円覚寺の境内を巡り…
国宝・「舎利殿」は鎌倉時代ではなく、実は室町時代の建造物だったという真実
もちろん、歴史好きとして、承知はしていましたが(笑)
で 円覚寺自体は鎌倉時代から存在をしていたということで問題は無いのです。が…
そもそも円覚寺は、鎌倉幕府の第8代執権の北条時宗による開基、臨済宗の僧・無学祖元による開山として、1282(弘安5)年に創建…
歴史とはかつて学んだものが、時代の流れと共に変わりゆく運命…
すなわちそれは、これまでの価値観をも変化させて行くこととなり、聖徳太子が架空の人物だったり、源頼朝と教わった肖像画が違う人物だったりと…
当たり前に教わった常識と言うものが、時に覆るのもまた、“歴史の魅力” なのだと痛感させられます
新緑に包まれた居士林(こじりん)は、在家(居士)修行者のための道場、1928(昭和3)年に柳生徹心が東京牛込の柳生剣道場を寄贈した道場。
選佛場や居士林は円覚寺境内においても、非常に “さび” “わび” を感じられる…
とても静謐なる空間です
因みに、“さび(寂び)” とは、見た目の美しさについての言葉で、この世のものは、経年変化によって、さびれたり、汚れたり、欠けたりする。
一般的には、劣化とみなされるが、逆にその変化が織りなす、多様で独自の美しさを “さび” と呼んでいるそうです。
一方の “わび(侘び)” は、さびれや汚れを受け入れて、それを楽しもうとするポジティブな心についての言葉。
つまり、“さび” の美しさを見出す心が “わび” とされているとのこと。
先ほど拝観したのは、二つある “国宝” の一つの「舎利殿」ですが、もう一つの「梵鐘」は弁天堂の鳥居をくぐり、こちらから
洪鐘(梵鐘)の鋳造に成功した北条貞時は、江ノ島にあった弁財天に感謝をして、円覚寺にも弁天堂を建立。
江ノ島の弁財天とは夫婦弁天と呼ばれています。
で こちらの洪鐘(梵鐘)が、1301(正安3)年に北条貞時が、国家安泰を祈って鋳造した鎌倉時代後期を代表する国宝。
因みに、北条貞時とは鎌倉幕府第8代執権・北条時宗の嫡男で鎌倉幕府第9代執権の執権。
この頃、北条氏の中でも、 得宗と呼ばれる人に権力が集中するようになっていましたが、要するに、得宗とは北条氏の嫡流 (跡継ぎの血筋)のことです。
つまり、北条氏のトップのことです。
この時代だと、北条貞時が執権でもあり、得宗でもあったことになりますね
京都の名だたる有力寺院と比べても遜色のない鎌倉五山第二位の格・円覚寺…
春は新緑、秋は紅葉の美しい古刹です
こちらは過去の写真より、紅に染まる円覚寺の総門のもみじ
紅葉の季節もまた、別次元の美しさ
こちらが横須賀線の線路を挟んだ白鷺池、線路の開通により断絶してしまいましたが、ここも円覚寺の敷地です。
GW期間中の神奈川県内の小さな旅の記録…
川崎で1泊し、初日は横浜スタジアムにて、高校野球の春の神奈川県大会を観戦し、翌日は午前中に西洋館を巡り、午後は鎌倉の円覚寺で国宝「舎利殿」を拝観。
遠出をしなくても、とても充実した連休となりました
今回はおしまい