大和国周遊の旅 橿原市の風景「今井町寺内町」 | 果てなき旅路

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旅、温泉…たまには歴史。時の徒然に、好きな事を綴っております。

寺内町に始まり寺内町に終わった、昨年9月に訪れた「近鉄線2日間乗り放題きっぷ」での旅。


今回が最終章となりますグラサン





JRで天王寺駅へと戻り、乗り換えて、鶴橋駅へと向かい…





近畿日本鉄道「ひのとり」に乗車…


インターネット予約のポイントが貯まっていたので、指定席はそのポイントを利用して…





大和八木駅で「ひのとり」を見送り、橿原神宮前行きの各駅停車へと乗り換え照れ





八木西口駅で下車DASH!


この旅、最後の目的地は奈良県、冒頭で触れたように、奈良県の寺内町へと向かいますウインク





奈良県橿原市「今井町」には、歩くだけで楽しめる歴史的な町並みが残されています。





その町並みを形成した江戸から昭和にかけての町屋が、意匠的に優れていることから、1993年に重要建造物群保存地区(重伝建)に選定されました。





その町並みには、こちらの飛鳥川に架かる橋を渡るとすぐに、その歴史的景観を望むこととなり…





こちらはまだ、寺内町の入り口てすが、日本の伝統的な建造物群が建ち並んでいるのが分かりますね口笛





柳と日本の伝統的な家屋のコラボには…


何とも言えない “風情” が漂います🥺





この「今井町」には、本来であれば、この年の6月に、やはり「近鉄線2日間乗り放題きっぷ」で訪れた際に訪問しようと思っていたのだけれど…





まさかの「台風2号」の発生によって、観光どころではなくなってしまったため、撤収ビックリマークビックリマーク





それはさておきびっくり


そもそも、今井町が寺内町として形成された目的は、本願寺の今井兵部が一向宗の布教のためとされ、1592年から1595年の間に今井道場は今井御坊稱念寺(称念寺)となりました。





その後、称念寺を中心に寺内町 = 今井町が形成されていったと伝わります。


では、今井町を散策しましょう音譜音譜





すると、いきなり寺子屋のような進学塾を発見目


早くも江戸時代へとタイムスリップ!?びっくり





こちらは “たばこ” の文字も見えますが酒屋日本酒





夕暮れの迫る寺内町今井町にて…


より一層、ノスタルジックを味わい、心が癒されますね照れ





ところでこの今井町は、大昔の検地帳から、1595年には現在の町とほとんど変わらない市街地になっていたと考えられており、約400年以上も変わらぬ姿となっています。





故にこの町もまた、幾つかの重要文化財が保存されているのですが、その400年の間には、ひとつ大きな転換期がありました。


称念寺
今井町はこの寺の境内地に発達した寺内町であり、
本堂は近世初頭に再建されたもの

それは、織田信長が力を振るっていた時代に各地で起きた「一向一揆」


今井町は一向宗が地盤の寺内町。



中橋家住宅
中橋家は屋号を「米彦」といい、江戸時代は米屋を
営んでおり、幕末に繁栄していたことで知られる

もちろん、今井町も環濠をめぐらせたり、武装をしたりと信長に対抗していました。


しかしながら、本願寺が降伏したため、今井町も武装放棄し「商業の町」へと転換していったのです。



豊田家住宅
豊田家は屋号を「紙八」といい、この家は元より西の
木屋(材木商牧村家)で大名貸しや藩の蔵元等をつとめた

天下統一を目論む織田信長に敵対するも、本願寺の降伏に伴い、1575年(天正3年)、明智光秀や堺に住む今井町出身である茶人の今井宗久や豪商のとりなしで和睦に持ち込み、門や堀を撤去し、武装放棄しました。





信長からは「万事大坂同然」と自治を許され、商業の街として発展を遂げ、その賑わいは「海の堺、陸の今井」と呼ばれるほどでした。



上田家住宅
上田家は屋号を「壺屋」といい、今井町の惣年寄をつとめており、入り口を西に構えているのも珍しいとのこと


1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦後、一時、幕府の天領になり、二度目の天領になった1697年(延宝7年)頃は、今井町の最盛期を迎え…



音村家住宅
音村家は屋号を「細九」といい、金具商を営んでおり、
年代は形式構造から、17世紀後半頃の建築と推定される

今井町出身の今井宗久(千利休と津田宗及とで天下三宗匠)は、織田信長・豊臣秀吉と二代仕え、良好な関係を築き…



旧米谷家住宅
旧米谷家は屋号を「米忠」といい、金具商を営み
年代は形式構造から18世紀中頃の建築と推定される

吉野詣の途中、今井町の茶室に招き入れ、お茶を振る舞ったとの記録が残されています。





そうそう、話しは変わって、私が今井町の路地裏を歩いていると…


とても不思議な体験をしました🙄



河合家住宅
河合家は屋号を「上品寺屋」といい、1772(明和9)年
にはすでに酒造業を営んでいたと伝わる

それは、昨年12月のまとめブログでも記したことなのですが、夢中で写真を撮っていると、すれ違い様におばあさんから「いい写真撮れた?」 と聞かれたので、「ありがとうございます!」と答えた瞬間…



高木家住宅
高木家は屋号を「大東の四条屋」といい、酒造業等を
営んでおり、この建物は今井町上層民家の好例とされる


何故か、不意を突かれた気がしたので、振り返ると、そこには誰もいなかった古き街並みの夕暮れ🌆





私、何度か同じような経験をしたことがあり、これは幻なのか現実なのか…





そんな不思議な体験をしながらも、帰路へと向かう時間となったため、再び八木西口駅へ。





各駅電車で乗車し、大和八木駅で往路と同じ「アーバンライナー」に乗車し近鉄名古屋へビックリマークビックリマーク





近鉄名古屋駅からは新幹線乗り場へと向かい、20時46分発、東京行き「こだま754号」に乗車音譜音譜




半年以上前の旅、故に、所々記憶が薄れていますが、車内で駅弁(松阪牛焼肉)を食べていたことなど、すっかり忘れており、今更ながら、写真はその時の思い出を呼び戻してくれるものですねおねがい





これにて晩夏の旅は完了


午前0時前に無事に帰還、1泊2日の近鉄線で巡る大阪 & 奈良の歴史旅でしたグラサン



おしまいニコニコ