「来てくれませんね〜」

 

 

 

私たちは、通りに出てタクシーが来るのを待っていた。

 

 

 

今日は息子の高校の入学式。

 

 

 

今、タクシーが来てくれないと、

 

 

 

保護者受付時間終了までに

 

 

 

到着するのが難しくなるかもしれない。

 

 

 

(朝は、二人で分担して必死になって仕事をしてたから、こうなった😂💦)

 

 

 

「来てくれませんね〜」のほうに

 

 

 

意識を向けたら、

 

 

 

「来てくれない」

 

 

 

現実として、広がっていっちゃうから、

 

 

 

それはやめよう。

 

 

 

「間に合ったー!」私が言う。

 

 

 

「ギリ間に合ったー!」夫が言う。

 

 

 

「ちょうどいい時間に到着!」

 

 

 

「いい運転手さんだったー!」

 

 

 

「何色のタクシーに乗りたい?

 

 

 

私は、「GO!」って書いてある黒くて

 

 

 

大きいやつ

 

 

 

いいね、大きい車がいいね

 

 

 

すると、その次のタイミングに、

 

 

 

本当にGO!と書いてある、黒くて大きいタクシーが

 

 

 

「空車」のマークでやってくるのが見えた。

 

 

 

「やっば!😂」

 

 

 

私たちは顔を見合わせる。

 

 

 

そして、私たちは無事に息子の入学式に

 

 

 

間に合ったのだ。

 

 

 

 

こんな風に、

 

 

 

私たちは、

 

 

 

望んでいること

 

 

 

「時間通りに落ち着いて到着したい」)と、

 

 

 

意識を向けていること

 

 

 

「タクシーがこない、間に合わない」)が

 

 

 

真逆になっていることに気づかず、

 

 

 

平気で、気軽に、

 

 

 

望みとは真逆の現実を

 

 

 

強めてしまうことを

 

 

 

日常的にやっている。

 

 

 

どうだろう?

 

 

 

宿題をやっていない子供に対して、

 

 

 

「うちの子、ホントだめ、、、」

 

 

 

手伝ってくれない夫に対して、

 

 

 

「マジで、頼りにならない」

 

 

 

頑張っているあの人に対して、

 

 

 

「なんか、バカみたい」

 

 

 

感情的になってチラっと思ってしまったことは、

 

 

 

本来、望んでいることではないのに、

 

 

 

気づいたら、

 

 

 

そればっかりに意識をフォーカスしてしまっていることって、

 

 

 

ありませんか?

 

 

 

私たちは、

 

 

 

自分で力強く意識を向けたことを

 

 

 

体験するように

 

 

 

どうやらなっているみたいだから。

 

 

 

宿題をやらない子供を見て、思い出すことは、

 

 

 

「子供が自分で決めたことを、

 

 

 

自分で責任を取れる人になれるよう、私は応援したい」

 

 

 

かもしれないし、

 

 

 

手伝ってくれない夫を見て、思い出すことは、

 

 

 

「大変な時に、助けて!って誰かを頼れる私になりたい」

 

 

 

かもしれないし、

 

 

 

がんばってるあの人を見て、思い出すことは、

 

 

 

「私も、本当はあんな風になりたい」

 

 

 

かもしれない。

 

 

 

 

 

 

望んでもいないことを

 

 

 

頭の中に野放しにして

 

 

 

気軽に

 

 

 

じーーっと

 

 

 

ずーーーーっと

 

 

 

意識を拡大させ続けている自分に気づいたら、

 

 

 

「本当は、自分はどうしたかったんだったっけ?」

 

 

 

って思い出してあげようね。

 

 

 

意識の使い方は、毎日練習できて、

 

 

 

練習すれば、上手になれるから。

 




ニコッ🐾

 

 

 

・タクシーが来ない時は結構練習しやすい✏️(スタエフでも話してたな🎙)