篠山城は1609(慶長14)年、徳川家康によって築城され、15カ国20諸侯が動員された天下普請により、1年足らずで完成するものの…
城郭が強固過ぎるという理由で「天守」は築かれませんでした。
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言い換えれば、軍事的に重要だったからこそ強固に造られ、強固過ぎるために築城を命じた徳川家康さえも警戒した城…。
1873(明治6)年の廃城令によって篠山城の大半が取り壊されましたが、大書院の保存を願う人々の努力により、明治維新後も城の建物の中では、唯一残存。
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1944(昭和19)年1月に、火災により焼失してしまいますが、2000年(平成12)年に復元再建されました。
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![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
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元々の大書院は、木造住宅建築としては非常に規模が大きく、現存する同様の建物の中では、京都二条城の二の丸御殿に匹敵する建物です。
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二条城の御殿は将軍が上洛したときの宿所となった第一級の建物ですから、大書院は一大名の武家住宅としては、破格の規模と古式の建築様式を備えたものだったと伝わります。
そもそも、この篠山城の築城には、大坂城の豊臣秀頼の存在を警戒する徳川家康が、1609(慶長14)年に、浅野幸長・蜂須賀至鎮・加藤嘉明・ 福島正則ら豊臣恩顧の大名を動員して、新たに篠山城を築きました。
いわゆる、天下普請と呼ばれるもので、 総奉行は池田輝政、縄張りは「築城の名手」であり、徳川家康の信頼が厚い藤堂高虎が任じられ、篠山城がいかに重要視されていたかが分かります。
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天守が築かれなかった篠山城では、篠山城築城とほぼ同時期に建てられた大書院が、政治の中心として使用されました。
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因みに、明智光秀が丹波を攻略した頃、この地の中心地は八上城でした。
※現在の八上城跡は、兵庫県の中央東端部に位置し、史跡篠山城跡の南東約3.5kmの丘陵に占地する奥丹波地方最大の中世山城跡。
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1608(慶長13)年に、この地を領した松平康重もはじめは八上城に入りましたが、篠山城が完成すると篠山城に移り、八上城は廃城となりました。
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以後、篠山城は松平氏3家8代と青山氏6代、いずれも徳川譜代の有力大名が明治維新まで城主を務めました。
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で 築城から5年後の大坂冬の陣、その翌年の大坂夏の陣では、松平康重が篠山城から大坂城攻撃に出陣し…
篠山城は家康の狙い通りの役割を果たし、江戸幕府が安定すると、篠山城は西日本の諸大名の抑えの城として位置づけられ、江戸時代を通して…
幕府が信頼した譜代大名の4家が、藩主として納めてきた歴史資料が、大書院ではこのように展示されています。
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篠山城跡の象徴である大書院を後にして、次の目的地は、こちらの…
四百年の歳月が積み重ねられた町並みの中に、今も人々の暮らしが息づいている
河原町妻入商家群
日本100名城に行こう🏯
篠山城を押印(19城目)
京文化の影響を受けながら、独自の発展をとげた城下町篠山、篠山城跡周辺には歴史的な街並みが、周辺には豊かな自然と美しい田園風景がひろがります。
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間口が狭く奥行きの深い造りをした妻入りの商家が建ち並ぶ歴史深い地、河原町までは現在地から約1㎞ほど歩きます
そしてその途中には、こちらの丹波杜氏酒蔵記念館があり、南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)と共に日本三大杜氏の一つに数えられ…
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1775(宝歴5)年、篠山曽我部(現在の篠山市日置)の庄部右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったのが、その起源とされています
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