こんばんは。
今日は大木亜希子『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社、2019年、祥伝社文庫、2022年)の書評をします。以前から読んでみたいと思いながら、なかなか踏ん切りがつかなかったのです。しかし、11月3日から映画が公開されると知ったので、ようやく読むことにしました。
読むにあたり、紀伊國屋書店新宿本店で著者直筆サイン入りの文庫を買いました。文庫では、単行本版を加筆・修正したうえで、書き下ろしもしたそうですが、しかし、まだ初刷、第一刷だったサイン入りを読むのがもったいないので、図書館から単行本を借りてきて読みました。(渋谷の大盛堂書店に著者直筆サイン入りの文庫が再入荷したそうですから、もう一冊買いましょうかね。)
これが映画の予告編です。
感想は、まあよくある話ではないのかなと思いました。以下、ネタバレを含みます。
30歳を目前にした主人公の元アイドル(SDN48)は精神を病んだため、姉の勧めで一人暮らしを諦め、56歳の中年男性「ササポン」が独身で住む家に居候同然の家賃で住み始めます。
自分の気持ちでは一生に一度ぐらいの失恋のショック、心療内科への通院、ライター界におけるセクハラ・パワハラ、ササポンとの交流、親友たちとのつき合いが描かれていきます。
結局、男性への思いを断ち切り、著者は触れませんが、酒井順子『負け犬の遠吠え』のいわゆる"30歳以上、未婚、子なしは負け犬である"という差別観や、常にモテることを考え、クリスマスイヴにいっしょに過ごす異性を必死になって探すような、バブル期の名残りである恋愛資本主義を克服することで、主人公は立ち直ります。
しかし、ササポンだけではなく、心療内科医、親友の助けのおかげであると著者が述べていることからも明らかであるように、赤の他人のおっさんと住む選択をしたことがこの本では読者に対するツカミではあっても、そしてササポンが格安の家賃で主人公に同居させてやったことは主人公と同じ境遇の人が望んでも得られないササポンの経済的援助、主人公にとっての僥倖ではあっても、主人公が精神面で立ち直るのにどうしても必要だったとは思えないんですよね。おそらくササポンが実在の人物なので、もっと突っ込んだところで、プライヴァシー保護上、なかなか本には書けないでしょう。
主人公の苦しみの根底には社会的な性差別が存在するはずです。しかし、主人公はフェミニズムに訴えられるような知的環境には生まれ育っていないようです。新自由主義、自己責任の観念に染まって生きているので、はっきりと社会的差別に抵抗すると、いわゆる"他責にするな"という声が聞こえてきてそれに逆らえなそうです。よくとらえれば、この映画はフェミニズム賛成にもフェミニズム反対にも行き着けない現代女性にとって解放とは何かを探ろうとしていると言えます。
単行本を読むかぎり、明らかな魅力のあるストーリーではないのですが、しかし、映画ではどうなっているのでしょうか。楽しみにして見たいです。