【今回の記事】

【記事の概要】
   沖縄県豊見城市内の認可外保育園「えがお保育園」で7月末、臨床心理士の屋良りかさん(40)による子育て相談会が開かれた。
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   3歳と小学校2年、3年の3人の娘の母親でもある屋良さんは、臨床心理士として12年のキャリアを持つ。仕事を通して感じたのは「大人になって生きづらさを抱えた人は、幼いころ親の子育て傷つけられた経験が多い」ということだ。
   子どもを叱るのは、基本的に「チャイルドシートに座らないなど自分の命に関わるときや、人を傷つけるなど相手の命に関わる行為をしたときだけそれ以外は『暴力』や『暴言』にあたることを知ってほしい」と屋良さん。
   言葉や体罰で「叱る」行為を受け続けると、「人はいつか無意識に暴力の加害者、被害者のどちらにもなり得る。自分も幼いときに親にされたから、当然(自分も)たたいたり怒鳴ったりしていいと思ってはいないか」と投げかけ、子どもがやんちゃな行為をした時には「これって怒ることかな、とその都度立ち止まって。違う対応方法を教えることを心がけて」と語った。
 テストの点数やいい行いをした時など条件をつけてほめるのではなく、「無条件にありのままの本人を愛してあげることが大事」と説く。「何があってもわが子の味方になる、信じて見守ってあげて」といい、親自身が間違えに気付いたときには「必ず謝ることで、親子の信頼関係が築ける」と付け加えた。
 言うこと聞かなかったら夕ご飯抜きだよ」「片付けなかったら遊びに連れて行かないよ」。子どもに向けたこれらの言葉は「脅し」や「」にあたり、親の子に対する「支配」でもあると指摘する。「一瞬は効果があっても、いつか周りの人を同じように支配する感情が生まれる」と注意を促した。
   
【感想】
   記事中の屋良氏の指摘を項目毎に考えてみたいと思います。
①「子供を“叱る”のは自分の命に関わるときや、人を傷つけるなど相手の命に関わる行為をしたときだけ」について
   屋良氏は「子どもがやんちゃな行為をした時には『これって“怒る”ことかな?その都度立ち止まって。」とも指摘しています。このように、記事中では、「叱る」と「怒る」とが同じような使われ方をしているので、屋良氏は「叱る」と「怒る」とを同義と捉えているように思われます。
   しかし、本来「叱る」と「怒る」とは言葉が違うので当然意味も異なります。因みに、私は「叱る」とは「理性的に注意する」、「怒る」とは「感情的に注意する」いう意味で捉えています。
   確かに感情的になって怒っていては、屋良氏の言う通り、子供にとっては「暴力」や「暴言」として受け止められ、時として成人後まで心の傷を引きずることもあるでしょう。しかし、子供を育てる上では「叱る理性的に注意する」という行為はどうしても必要だと思います。子供の問題行動は「手伝いを怠ける」「人に嘘をつく」等のように自他の“命”に関わらないことの方が多いですから、そういう時も叱らないということになれば、子供の心に緩みが生まれるような気がします。
   しかし、“命”に関わらない場合に「叱る」時でも、子供が何らかの失敗をするたびに毎回叱っていては、子供は萎縮し、叱られないようにいつも大人の顔色を伺って生活することになるでしょう。
   以前、このブログでもお話ししましたが、子供は必ず失敗をする生き物です。その失敗をある程度は許容してあげないと、子供は失敗したことを隠したりをついたりするようになります。時に、自分に怪我や命の危険が迫っていても、親から叱られたくないためにそのことを親に伝えることができず「あわや!」と言う状況に追い込まれることもあります。(「長男の「忘れ物」に立腹 顔面を蹴り大怪我させた母〜子供の失敗にどう対応するか?〜」参照)
   その時に大切になるのが、叱る」ときの“基準です。失敗するたびに叱られるのではなく、「どういう場合に叱られるか」という見通しとなる基準を作ることです。私でしたら、「仏の顔も三度まで」と言う諺に従い、「3回の失敗までは許すけれどもそれでも直らない時は叱る(但し、本人が一生懸命努力しても治らない場合は叱らず、原因を一緒に考える」と決めています。と同時に、その基準を子供に予告しておきます。そのメリットは2つあります。詳しくは上記記事(「長男の…」)をご参照ください。

②「無条件にありのままの本人を愛してあげることが大事」について
   この事は大切です。条件をクリアした時だけ褒められ、クリアできなかった時に叱られていると、子供は親から褒められるように、叱られないように、一生懸命条件をクリアしようとします。しかしそういう経験を繰り返していると、いつの間にか、無意識の内に親にとっての“いい子”を演じ、自分の意思で決定できなくなるいい子症候群」に陥る危険性もあります。そうならないためには、たとえ子供が失敗した時でも親の愛を伝えるを持っている必要があります。そうすれば、子供は失敗を恐れることなく、成功するいい子を演じる必要が無くなるのです。このことについては以下の記事を参照ください。

③「何があってもわが子の味方になる、信じて見守ってあげて」について
   このことについては、いくら「お母さんはいつでもあなたの味方だよ」という美辞麗句を並べても、普段の子供への接し方が否定的であれば、子供は親を自分の味方とは認識できません。子供が親を自分の味方と認識するためには、親子の間に「愛着心の絆)」が形成されている必要があります。つまり普段から子供との間に愛着を形成するための愛情行為(「愛着7」等)を行っている必要があるのです。

④「子に対する親の「支配」に当たる「脅し」や「罰」は使わないことについて
言うこと聞かなかったら夕ご飯抜きだよ」「片付けなかったら遊びに連れて行かないよ」という親の「支配」による脅し」や「」はやはり極力避けるべきだと思います。これらの指導を続けいると、子供に「どうせただの脅し」と見抜かれたり、子供が当初の「罰」に慣れてしまったりします。そうなると、力で子供を支配する習慣が身に付いてしまっている親は、「脅し」や「」の“レベル”を上げようとします。そうすると最後には、昨年、他人の車に石を投げた小学生の息子を両親が「罰」として山林に置き去りにし、結果的に子供が一時行方不明になったというあのような事例が起きるのです。
   また、“感覚過敏”を特性とする自閉症スペクトラム障害(ASD)の傾向は大なり小なり誰でも持っているという事は以前から紹介してきましたが、特にこの感覚過敏であるASD傾向が強い子供(失敗した時のリアクションがオーバー、生真面目、人見知り、未体験の事に不安を感じやすい子供等)にとって「脅し」は冗談では済まされない過度の緊張を伴う深刻な事態になるのです。また、ASD傾向が強い子供は、筋が通っている場面に対して安心感を持っています。そのため、失敗した行為とは無関係の「罰」を行使する大人に対して不信感を抱く事があるので、注意が必要です。

⑤「親自身が間違えに気付いたときには必ず謝る」について
   この事は言わずもがなでしょう。失敗を謝らない親の前では、子供は内心では、「自分が失敗をした時にはいつも『ごめんなさいは?』と言うくせに」と不信感を抱き、場合によっては、親子間の「愛着(愛の絆)」にヒビが入るかもしれません。