2025年の振り返り【前半】 〜メンタルクリニック受診と休職〜
2025年の出来事を振り返ります。不妊治療以外のことは最近はあまり書いてこなかったのですが、大きな出来事が色々あったので書き残しておきたいと思います。特に仕事を休職したのは自分の中で大きな出来事でした。当時のことはあまり思いだしたくないことでしたが、時間が経って精神的に落ち着いてきて、ようやく振り返れる気がします。将来の自分のためにも残しておきます。1月〜子宮内フローラ治療と土地購入〜仕事で新しい部署に異動して3ヶ月目。引き継ぎをちゃんとしてもらえないまま前任者が退職し、まだ分からないことばかり。飛行機での出張があったりして体力的に少しきつい。不妊治療の方は、前年の2024年はリプロに転院してから保険採卵を1回し7個の胚盤胞を凍結できたものの、5回の移植をして一度も着床していませんでした。2024年12月に、今後の方針について松林先生にブログで相談していました。2024.01 リプロ東京へ転院2024.01 追加の不育検査実施。異常があったのは、第12因子活性53、ビタミンD 32のみ(サプリ開始)。BCE 陰性。2024.03 人工授精 陰性2024.04 人工授精 陰性2024.05 採卵 ふりかけ、Zymot実施、13個採卵、7個凍結2024.06 子宮鏡 異常なし2024.06 移植3)(保険)5日目4AA、ホルモン補充 →HCG <0.32024.07 移植4)(保険)5日目4BA、自然周期、SEET法 →HCG <0.3(卵胞の育ちが遅くゴナールペン使用しながらD30で移植)2024.08 自然周期にてERPeak、窓ずれなし2024.10 移植5)(保険)5日目4AB&5日目4BC、自然周期、エンブリオグルー →HCG <0.3(卵胞の育ちが遅くHMG富士150使用しながらD27で移植)2024.10 子宮収縮検査 異常なし2024.11 移植6)(保険)5日目4BB、ホルモン補充、前周期スクラッチ →HCG <0.32024.12 移植7)(自費)5日目4BB、G-CSF、ピシバニール、プレドニン、移植日からヘパリン →HCG <0.3M先生に上記の経過を説明して相談したところ、以下の通り。(2024.12.28 Q&A4255)○子宮フローラ検査を行うこと○移植は前院で唯一着床した時の方法で移植(エストラーナテープ、デュファストン、ウトロゲスタンでオプションなし。不育症対策でバイアスピリンだけ移植日から開始。)○移植時の胚のステージが進んでいる場合は、移植時期をずらしてみる価値ありこの松林先生からのアドバイスをもとに、2024年12月はまだ行っていなかった子宮フローラ検査(ER Biome)をしました。子宮フローラは着床との関連が薄いということで優先席が低く今までしていなかったのです。(BCE検査も前回の検査から1年経っていたので同時に再実施)その結果が2025年1月に出ました。結果、善玉菌の乳酸菌系は0%、悪い菌のガードネレラバジリナスがいるということで引っかかりました。ただ悪い菌がいると着床しにくくはなるけど、原因かと言うと微妙ということでした。抗生剤、ラクトフェリン、プロバイオティクスで治療しました。一方プライベートでは、家を建てるために土地を購入しました。2月〜子宮内フローラ再検査とハウスメーカー選び〜悪い菌がいなくなったかの確認のため、再度ER Biome検査。結果が出るまで待ちなので、リプロ通いが少なくのんびり。プライベートでは家を建築するハウスメーカー探しに精を出していました。毎週末モデルハウスを巡っていろんなハウスメーカーと面談をしていました。3月〜子宮内フローラ治療完了とハウスメーカー決定〜2月に受けたER Biomeの結果、悪い菌は無事にいなくなったことを確認。相変わらず乳酸菌系は0%だったのが気になり松林先生に確認しましたが、この検査は菌が検出されなかったことは菌がいたことと同義と考えるらしく、気にしなくて良いとのこと。また乳酸菌が着床に影響している説は最近はトーンダウンしていることからも気にしなくて良いとの見解でした。夫婦で関西出張の日程が見事に重なってしまい、母に泊まりで来てもらい息子の面倒を見てもらうなどバタバタ。ハウスメーカーはほぼ決定し一安心。息子の小学校入学(2026年4月)までに引っ越ししたいため、打ち合わせを急いで行う必要があると分かり、急ピッチで家づくりについて調べ始めました。4月〜リプロでの6回目移植で初着床と体調の異変を感じ始める〜移植方法を再度、松林先生と相談。12月に受けたアドバイスとおり、前院の方法でオプションを付けずに実施&着床の窓を胚のステージを考慮して実施することにしました。リプロで採卵して凍結した最後の胚盤胞を移植しました。これがなんと着床しました。ようやく必勝法を見つけたと思いました。遠回りしたけど、前院の移植方法が私には向いていたことがわかりました。不育症対策は万全にということで、免疫グロブリン以外はリプロでできる全ての対策を実施しました。一方仕事では、責任が重いプロジェクトをリードすることにストレスを溜めており、夜中に目覚めて眠れなくなったり、仕事中に泣き出すことがありました。こんな状況は続けられないと思い上司に相談するものの、一時的な気分転換を勧められるだけで、根本的に仕事の状況は変わりませんでした。家づくりでは間取りの打ち合わせが始まりました。調べることや考えることが増えていきます。5月〜5回目の流産と仕事を辞めることを考え始める〜胎嚢が確認できました。7週にはうっすらと心拍が見られましたが、8週には確認できず稽留流産となりました。リプロで手術をしてもらい、染色体の検査に出しました。流産のことは残念だったけれど、5回目なこともあり淡々と受け止めていました。仕事はゴールデンウィークで少し休めたこともありリフレッシュできたので、精神的には少し持ち直していました。海外出張が入りそうでしたが、体力的にも精神的にもきつい状態が続いていたので断りました。ここで仕事を続けること自体に疑問を持ち始めていました。まだ染色体検査の結果が出ていませんでしたが、もし流産の原因が染色体異常ではなく私の身体が原因だった場合、あとできることは仕事を辞めてストレスをなくすことなのではと思い始めていました。単純に仕事から逃げたいという気持ちもありました。仕事のストレスが流産に影響しているとなんとなく思っていました。一旦家計の棚卸しをして、資産がどれくらいあるのかや老後までの生活資金などのシミュレーションをしました。どこかで仕事を再開することは必要だけど、一旦やめても生活はしていけそうだと考えました。不妊治療を理由に休職できないか会社の制度を調べましたが、そのような制度はなかったので、やはり退職かなと。染色体検査の結果が出たら最終決断しようと一旦保留。母に、不妊治療を優先したいから仕事を一旦やめることを考えていると伝えると、「いいんじゃない」と言ってくれて少しホッとしました。「何を優先するかだから。決めたなら応援するよ」と。家づくりに関しては打ち合わせが佳境に入りました。毎週の打ち合わせと展示場巡りで週末は休むことなく慌ただしく動いていました。6月〜メンタルクリニック受診と休職〜染色体検査の結果、22トリソミーで100%妊娠継続できないと言われました。染色体異常だったことは少しホッとしました。私の身体が原因だった場合には、次どんな対策をしたら良いのか見えていなかったからです。染色体異常だった場合は次はPGT-Aをしようと決めていました。凍結胚はもうないので採卵からの実施です。仕事では重めの出張があり、精神をだいぶ削られました。6月は新幹線での移動を伴う出張が3件あり、体力的にもギリギリでした。家づくりの打ち合わせも引き続き毎週末あり、休む暇なく動いていました。そして体調が6月頭くらいからおかしくなっていました。睡眠が浅く、朝方3時くらいに目が覚めて仕事のことが頭の中を巡り眠れなくなりました。毎日頭痛があり頭痛薬を飲んでいました。仕事中に急に頭が働かなくなって文章が読めなくなったり、ミーティング中に人の話している言葉が頭に入ってこなくなったりすることが増えました。Apple Watchを装着しているのですが、高心拍数の異常を伝えるアラートを出すようになりました。頭痛があまりにも続くので脳神経外科に行きMRIを撮ってもらいましたが異常はなく、緊張性頭痛という診断でした。首肩のストレッチの方法を教えてもらい、頭痛薬を処方してもらいました。しかし劇的な改善は見られず頭痛薬で紛らわしているだけです。チャッピーに症状を伝えて相談すると心療内科に行くようにアドバイスがありました。行くほどの症状なんだろうかと思いつつも、改善する糸口が欲しく心療内科を調べ始めました。できるだけすぐに受診ができて、できればオンラインではなく対面で話せるところを探しました。口コミを見るとどこもまあまあ悪い口コミがあって心配になりましたが、先生との相性とかもあると思うので、気にするのはやめてネットで即日予約ができるメンタルクリニックを予約しました。とにかく話を聞いてもらって客観的に今の私の状態を診てもらいたいと思いました。まだ頑張れるのか、ストップをかけるべきなのか。仕事帰りに予約してきたメンタルクリニックへ行きました。若めの男の先生でした。(私より年下かもしれない)どういう症状があるのかや私の置かれている状況についてゆっくり話を聞いてくれました。話を始めてすぐに涙が止まらなくなり、泣きながらつらつらと話していました。仕事の話も不妊治療の話も流産の話もしました。結果、不安感と少し鬱があるとのこと。頭がフリーズしたようになるのは鬱の症状でもあるけど、単に寝不足の可能性もあると。原因がはっきりしている場合は適応障害で、おそらく仕事が原因だと思うから、最低でも1ヶ月の休職するようにと言われました。また「休職は2-3ヶ月が普通。中途半端に復職するのが良くない。また部署異動しないと復帰しても同じ環境になることが多く再発する。復帰時の診断書に部署異動することを書くこともできるから」と言ってもらい心強かったです。翌週に大事な出張が2件(どちらも新幹線で移動する距離)入っていたので、それが終わってから休職したい旨を伝えたところ、行かないことがストレスになるのであれば行っても良いとのことでした。甲状腺ホルモンの数値によってはそれが鬱の原因になることもあるとのことで、次回に伊藤病院の結果を持っていくことになりました。(クリニックでも血液検査出来るようですが、別の病院で検査していることを伝えました)そして適応障害の診断書をもらい帰宅。上司は休暇中で海外にいるので、上司の上司である部長にオンライン面談をお願いし、時間をとってもらいました。そして現在の体調とメンタルクリニックで診断書が出たこと、来週の出張が済んだら休職したいことを伝えました。部長は驚きつつもあっけらかんとした様子で「気軽に考えなよ!」という反応で「伝わってないな」と思いました。その後部長から人事総務部に伝えてもらったところ、夕方ごろ人事総務部の方から電話がかかってきました。要約すると「あなたの体調が1番大事なので、明日から即休職すること。来週の出張は絶対に行ってはダメ。」翌日から休職とは考えてなかったので、引き継ぎとかどうしようかと真っ先に思いました。人事総務部の方いわく「大変申し訳ないけど、引き継ぎの内容だけ何かにまとめて上司に送って欲しい。だけど明日から休職にするから、明日引き継ぎ書作ってもらった時間は勤務にならない」「そして引き継ぎ書を送った後はパソコンも携帯電話もオフして、決して開かないでください。社員とも連絡をとらないように。会社関係の連絡は私を通して、電話のみにしてください。とにかく仕事のことは忘れて休むことを第一にしてください」ああ、もう休んでいいんだ。会社がこう言ってくれてるなら全て投げ出して休もう、と思えました。この電話を受けてから急いで引き継ぎ書を作り始めました。夜中までかかって作り終わり、朝イチで上司と部長に送ってからパソコンと携帯電話をOFF。上司と直接話さぬまま休職するのはどうかと思いましたが、もう気力がなかったです。上司も部長も私が追い詰められた環境を作った一因だったので。今振り返ると、頑張るエネルギーは残っていなかったです。毎日頭が痛くて辛くて仕事できる状態じゃなかったです。休んで良かった。この休職がパラダイムシフトも起こしました。こんなに人生について考えたのは就活をしていたとき以来かも。何が自分にとって大事なのか落ち着いて考えることができた期間でした。大事な充電期間となりました。