先日、夫と一緒に歩いていて

 

 

 

信号が青になって渡る時、

 

 

 

「はーい、今から、白い線しか踏んじゃダメですー!」と

 

 

 

白い線の上だけを踏んで信号を渡るゲームを

 

 

 

突然私が始めたら、

 

 

 

夫は、

 

 

 

「こんな横断歩道の渡り方したの、人生初、、、」

 

 

 

と、ちょっと引いてました。

 

 

 

(ちなみに私は、横断歩道の白い線の上しか踏んじゃダメ遊びは、

 

 

 

子供の時から一人で結構やってました😂)

 

 

 

「私だって、Kennyくんに出会って人生初を強いられたこと、

 

 

 

結構あるよ、、

 

 

 

その中でのベスト1は、、、

 

 

 

うーん、えーと、あれかな。

 

 

 

「楽しいね」とか、「うれしいね」って

 

 

 

最初の頃、私が連発した時に、

 

 

 

「感情を強要されるのは、あまりいい気分ではないなー」って

 

 

 

言われたことかな。

 

 

 

あれは、人生初の「自分と他者はちがう」

 

 

 

強烈に痛感したやりとりだったなー。

 

 

 

その次が、移住かな。」

 

 

 

「移住が、下回るんだ、、笑」

 

 

 

そう、東京から福岡への子連れ移住よりも

 

 

 

私にとってインパクトが大きかった「指摘」だったのです。

 

 

 

「感情を強要されるのは、あまりいい気分ではないなー」

 

 

 

初めて言われた時は、

 

 

 

「私、いけないことしちゃったのかな、、、」と

 

 

 

一次反応では思ったのだけど、

 

 

 

じっくり、その一言を染み込ませてみると

 

 

 

私はいけないことはしてないし、

 

 

 

彼が冷たいわけでもない、

 

 

 

ということが理解できた。

 

 

 

 

「たとえ、その時その感情に

 

 

 

『共感』はできなくても、

 

 

 

『理解』はしたいと思ってるよ。」

 

 

 

パートナーからそう言われた時、

 

 

 

「共感」することの優先度を

 

 

 

高設定にして生きてきた私は、

 

 

 

そうではない人種がいることに

 

 

 

初めて気づいたんじゃないだろうか。

 

 

 

 

彼は、

 

 

 

「自分と他者はちがう」ことを

 

 

 

当然のこととしてインストールして生きていて、

 

 

 

だからこそ、

 

 

 

「ちがうのに、同じふりはできないし、しない」

 

 

 

という誠実で、愛ある姿勢で

 

 

 

ただ、淡々と述べたにすぎない。

 

 

 

 

 

 

衝撃の大きかった彼の「指摘」から数年。

 

 

 

ありがたいことに私もだいぶ、

 

 

 

「自分と他者はちがう」ことを

 

 

 

当然のこととして捉えられるように

 

 

 

態度もコミュニケーションも変わったのだと思う。

 

 

 

「自分と他者はちがう」

 

 

 

という姿勢を身につけることで

 

 

 

得られたのは、こんな気づき。

 

 

 

「おなじ」ことを前提とすれば、

 

 

 

「ちがう」ことは「違和感」になるし、

 

 

 

そもそも「ちがう」という前提ならば、

 

 

 

その「ちがい」は、「おもしろい発見」に変わる。

 

 

 

そっちのほうが、ずっとおもしろいよね。

 






 

 

・「ちがう」シリーズ✏️

 




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