靖国を想う 前編 | 果てなき旅路

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日本時間の12日閉幕した「パリ オリンピック」で日本選手団は、海外で行われた大会としてはともに過去最多となる金メダル20個、メダル総数45個を獲得しました。



我々が日本人であれば、祖国の代表選手を応援し、祖国のメダルに歓喜するのは、当たり前の事ですが、それはオリンピックに限らず、ワールドカップやWBCも同様に、それは我々日本人の祖国が日本であるからに他なりません。



表彰式などで「君が代」が流れ、「日の丸」が掲げられると感動する人が多いのは、言うまでもなく、我々には日本人の血が流れているからです。



つまり我々は、「日本国」に暮らす日本人であって、同じ民族の日本人を応援すると言うロジックは、至極当たり前の事であり、とりわけ、深く考えることではないことでしょう。



けれども「君が代」「日の丸」は、オリンピックなどでは、日本選手の活躍を示し感動を呼ぶのですが、かつての軍国主義の象徴として抵抗を抱く人もいるのもまた、現実的な問題でもあります。





ナショナリズムと言うワードがあります。



ナショナリズムとは、日本語では「国家主義」「国民主義」「民族主義」と訳されています。 



自国の文化や歴史、政治体制を誇り、国内的にはその統一を図り、国外的にはその独立性を維持し強化しようとする動きです。  



ナショナリズムが強調され、国家元首への敬礼や国旗・国歌への拝礼が強要されるようになると…



国家利益が優先されて、国民の人権や自由は奪われ、政治においては議会や政党は否定されるか、あっても一党独裁のもとで形骸化して民主主義は行われなくなります。



いわゆる、「ファシズム国家」と言うものが形成されていくことになるのです。



ファシズムとは、日本語で全体主義と訳されるのですが、端的に言えば、「個々を犠牲にし、全体の目的のために生きよ」という意味です。



自らを犠牲にし、国家全体の目的遂行のために生きること。



因みに、ファシズムの語源は、イタリアのファシスト党からきています。



イタリア王国の中の一政党にすぎなかったファシスト党、この党にムッソリーニという男がいました。



ファシズムは、このムッソリーニによって生みだされた考え方です。



ファシズムと言うと、ドイツのヒトラーが頭に浮かぶ人がほとんどではないでしょうか。



しかしながら、実はヒトラーはムッソリーニの影響を受けてファシズム化していった人物なのです。



第二次世界大戦が開戦となる前、経済的にも軍事的にも窮地に立たされていたドイツとイタリア。



ファシズムとは、ドイツとイタリアが第二次世界大戦を戦い抜くうえで、なくてはならない思想だったのです。



国家総動員で立ち向かわなければ勝てない相手とは、それがアメリカやイギリス、フランスだったのです。



第一次世界大戦で敗戦国となったドイツ。



ドイツは、第一次世界大戦後、海外に持つ植民地を全て失いました。



さらに、破格の賠償金(1320億マルク)の支払い義務を負うことになり、軍備の大幅な制限も課されました。

※現在の日本円で約200兆円とも試算されていて、ドイツが返せるわけがない天文学的数字でした。



そもそも、ドイツ国民に絶望をたたきつけたのがヴェルサイユ条約。



第一次世界大戦は、1919年のヴェルサイユ条約をもって終結となりました。



そこから僅かに、20年で第二次世界大戦が勃発しました。



第二次世界大戦は、世界約60か国を巻き込んだ戦争であり、その戦死者は民間人も含めて、5000万人以上と言われています。



この第二次世界大戦が起きた背景には、ヴェルサイユ条約への不満、そして世界恐慌があります。



ドイツは賠償金の問題、さらに、開戦当初のイタリアは、ドイツおよびオーストリア=ハンガリー帝国と三国同盟を締結していたのですが…



未回収のイタリアを巡ってオーストリアと対立していたため、英仏とロンドン密約を結んで連合国側で参戦、戦勝国となりながらも、依然として、イタリアは領土問題を抱えていました。



そして両者に共通するのは、世界恐慌から発生した失業者問題があります。



そこからファシズムの台頭が始まります。



日本もまた、世界恐慌により、満州へと進出した背景があります。



国際連盟の脱退、ファシズム化、恐慌対策など、これらの共通の問題、思想を持ったドイツ、イタリア、日本が手を組むのは、ある意味、必然的なことでした。



もちろんの事、私個人的には、戦争を擁護する気は全くありません。



しかしながら、当時は戦いに向かわざるを得なかった状況が、少なからずあったことは確かです。



歴史の流れを理解する上では、原因と結果を冷静に分析することが重要です。



戦争について語られる時、その際に強調されるのが戦争の悲惨さ。



確かに、戦争は悲惨であり、多くの人々が悲しんだことは歴史的な事実であり、そこに嘘はありません。



何だか難しい話になってしまいましたが、端的に言えば、戦前は国家が国民を扇動し、ナショナリズムを高揚させ、戦時下への体制を確立…



やがて、多大な犠牲を払うこととなりました。





!? 多少前置きが長くなりましたが、今回テーマとして取り上げたいのが…



「靖国神社」



九段の坂を上り、皇居を囲う千鳥ヶ淵を眺め、日本武道館を過ぎ、歩道橋を渡ると、天空へと垂直に伸びる第一鳥居へ。



しばらく緩やかに傾斜し、圧倒的な広がりを見せる参道を進むと、大村益次郎の銅像を仰ぎ…



第二鳥居抜けると神門、さらに、春には美しい桜を咲かせる並木道を歩くと中門鳥居へと導かれ、大きな拝殿を観ることが出来ます。



「靖国」という名を冠した神社…



厳かな造りにおいて、大きな「菊の御紋」を配した拝殿には、ただこれまでの神社とは違う趣が感じられます。



各地の神社では、その由来とともにその土地と日本の遥かに古い歴史を知り、霊験あらたかなる境内の風景に心を洗い、参拝するわけです。が…



「靖国神社」が、1869(明治2)年に創建され、150年の月日が流れましたが、日本の国土ができてからを考えれば…



実にわずかながらの歴史でありながら、様々な議論を残す存在であるのは確かなことです。



その議論とは、日本における「戦争責任の所在」あるいは、その戦争そのものをどう観るかという「歴史認識」についてが、主に挙げられる論点ではないでしょうか。



中曽根内閣において、端を発した首相の靖国参拝問題が、小泉首相参拝の際には、より大きくクローズアップされ、隣国からの懸念とその表明によって、国内でも様々な議論がなされることとなりました。



こうした場合、「隣国の反応によって取りやめるべきでない」「国のために身を捧げた靖国の御霊を祀るのは当然」といった意見がある一方で…



「周辺諸国の感情を踏まえて首相が参拝すべきでない」「軍国主義者が合祀された神社に首相が参拝するべきではない」といった意見が対立することになります。



日本が繰り広げた戦争が、とりわけ、満州事変以降において「侵略戦争」だったのか、あるいは「自衛戦争」の一環であったのか…



その当時の日本は、欧米の植民地政策に唯一対抗しうるアジアの国であったことも事実であるし、天皇主権という憲法の下、軍国主義と指摘される状況に陥っていったことは、確かな事だったのでしょう。



しかしながら、ここで重要となるのは、そういった歴史を経てきた現在の日本が、次の世代に対して、平和と繁栄へと向かう建設的な道筋を立てていけるのかどうか。



これは私が大学生当時に、近現代史を学んでいた頃からの大きな課題なのですが…

 


そういった意味において、まさに明治時代に近代国家として日本が生まれて以来の「靖国神社」に対し、その歴史から見出せるものは何か…



それによって、これからの日本がどう過去を理解し、現在から次の世代へと守っていくものは何かが見えてくるではないでしょうか。

 

 



では、そもそも、靖国神社とははてなマークはてなマーク



「靖国神社」というと、戦没者を祀った特別な国家的神社かのような感覚で見られることが多いのですが…



戦前はともかくも、戦後の現在は靖国神社は国家の公的な施設などではなく、基本的にはあくまで一つの神社、一つの宗教法人に過ぎません。



ただ、戦前においては靖国神社は天皇崇拝、軍国主義礼讃の象徴としての位置づけが余りにも大きく、そしてそれを現在まで遺族会等を中心として精神的に受け継いでいるとも言えます。



この靖国神社は、1868(明治2)年に明治天皇の命により、明治維新前後、国のために戦った人々を祀るために創られました。



当初は「東京招魂社」と呼ばれていましたが、1878(明治12)年に現在の靖国神社に改称されました。



以後、主に外国との戦争において国を守るために亡くなった人達を祀る神社として位置づけられ、第二次世界大戦までの約250万人近い人達がここに祀られており…



長い間、そして今も「靖国神社に祀られることが大きな栄誉」と受け止められてきました。



ではなぜ、靖国神社が問題視されるのかはてなマークはてなマーク



靖国神社が問題視される一つには、戦前、この靖国神社が、天皇のために戦うこと…



そして前述をしましたが、戦死した時には、靖国神社に英霊として祀られることが何よりの栄誉と徹底的に教え込まれ、沢山の人達が亡くなっていったからです。



靖国神社は、戦前において、この天皇崇拝を基礎とした軍国主義のシンボル的な存在であったと言えるからです。



そして、隣国等が特に問題視するのは、一般戦没者と共にここにA級戦犯が一緒に祀られている(合祀)ことからです。



A級戦犯というのは、第2次大戦における戦争責任を追及した「極東国際軍事裁判」、いわゆる「東京裁判」と呼ばれる裁判によって、最も戦争責任が重いとされた14人の日本人戦犯を指します。



このA級戦犯もこの靖国神社に祀られていることから、隣国にとっては、靖国神社はかつての日本軍国主義のシンボルであった共に…



今もその最大の戦争責任者を祀る、近隣諸国にとっては憎しみの対象とも言うべきA級戦犯を祀った忌まわしい施設なのです。



ここで詳しく触れることはしませんが、靖国神社で5月、石柱にスプレーで落書きがされた事件がありました。

※警視庁公安部は中国籍の職業不詳の男を器物損壊容疑などで逮捕。



この時の中国外務省の報道官の記者会見を覚えている人は多いと思いますが…



自国民の行いは棚に上げ、「靖国神社は日本軍国主義が発動した侵略戦争の精神的な道具であり象徴だ」と主張するとともに…



「外国にいる中国公民は現地の法律を順守し、理性的に訴えを表現するよう注意を促したい」と注意喚起…。



特に、このように中国などの隣国が問題視するのは、靖国神社は日本軍国主義に直結する象徴的施設であり…



ここを日本政府首脳等が公式参拝することは、日本国民がかつての戦争を反省していないということ、再び、軍国主義に走るのではないかという疑念が今も強いからと言えるのです。



したがって、もしも、ここで日本を代表する政治家、特には最高責任者でもある首相が、このA級戦犯が祀られている靖国神社を公式参拝することは、これらA級戦犯の戦争責任をあいまいにし、名誉復活を図るものであって…



同時に、日本がかつて近隣諸国に与えた痛手を国として、反省していないということでもある、等という観点によるところが大きい…



そしてもう一つ、この首相の靖国参拝に関連して「憲法違反」と言うことがよく言われますが、非常に専門的な話になるので割愛を致します。



以上、長文となりましたが、前編は過去を鑑みたた「靖国神社」とは、どんな性質の神社なのかということについて触れましたが、後編は現在の靖国神社の存在について述べたいと思います。