4月29日SS先生との面会とPH先生のセミナー | Staretsのブログ

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この日は、11時にニューエイジ研究者であるSS先生と面会。1時間ほど話したが、自分が知らなかった本を紹介されたり、とても有意義だった。

この人は、フィンドホーンにも詳しくて、本の中でも1章を割いて詳しく説明している。興味深かったのは、ニューエイジの政治的スタンスについて質問したとき、フィンドホーンの創設者たちは道徳的にとても保守的で、その一人はオックスフォード運動にも関わっていたということである。そのため、60年代にヒッピーたちが来て、ドラッグをめぐって緊張状態が生じたこともあるということである。

そんな風に道徳的に保守的で、問題あるメンバーを排除することもしていたのに、どうしてフィンドホーンはカルト化しなかったのだろうか。こう質問すると、それは難しい、考えさせてくれ、とのことだった。

その後、PH先生が合流して昼食に。あらためて、PH先生とお話することができた。PH先生の最近出された本は、消費主義的なニューエイジ・スピリチュアリティをどう評価するかを考えており、とても重要な本だと思う。結論的には、評価しているのだが、その際にチャールズ・テイラーの『「ほんもの」という倫理』の議論を下敷きにしていて、価値を評価するための重要性の源泉としてスピリチュアリティは機能しうるという主張である。

SS先生とも話していて、思ったのだが、UKのニューエイジ研究者は、総じてニューエイジに評価的である。「ニューエイジ」という言葉を使っていることも興味深い。米国では、「スピリチュアリティ」のほうがよく使われるだろう。「ニューエイジ」はキリスト教との折り合いが悪いが、「スピリチュアリティ」はキリスト教も使うからである。米国はキリスト教の力が強いので、当事者も「ニューエイジ」という言葉を使いたがらないだろう。UKでは「ニューエイジ」という言葉を抵抗なく使っている。馬鹿にしたいときは「ヒッピー」という言葉を使う。

PH先生の講義は、とてもスローで分かりやすかった。統計的データを持ってきて、「神を内側に感じる」という人の割合の高さから始まり、それをヒューマニズムと結びつけるものだった。いちおう神学校のセミナーなので、キリスト教徒の前でスピリチュアリティを受け入れさせるために講義しているという感じだった。

だが、受講生の反応はどうだっただろうか。議論はしても喧嘩にならない西洋人らしく最後は手打ちで終わったが、レイキやら何とか療法だとかが、ヒューマニズムだとか、「聖なるもの」へのあこがれを表現しているとか言われても、キリスト教の立場から見たヒューマニズムや「聖なるもの」とはちょっと違う、という感想を受講生は持ったようである。そして、何がスピリチュアリティに入って、何が入らないかということにも疑問が出た。

その後、PH先生が帰られてから、SS先生とまたお話しした。

僕は、ニューエイジやスピリチュアリティとの関わり方は、非常に微妙なものである。

まず、世俗主義者とニューエイジャーとの中間にいたいと思っている。だから、ただ好意的に紹介するのではダメだと思っている。とくに、彼らの理念と実践の乖離や矛盾は重視するべきだと思っている。

そのことを、
「ニューエイジは、主張はポストモダンだが、運動が展開する文脈はモダンなので、理念と実践が構造的矛盾に陥ることは不可避だ」
と表現した。すると、SS先生は、首を横に振って

「自分は逆だと思っている。モダンな理念だが、実践はポストモダンだ。生活を美学化する表現的個人主義だからだ」と返された。

そこで、僕は、

「たとえば、ヒーリングは、医学的治療と違って、部分的症状を除去しようとするのではなくて、全体的な治癒力を高めようという理念を持っている。しかし、運動として展開し、実践家としてお金を稼ぐためには、ヒーリングは「テクニック」化してしまう。このように、近代医学を超えようとしながら、それを制度的に模倣してしまう。それを自分は言いたいのだ。」と言った。

この議論は何となく終わりになってしまった。ちょっと地雷に足を踏み入れたかなと思った。でも、明日ちゃんと説明しよう。

それにしても、エジンバラの町はステキだ。エジンバラ大学神学校のニューカレッジも素敵だ。写真を撮ろうと思ったら、バッテリーを充電器に入れ忘れたままだった。