京急線でめぐる御朱印の旅は続きは…
紺屋町のバス停🚏から程近い、次の目的地ではあるのだが…
その前に
いつも気になる “浦賀ペリー歯科”
西叶神社
叶神社は、平安末期に、源氏再興を願った京都の文覚上人が、応神天皇を祭神として建立された。
建立数年後、平家が滅亡して鎌倉幕府が樹立されて、見事に源氏の再興が叶ったことから “叶大明神” と呼ばれるようになったと言う。
[西叶神社] 由緒
養和元(1181)年、文覚上人により源氏の再興を祈願して京都の石清水八幡勧請し創建しました。現在の社殿は天保13(1842)年に再建。内部は見事な彫刻装飾で知られますが、2020年秋頃まで修復工事中です。
そして勾玉を購入。
東叶神社のお守り袋に入れる “縁結び” のお守り
それと、神社と云えば
狛犬
口を開けた “阿形” と口を閉じた “吽形” で一対を成しているが、『西叶神社』の狛犬は、左右とも口を開けている “阿形” に見え、『東叶神社』の狛犬は左右とも口を閉じている “吽形” に見えると言われ、東西で一対になっているのではないかとの説があるらしいのだが・・・
さて “西” の叶神社があるということは、“東” の叶神社もあるということで…
渡し船(ポンポン船)で対岸へ
乗船時間わずかに3分
浦賀湾は、陸地に深く切り込んだ形であることから、江戸時代の東西浦賀村の分村後は、陸上交通は大変に不便だったと言う…
しかし、享保年間に浦賀奉行所が設置されたことを契機に、東西の住民が船賃代の換わりに、米を出しあって船頭の生活の支えとして、東西の利便性のための『渡し船』が操業されたと伝えられている。
浦賀の渡し
ここからは歩いて5分と掛からずに…
東叶神社
[東叶神社] 由緒
養和元(1181)年、文覚上人により源氏の再興を祈願して京都の石清水八幡宮を勧請して創建。元禄5(1692)年、江戸幕府の行政政策により、浦賀が東西に分村した際に、東浦賀の総鎮守となりました。
御朱印はこちらで拝受
さらに社殿の横から頂上の奥宮へ上がる階段があるのだか、それを上がった所に入口があり、ここには隠れ家のようなカフェ
= サロンアカンサスがある🇬🇧
さて、『西叶神社』の狛犬は、左右とも口を開けている “阿形” に見えたが、『東叶神社』の狛犬は左右とも口を閉じている “吽形” に見えると言われているが…
さてさて、東叶神社を後にして、浦賀駅へと向かう途中で、ちょうど良くバスが到着し、新町🚏から乗車…
浦賀駅へと到着
どんよりとした曇り空であるが、本日は後1社回るので、何とかこのまま保ってもらいたい
まだまだ続きます…☆