菊池桃子PREMIUM TALK SHOW in コニカミノルタプラネタリアTOKYO | 不条理に抗う:女性アイドル最高評議会

不条理に抗う:女性アイドル最高評議会

不条理な経験について記します。その逆も書こうかな。
「アイドル最高評議会」とは「ジェダイ最高評議会」のパロディ。
記事を投稿するにあたっては時間をかけて推敲しています。しかし、まちがったこと、書き忘れたことをあとから思い出して加筆修正しています。

こんばんは。

 

ここ数日、東京の天気は夏の陽気ですね。このまえまでまだ冬のようでしたが、もう一気に夏の到来をも感じさせます。

 

さて、4月21日は菊池桃子がレコーディング・アーティストとしてデビューして40周年を迎える日でした。この日には、レコード会社VAPのオンラインショッピングサイトで4月17日発売EP『Eternal Harmony』を予約した人だけが抽選対象であるトークショーが計二部開催されました。会場は先日ライヴが行われた有楽町コニカミノルタプラネタリアTOKYOです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は2部ともに申し込むために二枚CD『Eternal Harmony』を買いましたが、当たったのは、一枚、第二部のみでした。

 

 
 

 
開場前には抽選で整理番号入りの入場券が割り振られました。私は29番。うまく三列目の真ん中に座ることができました。このチケットはお見送りのあとに回収されました。
 

 
なかは先日と同じですね。開演直前には桃子さんの「恋をして・・・」「青春のいじわる」が流れていました。
 

 
 

 

まず、スタッフ、クルーの一人から前説があり、それに呼び込まれてMCの野村邦丸が登場しました。野村さんがMCを務めるのは、これまでに文化放送『くにまる食堂』で桃ちゃんと何度も共演を果たしてきて昵懇の間柄だからだそうです。そして、野村さんが桃ちゃんを呼び込みました。

 

司会者の人選に関して言うと、音楽ライターを呼ぶことも考えられたと思います。でも、そうしなかったため、シティ・ポップなど音楽を掘り下げるよりも、アイドル、芸能人としての菊池桃子が音楽活動をしていることについて、トークが繰り広げられていきました。

 

以下、トークの大意。録音は禁止されていたので、トークショー終演後に書き留めたものです。うろ覚えですみません。発言を完全に正確には再現できていませんが、大きくゆがめてもいないと思います。

 

(野村)菊池が黄色い服を着てくると聞いたので、菊池を意識して黄色い服を買って着てきた。

このプラネタリウムは、菊池桃子がデビューした1984年4月21日20時の夜空を再現したものである。これから(終演まで時間の経過に合わせてこの夜空が少しずつ)変わっていきます。

(ずっと立ったまま話していたので、)桃子さん、座りましょうか。

 

(「青春のいじわる」が場内に流れる。フルコーラス。みんな黙ったまま聴く。)

(野村)聴いてみると、明らかに少女。

(桃子)そうですね、今とは違う、そのときしか出せない、少女としての記録ですね。これがデビュー。地方公務員の家庭に育ち、芸能界に入るなんて想像していなかった。

(野村)「青春のいじわる」が発売されたころ、生まれていなかった人はいらっしゃいますか。(手を上げた若い観客の一人と会話して)えっ、あなた18歳!?

(桃子)しかし、世代を超えてこういう伝わりかたをするのがカルチャーの魅力。

(野村)海外では桃子さんのヴァイナルが高価格で取り引きされているそうじゃないですか。

(桃子)観客のみなさん、私よりもたくさんもっているんじゃないですか。

(野村)みなさんそれぞれいろんな動機でファンをしていると思いますが、私、野村が思う桃子の魅力はこうです。すなわち、水戸のラジオ局にいるころ、菊池さんに電話でインタヴューした。数十社のうち、私の番は最後のほうなので、時間がかなり押していました。インタヴューが始まると、菊池桃子は開口一番、「ごめんなさい、こんな時間になってすみません、でも、いっしょうけんめいやらせてもらいますので」と言った。そのときはもうスターだった。私の人生の中でこういう状況で謝ったのは水谷豊と菊池桃子だけ。

(桃子)えー、覚えていてくださってありがとうございます。いかにも私が言いそう。リアリティがある。

(野村)放送ではそれをそのまま使った。リスナーはハートをわしづかみにされたのではないか。

(桃子)やはり私はみんな(スタッフ)の代表。前に立って代弁しなくてはならない。ご両親が私のファンで「桃子」と名づけられたお子さんがいる。襟を正さなくてはならない気持ちになる。コンサートでは泣くかもしれない。

(ここで、ファーストアルバム『Ocean Side』のタイトル曲「Ocean Side」を聴く。)

 

続いて、『Eternal Harmony』の話題。

(桃子)昨年リリースした『Shadow』にも新曲は入っていたが、あれはベスト盤だったので、(まとめて)新曲として出すのはひさしぶりのことです。

(ここで、「もうすぐ0時」を聴く。)

内澤(崇仁)さんに依頼して作ってもらった。彼のバンドandropのことを私が好きだった。内澤さんはいろんな楽器を演奏してレコーディングができる。彼は頼りがいのあるミュージシャン。内澤さんは八曲も候補を送ってくれた。ファンのかたにも内澤さんに感謝してもらいたい。

(客席から「アルバムを作ってくれ」という声援が飛ぶ。)

サブスクがCDに取って代わっている現在は、昔とは収益の構造が違う。音楽を制作、発表するにあたっては多くの人間を巻き込んでいるので、難しいなりに私なりに音楽制作、パブリシティをがんばっている。[筆者註:「アルバムを作ってくれ」という声援に対する返答を求められているのですが、桃ちゃんの返答は、はい、いいえのどちらかなのかがよくわかりませんでした。しかし、アルバムを出せればいいし、私もがんばりたいけれども、しかし、音楽で収益を上げにくい時代なので、慎重に考えないと、赤字が残って周囲に迷惑がかかるだけだ、という意味なのでしょう。]

 

(ここでホリエアツシ(ストレイテナー)作「星の蜃気楼」が流れる。)

「星の蜃気楼」では、プラネタリウムにオーロラが出現。

この曲では、今までにない高音キーでサビを歌っている。私には不安定な声域があるけれど、しかし、不安定な声域を突き抜けると、安定したこの高音域に到達する。私にはまだまだ伸びしろがある。

内澤崇仁、ホリエアツシ、お二人とも情熱で返してくれるミュージシャン。お二人のほかのお仕事もおすすめ。

 

最後にもう一曲。作詞作曲・菊池桃子。師匠の林哲司さんが編曲してくれた。昨年ここで行われたライヴで曲が足りなかったので、作った曲。

(ここで、再び一同黙って「Starry Night」をフルコーラス聴く。)

EPを閉められる曲があればいいと思った。星空も有限なのかもしれないが、人間の視点では、星空は人間の世代や時代は代わっても永遠に存在してきたし、存在していたように思える。

林哲司先生が5月のライヴの準備をしてくれている。私のこの保護者にも私の成長を見せられたのではないか。

私にとって、自分が死んでも、この音が残ることがこの仕事のやりがい。

(野村)第1部が終わったあと、一階下でたばこを吸っていると、帰るファンに(菊池桃子を)「よろしくお願いします」と言われた。こんなやさしいファンはほかにはいない。

(桃子)みなさんと時代がすれ違わずにいっしょにこの時代に生まれたことに感謝。

(野村)昨日リモコンをいじってると、Netflixで映画『プリンセス・トヨトミ』が流れて、菊池さんが背後から斬られていた。

(桃子)その話をさきほど野村さんから聞いて、私は生まれ変わるようにフレッシュにこの一年をスタートさせることができるように思います。この40周年、まだまだ新たな発表をお待ちください。今年は五月のあともまた会えます。楽しみにしていてください。

(野村)あっと言う間。そろそろフィナーレ。でも、演出担当に二回目は押してもいいと言われている。(18歳の観客に)聞きたいことある?

(18歳の観客)なんでそんなにかわいいんですか。

(桃子)年を取るとかわいくなるという。一周回って私はかわいくなっていく、、、というのは冗談。かわいくいられるよう、自信をもって、努力を重ねたい。みなさんを宣伝担当に任命します。このEPのよいところを広めてください。

(野村)このあとは、お見送り会です。

野村さんによる締め。

 

桃ちゃん退場後、お見送り会の準備が整い、前列から順番に出口で菊池桃子にお見送りをしてもらいました。上のチケットはそのときに回収されました。

 

このトークショーについて私がいろいろ論評をせずとももう十分伝わったでしょう。

 

また別の記事でEP『Eternal Harmony』、そして5月3日「菊池桃子 Special Live“EMERALD” ~40th Anniversary&Birthday~」について書きますね。

それでは、また。