“不妊治療で
双子を授かった人の行く末”
もちろん
↑私のことなのですが...
本日は
こちらの記事の
続きになります
私が13トリソミー天使ママになった
経緯はコチラです
自分を制限する『○○べき論』
前回の記事では
不妊治療で地獄が終わったら...
多胎育児でも
地獄が待っていた...
そして
悩みの原因は
もちろん違うのですが
両者が抱える悩みの本質は
“ほぼ同じ”というのが
垣間見えてきました。
その正体は
『○○べき』という
自分を縛っている考え方や
信念だと思われます。
そんなことを呟きました
その『べき論』という考え方や信念は
✓手放しましょう!
✓自分を許しましょう!
✓自分に許可しましょう!
というアプローチで
解消していくことが
一定の効果をもたらすと
信じていたのですが
多胎育児支援を通して
それは
その場しのぎにしかならない
対症療法だったと
気づきました。
歴史は繰り返す
許す?許さない?
手放す?手放さない?
二元論で
物事にアプローチしていると
不妊治療を終えたとしても
また
育児で同じ問題が
立ちはだかってくるのだと
思っています
なぜならば
自分だけの問題では
ないからです...
横たわる暗黙的な了解
例えば
不妊治療でしたら
✓女性は子供を産む
✓結婚したら子供を持つ
という社会通念が
暗黙的に横たわっており
私達は
無意識的に
その意見に迎合しています
迎合せざるを得ない
というのが現状だと思いますが。
もちろん
子どもを授かりたい理由は
人それぞれですが
上記の様な思いも
多かれ少なかれあるはずです
そして
それはナチュラルに存在しているので
認識に上がってくることは稀で
ただ、なんとなく
訳も分からず苦しいです...
一方で
多胎育児に関しては
✓女性は子供を産む
✓結婚したら子供を持つ
その考えが
更に進化して
結婚して子供が誕生し
家族という形が出来る
そして
それを担う女性は
(なぜか)
完璧に育児が出来て
子どもを
立派に育て上げることが出来る
そんな共同幻想を
女性も男性も持っています。
理想の母親像だけが
独り歩きし
『その通りに出来ていない自分は
おかしいに違いない!』と思い
私の努力が足りない...
私はママとしてふさわしくない...
そう、多胎ママ達は呟きます...
「そんな大げさな~」
という感じかもしれませんが
そもそも
その考え方自体がおかしいと
疑問を感じる時間や
心の余裕すらありません。
日々のタスクが多すぎて!
そして結果的に
(完璧にできていなくて)『辛い...』
と思っています
忙しすぎて
『辛い』の前に来る
枕詞も言語化が出来ないため
訳も分からず
『全てが辛い』という
結論になってしまっている
気がいたします。
幸せの質を上げたい
より良い幸せを願って
幸せの質を上げたくて
子どもを願い
不妊治療をしてきたのだと
思います。
幸せを願って
不妊治療の地獄を乗り越えたら
この結果です...
なんか、おかしくありませんか...!?
と私は思います。
『これが大切だ!○○すべきだ!』
という価値観が
第三者から押し付けられ
そして
その価値観が維持できなければ
自己責任だと罵られ
追い詰められます。
なんだか
とっても腑に落ちない
今日この頃です。
早かれ遅かれ
いずれ不妊治療を
卒業するのだと思います
どんな形であれ
終わりを迎えますね
しかし
その行く末が
たとえ
どんな結果だったとしても...
幸せな結末で
あって欲しいと思っております。
いや
幸せな結末でなければならない。
そう思って
日々活動をしております。
本日も最後まで
お読み頂きありがとうございました
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