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《不妊治療×マインドへのアプローチ》で
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多くのお問い合わせを頂きありがとうございます
ただいま、個別セッションは満席となっております。
空きが出ましたら、ご案内さしあげますので、しばらくお待ちくださいませ
過去の経緯はこちらです
今回は、こちらの続き~番外編~という感じになります。
要約すると
「陽性判定出たら、幸せになれる」と思っていたのですが、全く違いましたよ
というお話でした。
私のしくじりの原因は、
『自分が幸せになれる答えは世の中にある』
と思ってしまったことです。
自分自身が幸せになる“鍵”というものが世の中に存在するなら、ソレを頑張って手に入れれば幸せになれると思っていました。
だから、不妊治療、頑張りました。
私が一番辛かったのは、自己注射ですね。
採卵は無麻酔のクリニックでした。麻酔しなくても、採卵の痛みは、ナントカ我慢できるんです。
でも、自分で注射を打つのは、とても耐えられませんでした
針を自分に刺すなんて無理でした
でも、これを耐えられないようならば、母になる資格はないと、「もう無理」という気持ちを、グッとこらえ、打ってました。
そんな気持ちで注射を打つので、看護師さんからは「下手くそ」と怒られ、だいぶ参りました
“自分には致命的に何かが欠けている”
プラス、幼少期から、こういう想いも抱えていました。その理由は、自分でも分かっているのですが、優秀だった兄と、いつも比べられていたからですね。
親が「なんでこんなに出来が悪いんだろう」
と不思議がる感じだったので、自分の中で「自分は何か欠けている人間だ」というセルフイメージが出来上がってしまったのです。
まぁまぁひどい話ですね笑
私は欠けている人間だ
だから、一生懸命頑張って足りない部分を手に入れなければいけない
頑張って手に入れたら、私は幸せになれる
こう思っていたもんですから、人生の節目節目で頑張ってきたわけです。
高校受験、
大学受験、
就活、
婚活、
妊活、、、
節目でつまづく度に自己肯定感が下がり、その繰り返しでした。そして、妊活で大きく、つまづいてしまうのです。
大きく、つまづいたというか、ずっこけて、自己肯定感は0ですよね。
そもそも、私は、『自分が幸せになれる答えは世の中にある』という初期設定から、ミスっていました
この問題点は、自分自身の評価を外部に求めているんですね。
評価というのは、容姿、学歴、収入、資産、地位、家計、職業なんかです。
これらが手に入っていたら、私はスバラシイ
と。で、女性なんで、それに、“子供”という要素が加わります。「子供を産んだら、私はスバラシイ
し、幸せになれる
」と。
本当は、自分の評価は自分で決めるものです。
容姿、学歴、収入、資産、、、、などではなく、自分自身が決定するもの。他者にその決定権を委ねてはいけませんあなたの人生の主人公は、あなたご自身です
でも、はっきり言って無理ですよね
小さい頃から、比べられて育ってきました。学校に入れば、成績、運動能力、など、外部評価の嵐ですもん。今更、「ソレ違いますよ!」と言われても、「へ
」ってなります。
常に競争しているので、
「何か足りない!」「自分は欠けている!」となります。そりゃ、完璧な人間なんていませんから。何かしらの部分で、人より何かが、必ず劣っているはずです。
で、足りない部分を補うために、それを頑張って手に入れれようとします。
何かを求めては「コレジャナイ」と失望し、また懲りずに何か求めては「コレジャナイ
」と失望し、、、
この繰り返しなんです。
喉が渇いている時、甘いジュース飲んで、余計、喉が渇いてしまう感じです。
別に、このループを辞めましょうと言いたいわけではないです。このルールから降りるなんて、悟った人とか世捨て人ぐらいじゃないと、コミュニティに属する限り生きられないんじゃないでしょうか
ポイントは、この状況を俯瞰的に見れるようになることです
泥沼の中に入って泥試合を繰り広げるのではなく、泥沼の隅の方で、泥試合を俯瞰し、自分が欲しいものがあったら、泥試合に参戦していくという感じでしょうか。
どんなメタファーだ!?
要は、競争の中にいると分かっている上で、競争に参戦するということです
競争の中にいると知っているのと知らないのでは、とっても違います
『なんか周りのみんな走っているから、自分も走らなきゃ』と思って走るのと、
『今日はマラソン大会で42.195キロ走りますよ~』
と覚悟の上で走るのは、だいーぶ違います。
前者は、何キロ走るのかも分からないですし、ペース配分も出来ません。
突拍子もない比喩ですが、それぐらいおかしいことしてるんですネ。
ちなみに、こんな偉そうなこと書いていますが、私も競争のループにいます
資本主義という競争の中にですね。
妊活の競争は運よく終わりに出来ただけです。
※カテ違いのレースに参戦中だゼって感じです。
この競争、一体いつまで続けましょうか、、、