初めて“陽性”反応を
クリニックで
貰った日のこと...
私は、妊娠判定が出たら、幸せになれるのだと思っていました
だから、“陽性”が出ることがゴールだった。
でも、初めて陽性判定が出た時、
「えっ、陽性判定が出たら、幸せになれるんじゃないの」
「えっ、むしろ不安が募ってるんだけど、、、」
「私が長年憧れていた感覚はこの感覚だったのだろうか、、、」
と思ったのを覚えています。
陽性判定が出ても終わりじゃないんですよね、越えなくてはならないハードルはたくさんあります。
胎嚢の確認→心拍の確認→首の後ろにむくみはないか→頭蓋骨はちゃんと形成されているか→週数通りに育っているか→それぞれの臓器はキチンとあるか など
あげればきりがないです。
そして、産まれたら産まれたで、
耳は聞こえるのか→目は見えるのか→母乳をちゃんと飲んでくれるか→首はすわるか など
ほんとキリがないです。
私は「○○したら幸せになれる」と、条件付きで思っている時点でアウトだったのですが、そんな知識もなく、ただただ陽性判定に戸惑っただけでした。
そして、その不安を現実化するように、13トリソミーの赤ちゃんを授かり。
無事産まれる確率は1%と、言い渡されたのでした。
人工死産を選択し、赤ちゃんの亡骸を目の前にしたとき、『人は必ず死ぬのだ』と思いました。
『死』なんて、他人事でしかなかったです。
でも、他人事じゃなかった。
私もいつか死ぬのだと思いました。
本当にいつか死ぬのなら、『私はこれ以上、自分を誤魔化して生きることは出来ない』、と思いました。
今まで、
親が望む人生を、
先生が望む人生を、
社会が望むような人生を、生きようと努力してきました。
自分が本当に求めている生き方と違うと、心の奥底では薄々気づいていました。でも、みんなが私に望んでいる人生を歩むことが、みんなが幸せになれる、一番良い方法と思い込むようにしていました。
でも、本当に『死』が存在するのなら、私はこれ以上自分を誤魔化して生きることは出来ないと思いました。
死産から1か月、毎日声が枯れるまで泣きました。
でも、同時に、「このままじゃいけない」とも思いました。
そう思った日、私は「もう泣かない」と決めました。
※注意 泣きたいときは泣きましょう。その方が健康的です
「誰のものでもない、自分の人生を歩む」と決めた時、
いわゆる自分探しの旅に出かけました。