広末涼子『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』(宝島社、2022年) | 不条理に抗う:女性アイドル最高評議会

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記事を投稿するにあたっては時間をかけて推敲しています。しかし、まちがったこと、書き忘れたことをあとから思い出して加筆修正しています。

こんにちは。
 
三連休は児玉雨子『##NAME##』を読んでこのブログを更新したほか、東京女子流の公演五つ、そして映画『わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏』『アイスクリームフィーバー』を見て過ごしました。
「災害級の暑さ」とやらが今日も続くようですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。くれぐれも体調にはお気をつけください。
 
広末涼子が初めて出版した単行本『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』(宝島社、2022年)、しかも直筆サイン入りを二冊買ってもっていたのですが、しかし、積ん読にしていました。ちなみに、とはいえ、私が広末涼子のファンだったことは一度もありません。今回、スキャンダルを起こしてしまったので、読んでみようとやっと思いました。
 
 
思うに、今回の出版もコロナ禍で俳優の仕事が減ったことが影響しているのでしょう。コロナ禍のおかげで広末涼子が自分自身についても語るエッセイをわれわれは読むことができるのです。
例の騒動で若い人が「よくわからないけれど、これほど騒がれるということは、広末涼子はある世代にとって、私たちにとっての浜辺美波、橋本環奈のような存在だったようだ」とつぶやいているのを見ました。でも、比較にならないほど広末涼子の存在のほうが大きかったです。
今の浜辺美波、橋本環奈のように言われる若手の女性の俳優は山ほどーー後藤久美子、牧瀬里穂、葉月里緒奈、小島聖、一色紗英、吉野公佳などなどーーいたけれども、国民的スターが生まれた時代、今よりもはるかに恵まれた時代に本当の頂点に君臨した宮沢りえと広末涼子だけが、さすがにどの作品でも主役で出演するわけにはいかなくなりましたが、俳優としてその威光を失わないでいるのです。菅野美穂、観月ありさ、深津絵里も十代、二十代から活躍していますが、カリスマ視される度合いでは、宮沢りえと広末涼子には及ばないでしょう。浜辺美波、橋本環奈も今からがんばれば、菅野美穂、観月ありさ、深津絵里のようになれるでしょうが、しかし、いくらがんばっても宮沢りえ、広末涼子のようにはなれません。まあ、それほどの人物だから、広末涼子が同業者以外と交際してもロクなことはなく、あの「広末涼子」とつき合っていることを絶対に他人にしゃべってしまったり、広末さんのことを思って恋文、交換日記の類を残さないように配慮できなかったりするわけです。
 
さて、広末涼子『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』は、広末さんが愛読してきた哲学書から印象に残ったことばを引用して、しかし途中で哲学者以外のことばも引用して、それについてひとつひとつ語っていくスタイルを採っています。しかし、哲学のことばを哲学として読み込んで思索を深めることはまったくできていません。あくまでそれらをきっかけにして広末さんが自分自身について語ることが目的です。
 
以下、広末涼子『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』に関する感想です。自身の恋愛至上主義について語ることはなく、広末さんは、概ね、妥当な人生観を述べています。彼女が偉人である前提を受け入れられるなら、本を買って彼女の思考様式や人生を読む価値はあります。
 
まず、広末さんが自分も変わらなければならないと思いながら、Googleカレンダー共有ができないまま、頑固に手帳にスケジュールを書き入れている(10ページ)と書いています。このことは手書きの恋文が流出したことの予兆でしたね。
 
次に、「挫折は人を大きくする。失敗は人を強くする。ただし、そのマイナスをプラスにできるかどうかは、その人次第。しないほうがいい経験なんて、ひとつもない」(22ページ)。「14歳も20歳も40歳も、(私が憧れるジュリエット・ビノシュが彼女の人生を振り返って言うのと同じように、)私も100%全力で生きてきた。そして私も、過去に戻りたいとは、これっぽっちも思わない(笑)」(44ページ)。広末さんが今でもこう思えていたらいいですね。
 
それから、広末さんの人生は自慢しなくても自慢になりますね。洋画にハマったのは『レオン』がきっかけ。1999年、監督のリュック・ベッソンに会えた。2001年フランス映画の『WASABI』でいっしょに仕事。2009年『おくりびと』がオスカーの外国語映画賞にノミネートされたーー受賞もしたーーときに授賞式に行ったら、司会がナタリー・ポートマンだったので、会えて話せた(34ページ)。ちなみに、高倉健、『鉄道員 ぽっぽや』の話題は出てきません。学生時代に『ソフィーの世界』の著者ヨースタイン・ゴルデルと話す機会をもらった。
 
それから、広末さんもふつうのひとです。『スラムダンク』が大好きだ(36ページ)、『よしもと新喜劇』のほか、好きなTV番組は『志村けんのだいじょうぶだぁ』『ダウンタウンのごっつええ感じ』(143ページ)。「"私の幸せ"=家族」(192ページ)。広末さんは『存在の耐えられない軽さ』を見てジュリエット・ビノシュにも憧れています(209ページ)が、そもそもベッソンもそれほど高尚な映像作家ではなく、非常に通俗的な映像作家です。
 
それから、広末さんは「女優」という古いことばは改めませんが、男女平等、女性の社会進出に理解を示していますね。「私は今、私の好きな人、つまり主人と対等であり、お互いにひとりひとりでいることのできる能力を持ち合わせている夫婦である、と言える」(101ページ)。「エプロンを着けた男の人も素敵だな」(131ページ)。他方では、「愛する主人を尊敬し、理解しているつもりではあるけれど、「余計な口出しをしていないか」という問いに対しては、ちょっと振り返ってみなくてはいけないかもしれない(苦笑)」(138ページ)と、自分がモラハラをしている恐れをも反省しているのは立派ですね。
ただし、カントの「忍耐は女性の美徳である」という考えかたを完全否定せずに支持しながら、女性もがまんもほどほどにと行き過ぎを抑えるべきだと考えている(107ページ)ので、性別によって役割分担、人間性の違いがあるという考えかたを完全には斥けられず、やはり、広末さんのほうが忍耐強くなりすぎていたのか、と思います。「男女平等と言える世の中になるまでには時間がかかるのだろう」(111ページ)。「アンチエイジングよりもウェルエイジング」(154ページ)。
 
そして、やはり業界の話がおもしろかったです。プロデューサーへの"顔見世"、"営業"について(64-65ページ)、マネージャーの仕事について(72-75ページ)。なかでも、「マネージャー(今の社長)とは、数え切れないほどケンカもしたし、対立もした」(206ページ)。察するに、デビュー当時から担当してくれているマネージャーと二人三脚、もちつもたれつの関係で仕事をしてきてそのマネージャーは社長にまで出世したようです。社長と対立を繰り返しながらも、一蓮托生なら、広末さんはいずれ復帰してまた活躍はしますよね。
 
最後に、哲学者のことばを引用していても、まったく哲学研究書ではないのですが、広末さんの以下のことばは哲学史の本質をついていると思いました。「"哲学者"というカテゴリーに囚われてしまうと、時代背景や男女の価値観などにも大きく影響されてしまうことに気づき、"私の好きな女性"の言葉も一緒に入れさせていただいた次第です」(243ページ)。広末さんもがんばってローザ・ルクセンブルク、ボーヴォワール、ハンナ・アレントのことばを引用しても、哲学者が性別、地域、時代を超えた普遍的真理について思考してきたはずの哲学史にも男性中心主義があり、歴史的負荷があると感じるのは、正しいでしょう。
 
 
さて、今回の件について、映画ファンの私には思うところがあります。

私も広末さんがあまり演技がうまいとは思えないのですが、しかし、昨年『あちらにいる鬼』ほか計三作の演技で「2022年 第96回キネマ旬報ベストテン」助演女優賞を取りました。ですから、広末さんもう立派な演技派俳優です。

 

 

 

 

 

 

 

この映画の原作は、自らの父である井上光晴と瀬戸内寂聴との不倫関係を娘の井上荒野が描いた小説です。この小説が発表される前から、瀬戸内晴美が出家して寂聴と号し始めたのは井上光晴との不倫関係に苦しんだ結果だったことは、周知の事実でした。

瀬戸内寂聴と井上光晴との関係の一端は、原一男監督のドキュメンタリー映画『全身小説家』で見ることができます。

 

 

 

さて、映画『あちらにいる鬼』で広末涼子が演じる妻は、仕返しとして、井上光晴を担当する男性編集者と連れ込み旅館に行くのですが、相手が「やはり先生の奥さんとは関係をもてない」と感じ、怖気づいたので、不倫は未遂に終わります。
また、寂聴役の寺島しのぶは、相変わらず体当たりでヌードで演技し、剃髪までします。広末さんが性的に放縦なことは過去に事実と認められる報道もあったので、裁判でも認められたことなのですが、それでも広末さんは濡れ場でも肌は露出しません。裸で布団に横たわって相手を待つようなことはしません。
寺島さんはあの演技スタイルで90年代に演技賞をいくつも取りました。寺島しのぶは、今回の役作りで瀬戸内寂聴が出家する前に瀬戸内晴美として書いた作品をすべて読んだそうですが、今もなおも肉体派の俳優であること、映画の世界ではいわゆる「体を張る」演技、ヌードになれば、高く評価されるような傾向があることには私は疑問を感じています。しかしながら、他方で、広末涼子は俳優としてはアイドル女優のままであることに困惑もしました。広末涼子はあくまで外見の清楚で純朴なイメージを大事にして仕事をする俳優なんですよね。
現実では、広末さんは、この役柄と違って、一線を越えてしまいました。しかし、肉筆の恋文は公開されても、裸体の写真やわいせつな写真は出なかったので、俳優としては、今までどおりにやっていけるでしょう。
また、ベッキー、矢口真里、アンジャッシュ渡部、板東英二、あびる優、木下優樹菜など、TVタレントがスキャンダルを起こすと、すぐに仕事が吹っ飛び、振り返っても代表作が何も残っていません。それとは違って、広末さんは、斉藤由貴と同様に、俳優であり、なおかつ確実にいくつかの代表作を残してきました。加えて、自分と二人三脚で若いころから活動しててきたマネージャーが社長として健在なので、いずれ復帰、復活するでしょうね。
 
それでは、また。くれぐれも酷暑にはお気をつけください。