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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(15)


みんな「たけしの毒舌はとんでもない」って言うけど、正直な話、これでも昔に比べりゃ、オイラも抑えてる方だぜ。
オイラが「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にきちんと絞めよう親の首」なんて言ってた漫才ブームのころに比べりゃ、正直丸くなったもんだよ。


もし今のオイラの悪口ぐらいのことで「強烈な社会風刺」だって言うんなら、それはどっちかっていうと世間のほうが変わったんだ。
もういい加減にしろよってぐらい、規制だらけ、建前だらけになっちゃった。
そのうちチビのことは「身長の不自由な人」、デブのことは「体重の不自由な人」、ブスのことは「顔面の不自由な人」って言わなきゃいけなくなりそうな勢いなんでさ。


↑(引用ここまで)
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…『規制だらけ、建前だらけ』。


「障害者」を「障がい者」と書いたり、「”かたわ”などの差別的表現はやめよう」と言い出したり。


そう言われりゃ確かにその通りなのですが、「真面目かよ!」とツッコみたくなるような「気の回しすぎ」に見えるのは、私だけでしょうか?


この話で重要なのは、「言われりゃ確かにその通り」という部分です。
「障害者は別に”害”を与えているわけではないので、障”がい”者と書くように気遣おう!」
「”かたわ”は、本来五体満足であるものが”欠損している”という表現だから、使わないようにしよう!」
…正論です。
異論を挟み込む余地がありません。
でも、そんな「正論」ばかりが幅をきかせてる世の中では、「論理的に、配慮的に正しいこと」が何よりも最優先、となってしまう危険性があるように思えるのです。


「その”言い回し”を普及させることが最優先事項なのか?」
「”言い回し”も確かに彼らを傷つけるかもしれないけど、他にもっと配慮すべきことがあるのでは?」
…と、そんなふうにバランスをとっていかないと「”正論”を言ってしまうことが、優先事項の逆転現象を起こしてしまう」可能性があることに気付けない自分が、そこにいるように思えてならないのです。


「他者へ配慮すること」「言い回しを気をつけること」は正しい。その通りです。
私だって、どちらかというと、それを心がけて暮らしている方だと思います。
でも、「”言い回し”に工夫を凝らしてあれこれ時間をかけるより、もっと他に時間をかけることがあるのでは?」と自問できるバランス感覚なくしては、他の文化圏から見たら、非常に滑稽な物言いになっていることも少なくないと思うのです。
…滑稽ですよ、「障がい者」って(笑)。


自戒の念を込めて言いますが、「他者へ配慮しましょう」と口先で言うより先に、そんな配慮が必要な現場にいざ居合わせたときにフットワーク軽く動けるか、どうかだと思うんですよ。
「○○すべき」「○○しましょう」なんてことばかり言っていると、「お前の普段の行動はどうやねん!?」と笑い者になっているかもしれませんよ?


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いつも「コメダ珈琲」では何なので、近所の「珈琲館」へ。

休日の夕飯時ということもあって、かなり空いていました。




子どもの希望で「ボロネーゼスパゲティ」770円とか。サラダ付、541kcal。

ドリンクは200円引きでつけられます。




「バターチキンカレー」700円とかも。サラダ付、621kcal。

これまたドリンクは200円引きでつけられます。

インド料理屋さんで食べるような、バターたっぷりのチキンカレーでした!




食後のアイスコーヒーにあわせて、「抹茶のシフォン」500円なんかも。290kcal。


ごはんものも、パスタものも、サンドイッチものも一通り揃っているので、重宝します。


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↓『現実はマイナーの中に』江川達也著、ウェイツ、2004)より引用(04)


やはり、日和るか日和らないかの問題だと思います。
世間がこういうふうに評価しているけれど、何か自分は違和感を感じる。
その評価の軸に乗っていれば楽だけど、何か自分の中で違いがある。
その違いに正直なのか、正直じゃないのか。


正直にいくと、すぐに映画の『マトリックス』の黒い服を着た人がガッと来るように、学校でも周りでも「何、それ」みたいな感じになってしまう。
ギターをやっている横で三味線をやると、全然女にもてないわけです(笑)。
ところが西洋っぽくラップでキュッキュとやると受ける。
周りがすべてそうなっているときに、でも何か違うんだよな、おいしくはないけど「私はこれでいいと思う、これが私らしい」、という方向に行くか否かだと思います。


↑(引用ここまで)
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世間で大多数の人が評価しているものに対する「何か違うと思うんだよな」という「違和感」。
多かれ少なかれ、そういう個人的な「違和感」、みなさんお持ちだと思うんです。


しかし問題なのは、その「違和感」に従って強く出るか、周りから白い目で見られたり「それは間違っている」と批判されるのが怖くて、日和って「違和感」を揉み消すか、そのどちらの作業を多く繰り返して生きてきたか、だと思うんです。
…その作業量が、その人のオリジナリティの度合いを決める。
そして、「違和感」を大切にして、「世間の評価」と日々戦わせて孤高に生きている人は少ない、と私は感じています。


「テレビは見ない」「携帯電話は持たない」「クルマやバイクは持たない、乗らない」「インターネットはやらない」「コンビニや自販機は使わない」「ティッシュペーパーは使わない」なんていう、その人独自の「違和感」から生まれた「こだわり」を貫いている人にはなかなかお目にかかれませんから、みなさん、「便利」「このくらい”あたりまえ”でしょ」という世間の波にのまれ、「自分の判断で、取捨選択をする」「自分の感じた”違和感”を大切にする」ことを忘れてしまっているのかもしれません。


…これだけ「自分らしさ」「オンリーワン」なんて言葉がもてはやされているご時世なのですから、こういった「違和感」を大切に、「周囲から”ヘン”に思われても貫こう」みたいなことがもっと言われてもいいように思うのですが、やっぱりみなさん日本人気質というか、「出る杭」にはなりたがらないのが実情でしょうか。


ゴールデンタイムの人気バラエティ番組を見ながら、文字の打ちにくい最新のスマートフォンでゲームやインターネット。
深夜まで煌々と電気のついたコンビニや自動販売機に何の「違和感」も持たず使いたくり、考えることといえば、「美味しいものが食べたい」「旅行に行きたい」とかそんなことばかり。
休日は渋滞や人込みにすすんでお出かけ、人気のラーメン屋か何かの行列に並んで何時間も過ごす。
…こんな暮らしぶりの一体どこに、「自分らしさ」「オンリーワン」があるというのでしょう?


「人から白い目で見られても、”違和感”を大切にしよう」
「便利なもの、世間が”良い”と言うものにはすぐに飛びつかない」
…私だったら、こう言って「オンリーワン」を後押しするんですけどねえ…(笑)。


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主に寝ているときなどに歪んだ身体をハンマーで矯正してくれる「ほね大工」さん。できるだけ、毎月通うようにしています。


そして、それを終えたあとは…




「餃子の王将」です!




曜日限定の「濃厚ニラ天津麺」500円なんかも。…ベースはふつうの「東京ラーメン」で、たまごあんかけが乗っかている感じです。




「豚キムチ」518円は、意外に味噌ベース!


前回は先月末だったので、6月あたままでにはまた行きたいところです。。


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↓『現実はマイナーの中に』江川達也著、ウェイツ、2004)より引用(03)


大学でもどこでも、理路整然としたきちんとした意見は評価されない社会になっています。
大学入試なんかでも、頭の悪いやつほど評価されるようになっている。
オタクのように、社会の中でより無意味なことを山ほど知っているやつが評価される。
そういったことを学習した人たちは、よりまたどうでもいい知識を山ほど詰め込もうとする。
人間は無駄な知識をたくさん覚えることによって快感を覚える生き物だから、ますます無駄な知識を膨大に集めるようになる。
しかもそれは危険性がない。
有用な知恵を得ると生きにくくなるけれど、無駄な知識を得てそれをしゃべると、みんなが「へぇ、へぇ!」とか言って感心する。
オタク的なものが評価の対象になって、無駄な知識をたくさん知っているやつほど、おいしい思いをするようになるんです。


本来の教育とは、ある種の目的をもって、そのためにどうするかを教えなければいけないわけです。
そういう教育を受けている人は、オタク的なものに対してはあまり反応しないと思います。
でも、そういうものが評価された試しはほとんどない。


↑(引用ここまで)
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ここ数年、テレビのバラエティ番組やらで、クイズ番組や「うんちく」系の番組がゴールデンタイムにひしめきあっていたり、書店でも「うんちく」系の本や「いまさら人に聞けない○○」なんかがベストセラーになってたりしている様子を見ると、江川氏も言うとおり、『どうでもいい知識』を語ることがもてはやされる現状は、確実にあるようです。というか、「大流行」と言わんばかりの様相です。


…でも、インターネットが台頭してきた頃に、よく言われていたはずですよね。
「これからの時代は、ネットで検索できる程度の知識なんて子どもでも入手できるんだから、その知識を”どう活用するか”の方が重要になってくる」と。
しかしどうやら、「どう活用するか」の方が注目を浴びたり、評価されたりする世の中にはなっていないようです。
まだまだ、「オレ、こんなことまで知ってるんだぜ」→「すごーい」の図式が、世の中の関心事のようです。


確かに、「オレ、こんなことまで知ってるんだぜ」→「すごーい」の図式は、言ったほうも、言われたほうも、なんだか気持ちよかったりします。
「こんな漢字も読めないの?」「こんなことも知らないの? やばいよ」と煽られれば、「そうか、何か本でも買って勉強しなくちゃダメかな」なんて思ってしまいそうです。


…でも、そんな知識、必要でしょうか?
「ネットで調べればわかる程度の知識」も息抜きとしては大変結構ですが、そんな「息抜き」にばかりみんなの目が向いているこの状況は、「異常」ではないでしょうか?


私たちは何を大切にして生きるのか、何を「美しい」と評価する国でありたいのか、江川氏も言う『ある種の目的をもって、そのためにどうするかを教え』る教師やリーダーなくしては、この「安易なものばかりに目がいく」流れは修正していけないのかもしれません。


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ドトールに新作のケーキが出ていたので、ドリンク購入ついでに買ってみました。




「オレンジのレアチーズ」370円で229kcal。


オレンジピールを練り込んだチョコレートケーキなんかは苦手なのですが、これはなかなか合います!


最近は、スイーツでもミラノサンドでも「ドリンクセット」で一律50円引きのサービスに変更になったので、50円引きの「ガソリンチケット」やドコモプレミアクラブの「サイズアップクーポン」(ドトールは1サイズアップごとに50円増し)があれば、いつでも同じ割引で購入できます。

…あまりお得感がないですけど。。(^_^;)


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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(14)


だけど、(「IQ84」が)これだけ売れりゃ出版社も村上春樹のヨイショをするしかないよな。
辛辣な批評でもして自分のトコで書いてもらえなくなっちゃ、オオゴトなんでさ。
どこの出版社でも「あわよくばウチも」なんて思ってるわけで、もうどこからも悪口なんて出てこないわけだよ。


だけど、売れるもの、強いものには必ず「アンチ」がいるわけで、村上春樹の悪口を聞きたいって人はホントはそうとう多いはずだぜ。
『週刊ポスト』あたりでも悪口書いてみたらいいのにさ。
『ポスト』の記者のアンチャンがいくら頼んだって、「女性器」とか「TENGA」とかやってるんだから、お上品な村上センセイは書いてくれないぞ。
悪口言えないんだったら、オイラが代わりにガンガン言ってやろうか(笑い)。


「国民的小説」「国民的ドラマ」なんて大騒ぎするのはいいけど、そうなると批判的な声はこの国じゃまったくなくなっちゃう。
「売れたものは叩けないファシズム」ってのが、この国にはあるってことだよな。


↑(引用ここまで)
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…『売れたものは叩けないファシズム』。


有名ホテルの食品虚偽表示はあれだけニュースになったのに、ディズニーオフィシャルホテルの食品虚偽表示は、あまり報道されませんでしたね(私の知る限りですが)。


そりゃあ、ディズニー(オリエンタルランド)のスポンサー(NTTやドコモ、第一生命など)のイメージダウンにもなるし、ディズニー自身も、大手新聞社の巨大広告からゴールデンタイムのテレビCMまで、巨額のスポンサーであることを考えれば、新聞やテレビで大きく叩かれないのも頷ける気がします。


そういう目で日々の報道を眺めていると、ツイッターか何かで個人的に「アンチ」を謳うことはあっても、組織的に「アンチ」な意見が「意図的に報道されない」ことも多いように思えてくるのです。


それは、すでに「売れたもの」「売れているもの」に限ったことではなく、「今、これが流行っています」だとか「○○が今、注目されています」だとかいう一般の報道も然りです。


「今、これが流行っています」なんて、本当に流行っているのかどうかも怪しい報道に、マイクを向けられ「別に興味ありません」なんてコメントをしても、そんなインタビューはもちろんカットされるでしょう。
というか、本当に流行っていたらみんなが知っているわけだから、報道する必要すらないと思うのですが…(笑)。
どうにもそこに、「もっと世間の目をそこに集めよう」という「商業的(または政治的)意図」「金儲けのにおい」を感じてしまうのです。


3.11震災当時の東京電力バッシングなんて、そんな「政治的意図」の最たるものですよね。
私は「確かに対応が後手後手かもしれないけど、逃げずに現地で頑張っている社員もけっこういるわけだし、もっと評価されてもいいんやないかなあ」「自分が社長だったら最善・最速の対応ができたか? と言われたら難しいんとちゃうか」くらいに思っていたのですが、そんな東京電力を擁護するような報道は(私の知る限りでは)まるでされていませんでした。
「遺族の気持ちを考えて云々…」とか何とか理由をつけて、STAP細胞の小保方さんのように、東京電力がやり玉にあげられたわけですよ。
おかげで、東京電力バッシングに対する「アンチ」な少数意見は報道されずに、「東京電力は何をやっているんだ!」という方向に世論が誘導されていったわけです。…まさに『ファシズム』!


「報道されるもの」と「報道されないもの」。
個人的にネットやらで、無責任に「アンチ」をつぶやいて悦に入るつもりは毛頭ありませんが、少なくとも「報道されないもの」「世論を誘導する商業的(政治的)意図」を想像できないようでは、民主主義国家に生きるひとりの「主権者」だなんて、口が裂けても言えませんよね。


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先日、毎年恒例Y君の誕生日きっかけでT君、S君が久しぶりに集合。


先週Y君が卓球来訪した際に披露しておいたWii+ドラクエ10のセットを使い、私のWiiUも併用してサクサクと進めました。…ちなみに、先週オフライン終了後アップデートするのに、2時間+2時間で4時間かかりました。。


T君の仕事あがりに合わせて買い出しに行ったところ、Y君の希望で「ごま坦々鍋」+中華麺を調理。


深夜2時までモンハン。S君のハンターランクが5だったのは誤算でしたが。。(^_^;)


T君が遅番出勤にしてくれていたおかげで、9時前に起きて、朝モス持ち帰りでみんなで朝食を食べることができました。


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↓『現実はマイナーの中に』江川達也著、ウェイツ、2004)より引用(02)


戦後の教育は、合目的なかたちで行われてこなかったのです。
ある目的があって、その目標のためにこういう勉強をやるということではない。
実際の生活でこういうことが役立つから、いまこういう勉強をしていますといった教育を、戦後はやらなくなってしまった。
目標もはっきりしないまま、意味のないことを暗記しなさい、というのが戦後の教育です。


その背後には戦後の冷戦構造や、日本が戦前の否定から出発せざるをえなかったという、歴史的な事情があります。
戦前のことをある目的をもって研究していくと、必ずしも戦前は否定すべきではないことが明らかになってしまう。
それは、戦前を否定したい人たちにとっては都合が悪い。
社会主義においても同じで、突き詰めて世の中のことを考えていけば、日本的な社会主義が矛盾をはらんでいることに突き当たる。
その矛盾を合目的に解決しようとすると、その社会体制の批判になってしまう。
だから戦後の教育は、否応なく無意味なことを暗記させる方向へ向かったんです。


↑(引用ここまで)
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日本の学校教育をどうするか。
これからもずっと、国語や数学、社会といった従来の科目を教え続けるのか。
それとも、「コミュニケーション」や「職業体験」といった新しい「役に立つ」科目にとって代わるのか。その場合、教材や教師はどうするのか。
…この問題に対して、明確なビジョンをもっていて、実現可能な形で提案をできる人がどれほどいるでしょう?


私は、大学でのんびり楽しんで哲学をやっていたクチなので、個人的には、「世の中に役に立たない”哲学”など不要だ」「”学問”は社会に有用なものであるべきだ」とまで言い出しかねない昨今の世情に危機感を覚えています。
国語にしろ数学にしろ哲学にしろ、「学問」には「生活の必然とは無関係な、高度な”遊び”」「”教養”という贅沢」といった側面があるということは、忘れてはならないと思うからです。
「学校」も「社会」の一部なのだから、「社会」の利益に従属しなさい、日本の「経済」に従属しなさい、というのは確かに正論かもしれませんが、「なんでもかんでも”経済”優位と考える社会を目指すべきなのか?」と物申すことのできる「ゆとり」を奪ってしまうのには賛成しかねます。


だから、子どもが「なんで数学なんて勉強しなくちゃいけないの?」「”因数分解”なんて勉強しても、将来役に立たないじゃないか!」なんて聞こうものなら、「おまえの言う”役に立つ”とはどういうことだ? メシの種にならないことは一切”役に立たない”のか?」「おまえは身につけるべき”教養”についてどう考えているんだ?」と答えるようにしています。「”数学”を勉強することで、論理的思考が養われて云々…」なんて後付け的理由を並べることはありません。


…とはいえ、江川氏も言うような『目標もはっきりしないまま、意味のないことを暗記しなさい』といった現行の「科目」をこのまま続けていくのも、「教える側の都合」が色濃く残っていることは否めないし、現状に合った「実学」を導入することは必要だと思います。…現行の教師たちを全員いっぺん解雇するとなれば、相当な抵抗があるでしょうけど(笑)。


私に言えるのはそのくらいで、今この場でとりたてて代案も出すことができませんが、「我々日本人が身につけておきたい”教養”と”技術”は何か?」について考え、語ることで、一歩ずつでも、そこに近付ければと思う次第です。


今回は、所信表明で終わりです。すみません。

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先日、9枚綴りで3,200円の「コーヒーチケット」が2,700円で3日間の限定販売。しかも、粗品で豆菓子(大)のおまけつき。

さらに、新発売の7枚綴りで3,200円の「たっぷりコーヒーチケット」が、これまた2,700円で3日間の限定販売。おまけつき。


調子に乗って、その2種類の限定日が重なる日に、5,400円も出して1種類ずつ購入。。




従来の「コーヒーチケット」は、ブレンド珈琲やアイス珈琲といった420円ものしか注文できませんでしたが、「たっぷりコーヒーチケット」は、「たっぷりアイスカフェオーレ」など、ミルク入りのものも注文できます。




…モーニングサービスついでに「ビーフシチュー」なんかも注文。


やっぱり、あったか~いおしぼりを出してくれるお店は、子どもなんかがいても、落ち着いてお茶をしばけます。


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