縄文家族|天竜楽市 -8ページ目

縄文家族|天竜楽市

天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️




磐田市埋蔵文化財センターに行ってきました。

池端前遺跡から発見された、

類例の無い

後期旧石器時代の石皿は残念ながら展示されていません( •́ㅿ•̀ )

1960年に発見された石皿ですが、

出土状況が明確ではなく、縄文時代の遺物では無いか❓と考える研究者もいることから、

22000年前の
人類の植物質食料の開始を示す

革命的なΣ(⊙ω⊙)

非常に重要な石器であるにもかかわらず

展示が見送られているとのこと…

残念( •́ㅿ•̀。 )

ナイフ形石器が供出し、
当時(今でもそうですが)、日本の旧石器時代遺跡研究の最先端を行っていた岩宿の研究者も発掘調査に携わったそうなので、

間違いはないと思われる…とのことでしたが、

他に類例が無く、一般的には縄文時代草創期からと考えられている石器を、

堂々と

世界最古級の石皿‼

を謳って展示するのはハードルが高いようです。

(´๑•_•๑)
更新世末期以降の植生、植物利用の研究者である渋谷綾子氏の報告書では、

同時に、
匂坂中遺跡、坂上遺跡の磨石や台石からもデンプンが検出されているので、

22000年前の
天竜川左岸、
磐田原の丘陵地帯で植物質食料の利用があったのは間違いなさそうです。

v(´-ι_-`)v
従来説を覆すような研究は、認められにくいのが日本の考古学界…

(˶˙º̬˙˶)*॰
磐田市では、

もうひとつ重要な遺物があります。

池端前遺跡より少し北の磐田市敷地(台地上ではなく平坦地)から、銅鐸が3つ出土しており、銅鐸出土地の東限となっています。



邪馬壹(ヤマト)国と狗奴国の境を天竜川と見る説があり、

天竜川右岸の浜松市では多くの銅鐸が発見されているのに対し、左岸(東側)では敷地の3つ。

( ・ิϖ・ิ)っ

但し、江戸時代には掛川の長谷から銅鐸が出土したとの記録が『掛川誌稿』にあるようです。

現在、その銅鐸は所在不明になっているらしいですが…

(つω`*)
わりと古いものに関して、
あまり関心が無いのが遠州人の気質なのか…

敷地から天竜川を西へ渡ると、

本州唯一の
旧石器時代人骨(18000年前)

浜北人‼

が出土した根堅遺跡がありますが、

重要な遺跡のわりには非常にマイナー(´-ω-`)

天竜区からは縄文時代の遺物が相当数、表面採取(つまり道端に転がっていた)されているのですが、

昭和時代の記録があるものの、現在は遺物の多くが所在不明らしいです(๑• - •`๑)

発掘調査も、住居跡が発見され竪穴住居が復元されたヒラシロ遺跡で僅かに行われたくらいで、

天竜区春野町にある

縄文時代中期後葉の50箇所の遺跡は未発掘のまま…

長野県が飯田市まで天竜川流域の縄文、旧石器遺跡を調査し、非常に多くの遺物が発見されているのに対し、

天竜川下流域はほぼほぼ縄文遺跡の空白地帯となっています。

( 。・-・。`)
ヒラシロ遺跡だけではないと思うのですがね…

( ・ิϖ・ิ)っ
磐田市から出土した石器の黒曜石の産地は、

旧石器時代は
和田峠など天竜川上流の諏訪周辺、
箱根など静岡県東部が多く、

然し縄文時代になると神津島中心になるようです。

旧石器時代には天竜川に沿って移動するナウマンゾウを追っていたという説もあるので、諏訪との往来は当然あったと思われますが…

磐田市埋蔵文化財センターの見解では、
富士川を下って静岡県東部経由で持ち込まれたと想定しているようです。

諏訪から中央構造線に沿って南下する秋葉街道には蛇紋岩やチャートなど良質の石器材料の露頭が見られ、諏訪から秋葉山まで旧石器、縄文時代通じて往来があったと考える(県外の)研究者は多いですが、

遠州人は研究者含めて山岳地帯にあまり関心が無さそう(´- ̯-`)

一方、縄文時代の磐田の黒曜石が神津島産中心ということは、

他の東海地区と同様に海洋交易活動が活発であったことの証とも言えるでしょう。

弥生時代の稲作開始時期は、

浜松市同様に

紀元前後、という見解。

これは本州の稲作適地としては最も遅い稲作の開始となります。

東海道は元々、海路であった説があり、

BC500頃から稲作を始めていた尾張の弥生人は静岡県をスルーしてBC200頃から関東に拠点を築き出したのかもしれません…

登呂遺跡は、西から来た弥生人ではなく、長野山梨から南下してきた縄文人が営んでいた説もありますが、

赤石山脈南端で起伏に富んだ静岡県を陸路で進むのは結構困難ですから、

山岳地帯を中心に遅くまで縄文人が活躍していた可能性があります。

(˶˙º̬˙˶)*॰

今後、山梨長野縄文王国と静岡県が確かに繋がっていた物証が発見されてくると面白いのです(=^▽^=)

( ・ิϖ・ิ)っ
旧石器時代に関しては、

飯田市の
竹佐中原遺跡
(40000年を遡る可能性がある局部磨製石斧が発見)
川根ヌタブラ遺跡(こちらも40000年以上前の可能性が取り沙汰される遺跡)

とのミッシングリンクとなる遺物が天竜区山間部や天竜川流域に眠っているかもしれません。

(˶˙º̬˙˶)*॰
縄文空白地帯の静岡県西部(遠州地方)から、

新たな発見があることを期待する他県の研究者が多くいるのは事実です( ̄▽ ̄;)

何しろここは、500年続いた縄文と弥生のせめぎ合いの最前線だったので(˶˙º̬˙˶)*॰


縄文時代の注口土器



古墳時代の埴輪

磐田市埋蔵文化財センター所属


天竜川下流域左岸の磐田原台地、磐田市大藤池端前遺跡からは、

後期旧石器時代の磨石、石皿、敲石、砥石が出土しています。






写真は別の遺跡の縄文時代の石皿と磨石ですが、

この石器は粒状物質の粉末化に用いられたもので、

植物質食料の存在を示す石器となっています。

池端前遺跡は1960年に静岡県で初めて発掘調査された旧石器時代遺跡です。

石皿は
巾18cm
長さ24~25cm
厚さ9~10cm
砂岩製で両面が磨かれ
中央部が僅かに凹んでいます。
1例出土。

5例が出土した磨石は全体が研磨され丸みを帯びています。

石皿は後期旧石器時代遺跡からは初の出土例でした。

2006年に報告された、

残存デンプン分析、更新世末期以降の植生、植物利用の研究者である渋谷綾子氏による

「旧石器時代および縄文時代の石器残存デンプンの分析的研究」

によれば、

池端前遺跡の石皿、磨石から

分解、損傷したデンプン、
植物繊維、
細胞組織

が検出されました。

同報告書には、

同じ磐田原台地の

匂坂中遺跡の台石からも少量の分解、損傷したデンプンが検出され、

この台石は敲石と共に出土しており、平坦面の中央に細かな凹凸、使用痕が見られるとのことです。

また、坂上遺跡の台石からは、少量のデンプン粒、多量の植物繊維、細胞組織が検出されました。

池端前の石皿だけでなく、匂坂中、坂上の台石も、植物質食料の加工に用いられたと考えられます。

(。ì _ í。)
ここ数年で、日本の後期旧石器時代研究は年代観が大きく変わってきました。

日本で最初に発見された岩宿遺跡の石器は当初、2万年前と推定されていましたが、

38000年前の後期旧石器時代初期に遡るのではないか❓という見解が出てきたようです。

池端前遺跡では特徴的なナイフ形石器が供出していますので2~3万年前に編年されるのではないかと思われますが、

種子島中種子町の立切遺跡では

30000BP(BC28000)の鬼界カルデラ種IV火山灰層の下から

磨石、台石が

局部磨製石斧、打製石斧、敲石、砥石、礫器、

落とし穴と見られる土坑(地元では貯蔵穴説もある)、

円形に配置された、
熱によって変色した礫群、
焼土
(肉などを蒸し焼きした調理痕と想定)

と共に出土しました。

渋谷綾子氏の同報告書によれば、

磨石は全面に研磨痕があり、大きいもので990g、

台石は最大のもので
長さ19.8cm
巾21cm
厚さ15.2cm
重さ5kg

厚みのある砂岩製で、表面中央付近に凹面があるとのこと。

磨石、台石から分解、損傷したデンプン、植物繊維、細胞組織が検出されています。

(。ì _ í。)
立切遺跡では

植物食中心の生業形態、
一定期間の定住が

推定されています。

( ・ิϖ・ิ)っ
石皿のような持ち運びしにくい大型石器は、一般的に定住の指標とされており、

レバントでは細石刃の見られる22000年前(BC20000)以降を(旧石器時代から新石器への移行期である)中石器時代と区分しており、この時期の遺跡から台石が見つかっています。

40000年前のアルタイ地方が起源(異説あり)とされる細石刃は、北海道には25000年前に伝播。

北海道の細石刃はレバントに先行しています。

古本州島で細石刃が見られるのは17000年前以降(初期の無文土器と細石刃が見られる17000年前~15000年前を後期旧石器時代終末期とする説あり)でレバントに遅れての普及でした。

(˶˙º̬˙˶)*॰

中種子町には35000年前以前と見られる
落とし穴が
大津保畑遺跡で見つかっており、

立切遺跡の年代も古く見積もる場合があるようです。

(。ì _ í。)
レバントでは
ナトゥーフ文化(BC12500~9700、14500~11700BP)を
定住、
本格的な植物質食料の利用開始とし、

遊動的狩猟採集から定住的狩猟採集へ移行したと見るようです。

レバント以外の西アジア、ヨーロッパでは定住はヤンガードリアスが終わった完新世以降(11700BP、BC9700~)と推定されています。

( ・ิϖ・ิ)っ
こうしてみると日本列島の後期旧石器時代は特殊であり、

非常に早い段階から、

短期的な集落の形成、平地性住居(環状ブロック遺跡群、38000BP~)、

磨製石器の利用、

植物質食料の利用、

などヨーロッパの中石器時代に相当する文化が見られるのです。

竪穴式住居は大阪ハサミ山で22000年前~

レバントでは13000年前~

となっています。



(。ì _ í。)
農耕の開始は、
レバントに先行して、

東アジアの温暖期であるベーリング・アレレード期(15000BP~)から長江で稲作が開始されたとの見方が強まっていますが、

最終氷期最寒冷期において、

日本列島の沿岸部、
長江南部の内陸部には、

落葉樹林が存在し、

ナッツ類が豊富な

植物質食料中心の定住的狩猟採集社会に適した条件が整っていました。



( ・ิϖ・ิ)っ
長江の
最古の土器
最古の稲作

その時代には、日本列島沿海部と長江に

共通の文化圏が存在しており、

相互に影響を及ぼしていたと考えられます。

ฅ( ̳• ·̫ • ̳ฅ)
長江の倭人は、

弥生時代になってから渡って来たのではなく、

後期旧石器時代からのお付き合いであったと思われるのです。

中国東南部で世界最古の土器が作られ、最初に農耕が開始された背景には、

隣人である日本列島の(先進的な試みをしていた)人々が関与していた可能性が高いと私は推定しています(*^^*)

そして、
岩宿の研究が提唱している(岩宿時代)ように、

日本列島の場合、
後期旧石器時代という呼び名は妥当ではないと感じているのです。


11700年前(BC9700)、後期更新世最後の寒冷期(亜氷期)であるヤンガードリアスが終わり、

前期完新世(グリーンランディアン)が始まります。

ヤンガードリアス終末期には、

僅か10年間で
世界平均気温が
8.3℃上昇したと考えられています。

近年の地球温暖化(100年で0.3℃の気温上昇)が、

へ( •́ㅿ•̀ )?

と思えるような急激な温暖化です。

気温はその後も上昇し、縄文時代前期(BC7300~5500)には、現在より2~3℃気温が高い最温暖期を迎えています。

西洋では完新世の始まる11700年前(BC9700)頃を新石器時代の開始と見ているようです。

西アフリカのマリ共和国オウンジョウゴウ遺跡の土器は、11400年前(BC9400)、

エジプトではナブタプラヤ遺跡(9500年前、BC7500~)で9050~8150年前(BC7050~6150)の、波状文、櫛目文を施した黄褐色の土器が出土。

メソポタミアでは9000年前(BC7000)頃に彩色文様を伴う鉱物粒子を混ぜた土器を使用。

レバントではヤムルーク文化(8400年前、BC6400~)期から土器の使用開始。

ギリシアではエーゲ海沿岸に8000年前(BC6000)以降に無文土器。

ギリシア内陸部、セルビア、トランシルヴァニアにヴィンチャ文化(7700年前~、BC5700~)の擬人化された土偶と共に土器。

インダスでは7500年前(BC5500~)のメヘルガルⅡ期より土器の使用。

イラン高原では6200年前(BC4200)からスーサで彩文土器の使用。

以上のようにアフリカ、西アジア、ヨーロッパでは土器の無い先土器新石器時代を経て、8000年前頃から土器が登場しています。

完新世開始期の急激な温暖化が、農耕の開始、やがて土器の使用による煮炊きの文化へと繋がっていったとする考えが一般的なようです。

( ・ิϖ・ิ)っ

一方、東アジアではかつて、

中国の土器が5000年前頃に比較的完成された土器から始まると考えられていた為、

土器は西から伝わった

漢民族アーリア人起源説等が唱えられた時期もありました。

こうした経緯から、大陸から新石器時代が伝わって縄文土器が作られたと想定した山内清男は、縄文時代草創期の開始を4500年前(BC2500)と推定しています。

1950年代に、縄文時代早期の撚糸文土器の炭素14年代測定が行われ、

9000年前という数字が出たため、

当時8000年前と考えられていた西アジア最古の土器より古い世界最古(当時)の土器であると判明し、

更に60年代には隆線文土器が12000年前という数字が出たのです。

こうした数値が示されても山内は縄文時代草創期の開始を4500年前と主張していたようです。

12000年前の数値を肯定する研究者でさえ、

朝鮮半島や

沿海州からの渡来を主張しています。

(。ì _ í。)

仮に、日本に世界最古の出土物があっても、

日本列島で新しい文化が生まれるはずはなく、

まだ大陸では未発見ニダ٩(๑`ȏ´๑)۶

という高齢の研究者は未だに多くいらっしゃいます。

年功序列で大先生と呼ばれている人達ですので、

若い研究者は呆れていますが、立場上反論しづらいのです。

(๑・㉨・๑)
あと二十年、こうした重鎮が死に絶えれば、

日本の考古学は劇的に変わるでしょう。

(ㆁᴗㆁ✿)
重鎮はまた、日本で出土していないものは(今後発見されることは)絶対に無いのだと強く主張し、

世界最古の新発見があれば、

必ず大陸のどこかで今後見つかるはずだ‼という主張を繰り返します。

縄文農耕を頑なに否定し、

否定しきれなくなると

あれは農耕ではなく栽培ニダ( `皿´)キーッ!!

と国語辞典の解釈をねじ曲げでまで強固に主張します。

( ・ิϖ・ิ)っ
ちなみに朝鮮半島の土器は10000年前(BC8000)~6000年前(BC4000)
まで、少量が出土していますが、それらは隆起文=即ち縄文土器です。

未だに朝鮮半島からは12000年前の土器は発見されていません。




(。ì _ í。)
青森県大平山元Ⅰ遺跡から出土した無文土器は、

1999年の分析で炭素年代測定の暦年較正年代で16500年前(BC14500)の数値が出ました。

縄文土器は世界最古の土器(当時)である‼
ことが確定的になってきました。

然し…

( ・ิϖ・ิ)っ
その後2009年に中国湖南省玉蟾岩洞穴から18000年前(BC16000)の土器が発見され、

2012年には江西省の仙人洞から20000年前の土器が発見されたと報告されています。

日本列島の縄文土器のように大量の土器が出ているわけではないことや、年代測定に対する疑問から、これらの中国の土器を認めない研究者もいるようですが、

一応、中国東南部の土器を最終氷期最寒冷期の22000年前(BC20000)に出現した(今のところは)世界最古の土器としておきましょう。

(˶˙º̬˙˶)*॰

16500年前の無文土器は、最終氷期最寒冷期から少しずつ温暖期へ向かっていた時期です。

この時期の土器は後期旧石器時代終末期の細石刃などの旧石器と共に出土しているため、縄文時代草創期には含めず、

旧石器時代の土器としている研究者もいます。

この時期の無文土器は集落から一つ出土する程度で、

全ての家庭が煮炊き用に土器を使っていたのではなく、魚油を採取するための道具として使われたとも考えられています。

関東東海の太平洋岸沿いには既に植物資源採集可能な落葉樹林が広がっていた可能性がありますが、青森では狩猟漁労中心の食生活であったと考えられるのです。

( ・ิϖ・ิ)っ

日本列島含む東アジアでは15000年前からベーリング・アレレード期(BC12700~10900頃)という温暖期に入っていきます。

この時期には土器の生産量が増え、



隆起線文、隆帯文と呼ばれる紋様が土器に施されるようになります。

温暖化を背景に落葉樹林が東日本に広がり、

植物質食料の加工や調理のために本格的に土器が使われるようになりました。



同時に(後期旧石器時代にも散見される)竪穴式住居が普及して定住生活が始まり、やがて弓矢や土偶も出現し、所謂縄文的な生活がこの時期に始まります。

無文土器を旧石器時代とする研究者は、この15000年前を縄文文化の開始と見ています。

(˶˙º̬˙˶)*॰



栃木の野沢遺跡で見つかった竪穴式住居跡には、屋根を支えたと見られる一本柱の柱根が住居中央から発見されました。

柱根の尖端は杭状に尖っており、その部分だけ焦げているため、焦がして加工したと推定されています。

この柱材の樹種はコナラの一種でした。

コナラはドングリが実るので、食糧として建築材として有効に活用されています。

( ・ิϖ・ิ)っ



木の実をすり潰す石皿、磨石は、まだ本州と陸続きだった後期旧石器時代30000年前の種子島立切遺跡から局部磨製石斧、(石焼調理の跡とされる)集石遺構と共に発見されていますが、種子島にはナッツが実る森が存在したと考えられています。

当時としては世界最大の大型石器、最古の植物質食料利用の痕跡です。

上述のようにナッツの森が広がっていくに連れて、土器、竪穴式住居、石皿の『三種の神器』が日本列島に普及していきました。

それより以前に植物質食料を利用出来る環境化にいた種子島住民の子孫が土器の発明に関与した可能性もあります。

土器の起源は、後期旧石器時代の種子島と同様な植生であった可能性がある…縄文海進以降に東シナ海に沈んだ地域と考えることも出来るでしょう。

植物質食料の利用、定住、土器の使用は九州(沿海部は縄文海進以降に沈んでいる)~東シナ海~中国東南部の何れかの後期旧石器時代最終氷期最寒冷期のナッツの森が存在した場所が起源では無いでしょうか❓