陸奥国周遊の旅 盛岡市の風景②「報恩寺~盛岡八幡宮」 | 果てなき旅路

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静謐なる雰囲気の中、山門より中に入っていくと本堂へ。





本堂から向かって左側に羅漢堂があり、そこにひしめくように納められているのが五百羅漢です。





まずは、本堂でお参りしてから300円を払い、本堂の中より羅漢堂へと向かいます。




報恩寺の五百羅漢は、1731(享保16)年から4年を費やして、京都の9人もの仏師の手により作られたと言われており、全寄せ木造り漆塗りとのこと。 





いざ、羅漢堂への入口…

ここからは時空を越えた五百羅漢への世界へと誘われます。




現存する羅漢像は449体ですが、木彫りでそれだけの数が残っているのは、全国的にも珍しいと言われており…





盛岡市指定有形文化財になっています。




服装からは、印度、西域、支那の僧が連想され、マルコ・ポーロやフビライ・ハンの像と言われるものもあり…





因みにこちらが、マルコ・ポーロ(右)とフビライ・ハン(左)の像だそうです。





国際色豊かであることも特徴の一つ…


一体一体を見ていると、居眠りをしているもの、隣同士で無駄話をしていそうなもの、とぼけた表情のものなど…





隣同士で無駄話をしていそうなものは、何だかセリフが聞こえてきそうな面白さでもあり、どれも人間らしくユーモラスがありますね。 





そして、この五百羅漢が納められた羅漢堂は、中央に礼壇上があり、その周りの壁にぐるりと羅漢たちが配置されていますのですが…




お堂の天井には、狩野林泉筆と言われる見事な龍図が描かれており、五百羅漢に目が奪われがちですが、梁、桁など巨木を惜しみなく使用した羅漢堂も必見です。




こちらが羅漢堂を外側から見たもの、その中が五百羅漢の世界となります。





そんな五百羅漢の世界を堪能した後は、盛岡市内を散策します音譜音譜





のんびりとレンタサイクルで移動をしていると、約10分程で盛岡城址のお堀を巡り、やがて…





◯岩手銀行赤レンガ館


岩手銀行赤レンガ館は、1911(明治44)年に盛岡銀行の本店本館として落成し…





1936(昭和11)年に、岩手殖産銀行(後に行名を岩手銀行に変更)がこの建物を譲り受け、本店として利用し始めました。 





この銀行の設計は、東京駅でも知られる辰野金吾によるもので、建築としては東北地方に唯一残る作品とされています。





ヨーロッパ風な外観を見るだけでも十分迫力がありますが、その内観も華やかな装飾が充実しているとのことで見学をしたかったのですが、火曜日は休館日とのこと照れ





クラシックな内装は、どのお部屋もそれぞれに意匠が凝らされているそうです。


そして、岩手銀行赤レンガ館から、雨が降ったり止んだりする中、レンタサイクルで約10分ほどで訪れたのが…





◯盛岡八幡宮


1062(康平5)年、源頼義が安倍氏討伐の戦勝を祈願して、京都の石清水八幡宮を勧請したのが始まりと伝えられています。


1686(延宝8)年に、盛岡藩第3代藩主・南部重信により社殿が建立されました。 





御祭神の誉田別命は応神天皇としても知られ、農業や衣食住など人間生活にまつわる多くのことにご利益がある神様。





盛岡八幡宮は県下一の大社でもあり、現在も盛岡の総鎮守として地域の人々の崇敬を集めています。





盛岡八幡宮境内より数分移動し、ガラリと空気が変わり、ひっそりと鎮守されているのが…




◯岩手護国神社


こちらの神社は、明治維新に殉じた志士を祀るため、明治2年に創建されました。





1906(明治39)年に盛岡八幡宮内に遷座し、1939(昭和14)年に当地に社殿を造営して、岩手護国神社と改称されました。





盛岡八幡宮からレンタサイクルで、のんびりと走ること約15分ほど、盛岡の町を流れる中津川に架かる上の橋に到着DASH!




雨もすっかりと上がり、青空も広がり…

この上の橋には、日本最古級の青銅製擬宝珠が18個取り付けられ、銘によると、1609(慶長14)年に造られたものが8個、1611(慶長16)年に造られたものが10個となるそうです。




その時期は、南部利直が盛岡を藩庁として建設された頃のようで、利直は南部家の27代当主にあたり、盛岡藩の初代藩主となります。




そんな歴史ある盛岡の町並みを、もう少し、散策をしますウインク

次回へと続きます…☆