備後国周遊の旅 尾道市の風景②「西國寺~御袖天満宮」 | 果てなき旅路

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中国地方の名刹、西國寺にて…





その境内は広く、まずは仁王門をくぐり、108段の石段を登ると金堂へと進み…




さらに、金堂の右横の石段を登ると、持佛堂、不動堂、毘沙門堂、大師堂と並びます。が…





その途中で振り返れば、尾道の町並み目

素晴らしい光景です照れ




さらに、石段の途中には前方に三重塔を望み、後程、あの三重塔へと向かいましょうあせるあせる




そもそもこの西國寺とは、備後国の守護大名・山名氏 = 時義(応仁の乱で有名な山名宗全の祖父)との関わりが深く…




この時代、日本は66の国(いわゆる現在の県)に分かれており、そのうち山名氏が11の国を支配していました。





これは日本全ての国の「六分の一」であることから、日本の「六分の一」の国の守護殿、略して山名氏は「六分の一殿」と呼ばれるようになりました。





因みに山名氏は、尾道浦を貿易の拠点とし、寄港する遣明船(室町時代に19回の日明貿易や勘合貿易が行われています)を含め、遣明船には赤胴を積んだ記録が残されています。




中国地方の産物をこの尾道から運び出して、富を築いており、また、西國寺にも篤い庇護を行い、堂宇の再建等もしています。




西國寺の境内には、行基がの霊夢を見て、そのお告げによってこの地に開山したと言う謂れのある加茂明神が鎮座しています。




そんな新緑の美しい境内は、参拝者の姿はなく、静かに時が流れます。





では最後に、毘沙門堂の横から三重塔への参道を登り…





1429(永享元)年、室町幕府第6代将軍・足利義教によって寄進されたと伝わる三重の塔は、国の重要文化財です。





そもそも、足利将軍家と言えば、その礎を築いた初代尊氏、 将軍の地位を確固たるものとした3代義満、 応仁の乱の時の将軍としてその権威を失墜させてしまった8代義政、 そして室町幕府最後の将軍として時代に翻弄された15代義昭が有名な人物ですが…





けれども、6代義教も、中々どうして、有名な人物で、5代義量が早世したためにくじ引きで決まった将軍でしたが、将軍に就任する前は俗世を離れて出家しており、還俗して将軍となるとかなりの破天荒振りです。





1441(嘉吉元)年6月に嘉吉の乱が勃発したのですが、これは将軍足利義教の恐怖政治が端を発し、播磨国の守護・赤松満祐が立場が脅かされたことによって、足利義教を自邸に招き暗殺、事態の打開を図って起こした反乱でした。





世間の人々は、足利義教を「万人恐怖」と呼び、恐怖政治を行う暴君と恐れましたが、そんな第6代将軍・足利義教の縁のある寺院であることは知りませんでした。

 




さて、広大な敷地の西國寺を堪能し、尾道らしい坂の道を5分程歩くと…





学問の神様・菅原道真を祀る

御袖天満宮





菅原道真ゆかりの御袖天満宮は、学問の神として崇められています。が…


さて、話はちょっと飛びますが、大林信彦監督作品『転校生』という映画をご存知でしょうか。





長い石段を転がり落ちた主役の尾見としのりさんと小林聡美さんの男女の体が入れ替わるという青春コメディ映画だそうです。 





後に『時をかける少女』と『さびしんぼう』と合わせ尾道三部作と呼ばれることになった大林監督の記念すべき映画とのこと。





『転校生』の階段落ちのシーンを撮影したロケ地が、こちら御袖天満宮の正面につながる階段🤕





落ちる、滑るは、受験生には忌み言葉ではありますが、 菅原道真ゆかりの天神様として、霊験あらたかなるパワースポットでもあります🔯





高台から臨む尾道の町…

山陽本線115系の黄色い車両が走り去る…




何気に撮したこの像の足元に、何やら動く可愛い物体があるので、近づくと…





にゃんこ先生😹が、何者かを狙っているかのような鋭い眼差し✨







(=^ェ^=)







さて、御袖天満宮を後にして、この尾道で最も著名な寺院へと赴きましょうビックリマークビックリマーク




その前に、標高140mの小高いロケーションにある千光寺公園へと向かうため、ロープウェイ入口へ口笛


次回へと続きます…☆