのです。たとえば注意事項を言うにあたって、大事なことだから絶対にこうしてネ!念を押して伝えると、息子さんは、「うんわかった!」といい返事をするのですが、数秒後……、いえ次の瞬間には忘れてしまいます。ただ返事をしただけで、もしかしたら本当は、話自体聞いてないようにも思えます。大きくなってから息子さんに、話を聞いていたのかどうなのか、尋ねてみたところ、楽しいことや次にやりたいことが頭の中を占めているときは、話の内容が全く入ってこないんだよねだそうです。

   しかしその後、児童教育相談所や児童精神科を受診したところ、正式にADHDと診断され、次のような接し方を提案されたそうです。
褒めて育てる
毎日充分なスキンシップをとる
一緒に遊ぶ
これらの方法を行っていると、お母さんは息子さんの“やらかし”を少し許せるようになってきたそうです。普段は「私を困らせる厄介な子!」と見ていましたが、穏やかな時間があれば息子さんはイライラしないし、褒められて嬉しいときは調子のいい時間が長く続くし、「本当は素直で普通の子だな~」と気がつく事が出来たそうです。結果的に「上手な子育て=軍隊的な厳しい躾」ではない事も分かったそうです。(詳細は上記【今回の記事】参照)

【感想】
「自閉症」は今では「自閉症“スペクトラム”障害」と呼ばれています。「スペクトラム」とは“連続性”という意味で、重篤な自閉症者から健常者まで症状の軽重はあっても連続している、つまり誰もが大なり小なり自閉症の傾向は持っており、障害と診断された人だけが特別なのではないということです。
   同様に、「物を失くす」「物を忘れる」こういう症状も、ADHDと診断された人に限ったことではなく、程度の差はあっても誰にでも見られることです。上記記事で児童教育相談所や児童精神科から提案された「褒めて育てる」「毎日充分なスキンシップをとる」「一緒に遊ぶ」という養育方法を見ても、何ら特別な方法ではありません。ですから、「自閉症スペクトラム」と同様に、「ADHDスペクトラム」とでも呼ぶべき症状なのではないかと私は思います。
   ちなみに、上記の「褒める」と「スキンシップ」は「愛着7」の中の愛情行為ですし、「一緒に遊ぶ」は、「愛着7」の中の②〜⑥の愛情行為が全て行われやすいものです。適切愛情行為適切に行うことが「ADHD」の症状の緩和に繋がるのです。

   これらの事から分かることは、「物を失くす」や「物を忘れる」を減らすための工夫は、誰であっても必要だということです。
   次の日の持ち物が担任から知らされ連絡帳にメモをする帰りの会の時は、記事中の男の子が「楽しいことや次にやりたいことが頭の中を占めているときは、話の内容が全く入ってこないんだよね」と言うのと同じように、多くの子供達の頭の中は「早く帰りたい」「早く友達と遊びたい」という思いで一杯になっているので、ただでさえメモがないがしろになりがちです。
   そんな状況下で、人より忘れ物が多い子供に忘れ物をさせないようにする為には、何らかの工夫が必要です。例えば、上記の事例で言えば、前の日のうちに連絡帳に「道具入れを入れる」と書かせておくとか、道具入れを持って帰る事を思い出せるように、ランドセルの蓋を開けた時に目立つ所に赤いテープを貼って油性マジックで「道具入れを持って帰る」と書いておく等の“(外部情報の8割を取り入れると言われる)視覚”を利用した工夫です。とにかく、前日の夜や当日の朝にどんなに口頭で伝えても、学校から帰る頃には忘れているのが子供なのです。

   今回の記事で最も大切なことは、感覚過敏の「自閉症スペクトラム障害」と同様に、ADHDの子供であっても、発達障害の子供に対しての「軍隊的な厳しい躾」はタブーだということです。その点についての正しい理解がなされていなかったが為に起きたのが、発達障害が疑われていた生徒の性格や行動の特性、気持ちを理解しないまま、担任が大声で叱責し生徒を自殺に追い込んだ福井県の中学校での事件だったのです。
  “穏やかで共感的な指導”が「特別支援教育(発達障害の子供は通常学級にもいると考える指導)」本来の指導です。事ある毎に“大声で子供を叱責する指導”は、平成18年度まで行われていた「特殊教育(障害者は特殊学級にしかいないと考える指導)」の残骸なのです。

   発達障害がスペクトラム性(誰もが持っているという意味での“連続性”)を持っているならば、“大声で叱責する”養育が健常児と思われている子供達に対しても悪影響を及ぼすだろうという事は想像に難くありません。それ以前に、暴言などの厳しい叱責は障害の有無に関わらず、子供の脳の発達に対して悪影響を及ぼすことが分かっています。つまり、「穏やかで共感的な養育」は、どの家庭においても必要な接し方であるということが言えると考えます。