こんばんは。
卒業公演も終わったので、もうこのブログで武藤十夢について積極的に触れることは今後一切ありません。理由は以下の記事でお話ししたとおりです。
実は、私は『サンジャポ』のTシャツお渡し会のときにこう書いていたんですね。
私としては、「過剰な警護とはがし」「10枚券」「5枚券」など絶対に接触でやってほしくないことをこれまでのブログで表明している以上、それと根本的に対立することをする芸能人、事務所とは肯定的な関係ではいられません。相場を無視してどうしてもツーショットを避けるのも「過剰な警護とはがし」のひとつだと言えます。
業界関係者は意外と黙ってエゴサをしているものです。もし生島企画室が私の以上の文章を読んで写真集では「10枚券」「5枚券」を売ろうと思ったのなら、生島企画室は最低だと思います。
さて、2月19日に行われた武藤十夢最後のオンラインお話し会で第6部は2枚、第3部は10枚買っていました。第3部ではサイン会は一枚当たっていました。
私はいつもは十夢さんにメッセージを指定することはありません。しかし、今回だけ以下のように紙を見せてこう書いてほしいと十夢さんにお願いしました。
「The End」を二重線もしくは×で打ち消して「To be continued.」と書いてほしい、と。「The End To be continued.」言うまでもなく「To be continued.」とは、通常の「逆上がり」公演で最後を締めくくる曲の題名です。
Showroomは好んで見ていたし、『AKB48のオールナイトニッポン』は聴いていたものの、しかし、もともと「AKB商法」を嫌っていた私は『サステイナブル』まで握手会に行こうとしませんでした。
そこから約三年半武藤十夢にかぎって握手会、オンラインお話し会に参加し、劇場公演を見に行きました。最初の数か月を除いて、そのほとんどの時期はコロナ禍でしたね。
はっきり言って、十夢さんとはあまり噛み合わず、うまく行きませんでした。たとえば、コロナ禍での最初のチームK公演では、ほかの常連さんを久しぶりにお見送りすることにかまけた十夢さんに私は完全に存在を無視され、飛ばされました。これまでほかのアイドルよりもたくさん時間はあったのに、十夢さんと何を話したのかはほとんど覚えていません。
しかし、卒業を控えて十夢さんは心が穏やかになったのか、今年に入って突然お互いに何かが通じ始めました。そして、最後のオンラインお話し会では、私が要望したとおり「The End To be continued.」とサインの横に書いてもらって、いい"終わり方"をしたと思います。
設定上終わりはあるけれど、本当の意味では何も終わらせることはできない。次にもちこしてしまう。十夢さんと私との関係もそういうものであるようにと、私は「The End To be continued.」という表記に願いを込めたわけです。
しかし、やっと何か気持ちが通じたのかなと思えたのも、19日から28日までのたった9日間でした。やっと少しは気持ちが通じ合えて終わって、いつかはわからないけれども、再開/再会が楽しみになった。そのとたん、卒業コンサート開始前に、ファンクラブ設立に関するフライヤーのなかの「会費880円」を見、卒業コンサート終了後に写真集に関するフライヤーをもらい、「写真集イベント10冊券」を知りました。あまり良心的ではないやりかたで卒業後もファンに対して大量買い誘導を継続していく。大きな終わりを超えて十夢さんと再開/再会する約束をしたのも束の間、努力も虚しく、希望が根底から覆って、やっばり終わりが来ていたことを悟りました。
そうして十夢さんと私との関係の終わりも突然天から降って湧いてきた…のかというと、決してそうではないでしょう。真実は、おそらく、これまであのときにも、このときにも、何度も、十夢さんに感じた違和感で十夢さんに対する希望や期待が私のなかで大きく崩れていたことに私がまったく気づかなかっただけですね。終わりは突然やってくるように見えても、もう中味はじわりじわりと腐っていた物の外側だけが突然壊れただけです。終わりには予兆があり、過程があります。突然終わりが来ることはありません。
ですから、もし生島企画室に移籍していなければ、とか、もし写真集が、とか、もしファンクラブが、とかいわゆるこの現実とは少し違う別の世界線を仮定しても、意味がありません。マルチヴァースなど存在しない唯一絶対のこのユニヴァースのなかで時間をかけて終わるべくして終わっただけです。
しかし、結局、十夢さんとは心は通じ合えなかったと思う反面、心は通じ合えたと思う瞬間がごく短い間でも私のほうにはあったことは事実です。結局通じ合えなかったことを徒労に思うよりも、むしろ、一瞬通じ合えたことには十夢さんにありがたく感謝しています。今年に入って卒業後もファンにお金を多めに使わせることが決定的な情勢になったので、十夢さんが私にさえ媚びてきたから、私が心が通じ合えたと錯覚しただけではないか、とまではもう邪推するのはやめておきましょう。
ただし、このブログで武藤十夢について書くのはもうこれが最後です。なぜかというと、もうアイドルではなくなったからではありません。武藤十夢の物語はAKB48卒業をもってもう終わったと私は考えるからです。
本当にAKB48を卒業できるかどうかは、AKB48という組織を卒業するかどうかよりもむしろ、「AKB商法」、すなわちファンによる複数買い、大量買いへの依存を卒業できるかどうかにかかっています。しかし、十夢さんは卒業後の一歩目であるファンクラブでも、二歩目である写真集のイヴェントでも、大量買いに慣れたファンとその金銭感覚になおも依存してしまっています。AKB48卒業というこの大きな区切りでけじめがつけられなかった以上、これからもつけられないでしょう。
そもそも武藤十夢の物語は歌とダンス、演技、気象予報士、FP、大学院卒、グラビアというバラバラの短編の寄せ集めを強引に快晴、ハッピーエンディングに落とし込もうとするものであり、ファン以外の他人が読んでおもしろい長編小説ではないのです。もう卒業後新たには武藤十夢の物語は続いていきません。もう終わったのです。
先ほど述べた「設定上終わりはあるけれど、本当の意味では終わらせることはできない」この現実のなかで、今日の終わりのあとでも、武藤十夢の物語はだらだらと冗長に続きます。でも、それはAKB48の一年目に戻って繰り返されるのと大きな違いはありません。彼女の物語の続き、続編には何の意味もありません。ビジネスとして赤字で終わるか、黒字で終わるか、それだけです。
野暮になりますが、もっと説明しておきましょうか。たとえば、生島企画室に移籍して、ファンクラブの設立、写真集イヴェントの開催に関しては失敗しても、生島企画室のおかげでTBSに食い込めたじゃないか、とおっしゃるかもしれません。しかし、TVコメンテイターというのは、要するに、詐欺師、占い師のようなものです。
もちろん、詐欺師と詐欺師のような人とのあいだには大きな区別があります。しかし、現在夫の逮捕で話題の三浦瑠麗を含めて、TVコメンテイターなるものは、東大で博士号を取得していようが、あるいはただの芸能人であろうが、自分が判断できる専門領域を大きく越えているのに、得意気にテキトーなコメントをして恥じることのない詐欺師や占い師のようなものです。いくら物知りでも勉強家でも個人の知識には限界があり、当日知らされた時事問題のすべてに的確にコメントすることは、ペテン師のようなものでないかぎり、不可能です。あるTV番組、ネットTV番組が求めるようなそういう万能の"コメント力"など存在しません。正しくコメントしようとするなら、NHK Eテレの『視点・論点』のように10分近くはかかります。しかし、人間の価値をどれだけお金を稼いでいるか、どれだけ仕事のオファーがあるか、どれだけ有名になれるかに一元化するというダークサイドに堕ちると、メディアの魔力を借りて、あやふやなものでも確かなものに見せかけても、TVコメンテイターを演じる人は自分の"コメント力"が恥ずかしくも何ともなく、むしろ誇らしく思えるのでしょう。ほとんどのまともな専門家、芸能人(歌手、俳優、芸人)は出演を断るけれど、民放のTV局は「わからない」「知らない」「興味がない」と正直に自分の無知、無関心を告白したり、ディレクターに「ひとことで」「短く」と言われて「それではこの問題の本質がゆがむので、できません」とは返答したりせずにあたかも全知全能であるかのようにふるまうお調子者、目立ちたがり屋を常にコメンテイターとして求めています。生島企画室はそういう番組に十夢さんを供給しているだけです。
十夢さんの場合、アイドルとしてはブレイクしきらなかったので、『アッコにおまかせ!』に和田アキ子のホリプロ後輩のアイドル枠でふるまえばいい岡部麟と違って、ただの元アイドルではキャスティングされません。これから気象予報士、FP、大学院卒などの肩書きを買われて(エセ)文化人の枠、もしくはひろゆき、杉村太蔵などエセ文化人のたいこもち、幇間の枠で出演、発言させられる流れができています。それを避けると、『サンジャポ』『アッコにおまかせ!』ーー有名人井戸端会議を垂れ流すこういう番組の怪しさがわかるかたはわかりますよね。やっぱり出演を断るまともな芸能人がたくさんいるであろうこともーーなどTBSの番組にキャスティングされなくなるでしょう。生島企画室に移籍したおかげで、売れたければ、詐欺師のような存在になってしまうし、逆に詐欺師のような存在になりたくなければ、売れるチャンスを逃してしまうというダブルバインドに十夢さんははまっています。スタッフも自分たちも責任を問われたくないので、サポートするでしょうが、でも、生放送なので、十夢さん自らが失策を犯す危険もありますし、「わからない」と言ってもやらされる、言わされることもあるでしょう。
そもそもアイドル自体が正体不明の職業です。歌手です、俳優です、と胸を張って言える実績、実体、実力がないのに、なんでもやる。かぎりなくペテン師に近い。しかし、ゆくゆくはだいたいみんなアイドルを辞めてたったひとつでも、確かな実体のある職業につきたい。(そうは思えず、実体不明の有名人として生き、受け手を幻惑し続けることの魔力にはまり込んだひとりが柏木由紀だと思います。現役女性アイドルの最高権威としてトーク番組に呼ばれて、おもしろいことを言えという空気に負けて、ファンを傷つけることを言ってしまう。でも、それによってダメージを受けるのではなく、ほかでも出演を求められ、ファンにもウケて、出演料をもらい、知名度が維持され、セレブ生活を続けられる。)だから、歌手や俳優の道を選ぶことになります。
しかし、十夢さんが今後"大成功"するとしたら、長年特定の分野で地道に実績、実体を作っていくのではなく、美貌を活用し、気象予報士、FP、元AKB48、俳優、元アイドル、グラドルという肩書きを自由に駆使、移動することで他人の信用を勝ち得、有名になり、でも永遠に無責任に専門外のいろんな領域、隙間にも入っていく正体不明の、実体不明の詐欺師、占い師、道化のような人ーーたしかに有名だけれど、でもよく考えると、何をやっている人だっけ、どこに実力の根拠があったっけーーの方向で成り上がっていくことしか考えられません。ひょっとしたら、芸能人としての仕事の数が減少した40歳ぐらいで急に自民党から声がかかって「当選させるから」と言われて恥知らずにも急に「かねてからの政治への意欲」ーーそんなこといつ言ってた?ーーを示して議員、政治家になるのが現在の武藤十夢の人生の上がりかもしれません。
私は柏木由紀の悲喜劇(Tragicomedy:悲劇と喜劇との両面をもった劇)はぎりぎり楽しめても、武藤十夢の悲喜劇を見るのが怖いのです。怖くてしかたがないのです。気づいたら、ファンクラブの「月会費880円」はその第一歩、写真集の「10冊券」はその第二歩だったことになるかもしれません。詐欺師のような人の物語をセレブリティのサクセス・ストーリーであるかのように肯定的に語ることは許されません。実はそれは零落の物語でしかありません。
ただし、十夢さんがFP2級を取得したころは、祝福され、生島企画室もスポーツ新聞に記事を書いてもらうように頼んで成功したようですが、しかし、防災士の資格取得をShowroomで報告したときは、本人はまた褒めてもらいたくても、「またかよ、資格ハンター?いいかげんにしろよ、しつこい」というリスナーの空気ですらをもう読み違えていたようです。書いてくれたスポーツ紙もほとんどありませんでした。もうオオカミ少年が「オオカミが来たぞ」と言っても、誰にも相手にされなくなったように、武藤十夢がまた「〜の資格を取ったぞ」「〜を出すぞ」と言っても、ファン以外は「要するに無理して話題を作っているただのガヤ」とみなし、呆れるだけかもしれません。『サンジャポ』に初めて出たときにTwitterのタイムラインはファンによる肯定的なつぶやきでいっぱいでしたが、しかし、「何、この武藤十夢って子、売れるために必死って感じ」というつぶやきもありました。これはこのつぶやいた人が意地悪でひがみっぽい性格をしているからとかんたんにはかたづけられず、武藤十夢の本質をついていると言えるかもしれません。
あと、補足すると、武藤十夢は「インテリ・アイドル」と言われることがあるし、ご本人は「知的好奇心」と言いますが、武藤十夢はたしかに「働きながら学ぶアイドル」「働きながらスキルアップを狙う社会人」ではあるだろうし、「AKB的思考、アイドル的思考に浸りきって楽観的に雑多な仕事を引き受けていくアイドル、芸能人」でもあるし、そのうえ「経営者、資産家の娘、ブルジョワジー」ではあるかもしれませんが、でも、「知的好奇心」をもてる「インテリ」層ではありません。
理由はまず、現在、荻上チキ、武田砂鉄など卒業生も文化人として活躍していますが、成城大学卒はいくら修士まで通ってもあとに述べるような理由で個人でかなり努力しないかぎり、「インテリ」で通すことは難しく、とくに中学、高校から成城学園に通うのは、十夢さんは慶応を受けたのかどうかわかりませんが、まず「ほんとに行きたかった、行かせたかった慶応には落ちたけど、とにかく親が金持ち」ということに尽きるでしょう。
次に、インテリは基本的にTVは見ません。『サンジャポ』のような番組がいちばん嫌いです。
そして、インテリはTVを見ない代わりに、その時間を本を読む時間にあてます。だから、インテリは自分の部屋に大きな本棚をもっています。十夢さんはシンポジウムで「経済に関しておすすめの本は」と聞かれても、答えられませんでした。「わからないことはネットで調べます」、と。
それから、インテリは「語学はできなくてはならない」というプレッシャーを受けて育ち、暮らします。もちろんそれは競争相手と能力的に同等だった場合、語学の能力、留学歴の有無がインテリの就職を左右するからでもあるでしょう。十夢さんのようにすべての語学がまったくできないこと、英検の2級が取れなかったことには開き直れません。外国を避けて避けて日本限定のテーマを選んでも、そのテーマを論じた必読の英語文献が存在し、日本語に未訳かもしれないので、十夢さんが謙遜しているのでなければ、英語そのほかの外国語の原典を邦訳なしでまったく読まずに書いた修士論文に学位を与えるのは「インテリ大学」では考えられません。修士論文提出以前に、大学から同じ大学の院に進学するさいでも、最低一科目は語学の試験を受けて合格しなくては入学できません。
「インテリ」でないということは、結局「この知識をこう資格取得に結びつたら、こう商品化したら、こう収益化したら、利益が、仕事が...」という発想が頭から離れないということでもあります。
おそらく十夢さんは「インテリ」に出会ったことがないのか、あるいは出会っても「変な人」としか思わなかったのでしょう。今回の件に関しても、「インテリ」の立場や「庶民」の立場なら、「10冊券」「月額880円」は「なし」ですが、しかし、「資本家」の立場や「アイドルが染みついた人」の立場なら「あり」です。
最後に「インテリ」はグラビア写真集は出しません。
さて、何か月か経てば、十夢さんに「The End To be continued.」と書いてもらったあのサイン色紙が届きます。だいじょうぶかな。十夢さんはスペルをまちがえていないかな。まちがえていたら、私はその時点で苦笑いするでしょう。でも、なんとか許せる範囲のミスならば、あの色紙だけは大事に取っておきます。
何年か経って見直すことがあるかもしれません。「The End To be continued.2023.2.19」と書かれたサイン色紙を見て、実はこの9日後、あるいは17日後、このことばとは反対に、もう武藤十夢に関する私のいろんなことが続くことなく、終わってしまったことを思い出して、私は思いっきり苦笑いすることでしょう。続いて、その原因として、卒業コンサートや卒業公演での十夢さんの姿よりも先に「会費880円」「10冊券」を思い出して、さらに苦笑いすることでしょう。
でも、振り返れば、あの表情もそのあとすぐにやってくる嵐の前の静けさだったとしても、2023年2月19日に見た十夢さんの穏やかな表情も私の心に浮かぶはずです。結局、十夢さんは私には人生観、行動様式が理解できない人だった。けれども、この色紙を書いてもらった瞬間だけは私は十夢さんと心が通じ合えた。そのことも思い出して初めて、私も苦笑いではなく会心の笑みを漏らすんじゃないか。そう思います。そして、今は完全には確信はできてはいないけれど、私の苦悩を理解し、卒業後はもう好きなようにしていいよ、と私を解放してくれるために、十夢さんの穏やかなあの表情は、ある種の諦観とともに、顔に浮かんだのだと、その時、私が完全に確信できれば、なおさら私は会心の笑みを浮かべるでしょう。今は十夢さんのことを思い出すと、SMAPの「夜空ノムコウ」やくるり「ワンダーフォーゲル」しか聴けないけれど、やがては武藤十夢の卒業コンサート、卒業公演のセット・リストを聴きながら。
コロナ禍で私の支えとなり、コロナ禍が終息に向かうなかで消えた私の美しく愛しいまぼろし、武藤十夢さんにこれからも幸あれ。心からの敬愛を無限にこめて
ファンクラブにも入ったので、「The End To be continued.」と十夢さんに書かせた自分自身の約束にもう私の心はついていかなくても、かたちだけはこの約束は守りますが、しかし...
武藤十夢あたりで終わりにしなくてはならないと思っていたのですが、うまくいかず終わりの予定が流れました。さあ、また別の理想のアイドルを求めて、終わらない旅をまだまだ続けますか。