新潟への旅路、高校野球ネタが挟まれたため、中断しましたが、今回最終回となります
加茂駅からのんびりと10分ほど歩き…
加茂山公園へと到着
一番の見所は小京都の由来にもなっている青海神社(あおみじんじゃ)で、公園と一緒に整備されています。
神社の歴史は1300年前まで遡り、現在、加茂市周辺を開拓した「青海の首」とその一族が、 726(神亀3)年、地元の人々の守り神として、創建したのが始まりとされています。
青海一族は「首(おびと)」の姓(かばね)をもつ氏族のようですから、おそらく村落の首長であることが推測されますね。
当初は日本神話に登場する椎根津彦命(しいねつひこのみこと) と大国魂命(おおくにたまのみこと)を祀っていました。が…
794(延暦13)年、桓武天皇が京都の上賀茂神社と下鴨神社の神領である平安京に遷都するにあたり、両神社が祀っていた神を青海神社に分霊、同神社は現在合わせて5柱の神を祀っているとのこと。
拝殿と社務所の間には鶯張りの廊下があり、これは1757(宝暦7)年に、当時の新発田藩藩主溝口直温によって建てられたものと伝わります。
青海神社は賀茂神社、御祖賀茂神社、青海神社の三社ご本殿を合殿し、神明造りの覆屋におさめ奉斎しているとのこと。
元々は、青梅の首(おうみのおびと)が創建した神社ですが、平安京遷都の時に、青梅神社が京都賀茂神社の社領になったことから、“加茂” の地名がつきました。
新潟県の内陸部中央にあり、京都とゆかりの地名を持つ “加茂”…
三方を山に囲まれた盆地で、桐タンスの生産では シェア日本一を誇り、冬の寒さが厳しいですが、寒椿の名所でもあります。
市内を流れる川の名も加茂川です。
ところで先ほど、加茂市周辺を開拓した「青海の首」とその一族と記載しましたが…
日本史を勉強していると、必ずつまずくところに、「氏姓制度(しせいせいど)」というものがあります。
「氏姓制度」というのは、氏(うじ)の組織を基礎にして、多くの一族を姓(かばね)によって秩序づけた支配形態を言うものです。
具体的に言うと蘇我氏、物部氏などの「氏」のことであって、現在でも◯◯氏というように使われている言葉ですから、とても身近なものだと思われます。
そして古代国家であるヤマト政権では、氏は血縁者が中心となり、実際には血のつながりのない者も、同一の祖先から出たという意識によって統一された共同体でもあります。
この氏の組織がヤマト政権の支配下に属し、その地位に属する姓を与えられ、この結果、「氏姓制度」が出来上がりました。
ヤマト政権は氏の実力や社会的地位に応じて、一定の姓を与え、中央の有力氏族には臣(おみ)、連(むらじ)、下級の一族には造(みやっこ)を、また地方の氏族には君、直(あたえ)、首などの姓を与えました。
等と日本史を勉強をしているうちに、新潟の小京都加茂から長岡へと到着