こんばんは。
今回は大木亜希子『シナプス』(講談社、2022年)の書評です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231216/00/stay-faraway-so-close/99/36/j/o0810108015377455453.jpg?caw=800)
テーマはおそらく女性が直面する現実を肯定しながら生き抜くことでしょうね。短編集ですが、最初の「シナプス」と「海の見えるコールセンター」とは主人公が同じで、後者は前者の続編です。「風俗嬢A」も「海の見えるコールセンター」に回収されます。
モモコグミカンパニーの小説もそうでしたが、この小説でも、セックス、浮気/裏切り、妊娠検査薬などが描かれます。そういう意味では、松井玲奈よりもブリっ子ではないのでしょう。しかし、たとえアイドルは恋愛を禁止されているとしても、セックス禁止ではないので、恋愛のないセックスはしたいだけしてもいいわけですし、快楽だけのためのセックスが描かれているわけではないわけですし、友人の話や読書体験を収集してきてそれを小説に活用しているだけかもしれないわけですが、それでも、アイドルもまずセックスありきで生きているのではないかと思うほど、大木亜希子もモモコグミカンパニーも性描写を得意としているんですね。
まず、連作短編という構成自体はいいと思います。平安に行き着くはずだった「風俗嬢A」が「シナプス」の否定的な世界に引き込まれてしまいます。口語的表現が時折混じるところに無教養を感じますが、文章も終わりにかけてうまくなっていきます。
次に、勧善懲悪が成り立たない世界を描いています。つまり、悪者が懲らしめられず、弱者が苦しめられ、耐え続けるわけです。しかし、この物語の背景として存在する社会の問題には踏み込まずに、個人の自己決定の次元のみに解決策を求めてしまいます。それは好みや態度の問題ではなく、やはり著者のなかに社会が存在しないのでしょう。
まず、いわゆるゴシップ雑誌や職場の人間などによって女性の不倫や"枕営業"が突き止められ、暴露されるがゆえに、次に、その性的関係は男性が女性を搾取するものであるがゆえに、女性の人生が変わってしまいます。それでも、著者は性的搾取を受け続けないために、性風俗を通じたシスターフッドやどこでも生き抜いていく女性のヴァイタリティに解決策に希望を託します。
しかし、世界では勧善懲悪が成り立たないことは事実だとしても、泣き寝入りして受け入れて生きていくことを選ぶのではなく、それでも、事実と異なることは事実と異なると敢然と主張すべきではないか、そう思いました。
私はすでに著者の『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』の書評を行いました。そこでも、述べたのですが、著者はインテリではなく、フェミニズムを選択できないーーもちろん五ノ井里奈のように体育会系でも徹底的に戦う例はありますーーので、性加害、性的搾取に直面したとき、それらを全面的に受け入れることはしないものの、しかし、決然と反抗することはしないんですね。こういう層は、社会的矛盾の餌食にされて自己責任では性加害、性的搾取を解決しえない社会階層に属しているのに、"他責"にすることを卑怯として恥じる傾向が強いです。やはり、たとえ文学であっても、たとえ言論の自由があっても、こういう傾向を肯定することは現代の基準では望ましくないし、内容が深まっていかないでしょう。
それでも、松井玲奈の小説と大木亜希子の小説とを比べるなら、私は大木亜希子に軍配を上げたいです。
それでは、また。現在、北原里英『おかえり、めだか荘』(KADOKAWA、2023年)を読んでいるので、近日中に書評を載せます。おやすみなさい。