国道152号線は、静岡県浜松市から天竜川~中央構造線沿いを北上し長野県茅野市を経て上田市に至る一般国道です(政令では起点が上田市で終点が浜松市)。
全体を通して江戸時代から『秋葉街道』と呼ばれていますが、部分的な通称として大門街道、杖突街道、(遠州側から見て)信州街道、二俣街道など歴史的な呼称の他、一部区間にメルヘン街道、ビーナスライン、飛龍街道といった新たな愛称が付けられており、それぞれ地域に根付いた歴史ある路線であると言えるでしょう。
信仰深い江戸の庶民は、中山道を経由して善光寺、上下諏訪神社(現・大社)、を参拝してから杖突街道に入り、遠山を経て秋葉山を詣で、鳳来寺山に参ってから伊勢へ向かったと云います。
かつては浜松田町の二俣街道起点に秋葉の一の鳥居があり、浜松から二俣を経て光明山、秋葉山に登り、現在の天竜スーパー林道経由で遠山に至るという江戸時代に京都で出版された『遠山奇談』の舞台ともなりました。
この路線の歴史は極めて古く、38000年前から黒曜石や蛇紋岩の運搬ルートとして絶えず人々が往来して来たのです。
で、あるにもかかわらず、終点浜松から起点上田まで152号を走破しようとすると、21世紀の現代日本であっても
大冒険Σ(+Oдo;艸;)(ㅇㅁㅇ)!!!!!!!(@○∀○@)ฅ(๑⊙д⊙๑)ฅ!!Σ( Д )ﻌﻌﻌﻌ⊙ ⊙
となります。
赤石山脈に並行し、中央構造線沿いに走る区間にはいくつもの難所があり、
まず青崩峠、地蔵峠は未だに自動車では通行出来ない区間(登山道)となっています。
青崩を迂回するヒョー越林道はまだ良い方ですが、地蔵峠迂回の蛇洞林道は対向車が来ないことをひたすら祈りながら進むしかありません( •́ㅿ•̀ )
然し、蛇紋岩の露頭や、中央構造線領家帯と三波川帯断層の露頭など見所はあります。
ゼロ磁場で有名な分杭峠は冬季閉鎖の難所ではありますが、パワースポット巡りの聖地となっています。
高遠を過ぎれば、やや道は広くなり、杖突峠の下りは諏訪湖を一望出来ます(*^^*)。
茅野からは東に八ヶ岳を見ながら霧ヶ峰高原へと進み、白樺湖の北で天竜川と千曲川の中央分水嶺となる大門峠を越えて長和町、上田市に至ります。
皆さん、白樺湖が天竜川水系だって知ってた(*º ロ º *)!!🤔⁉️
白樺湖から下った長和町は黒曜石の町として観光PRを行っています。
152号と交差して中山道が通っており、和田宿から下諏訪宿へ向かう途中の筑摩山地を越える和田峠周辺が、国内でも最高品質の黒曜石の産地となっています。
長和町も南の諏訪地域同様に縄文遺跡が非常に多く、貴重な出土物が豊富に発見されています。
標高1500メートルを越えていく和田峠もまた、古代から交通の難所であったわけですが、人類史上の大部分(38000~2000年前)において、最も高い価値があった黒曜石の最高級品が得られるわけですから、人々はどんな困難も乗り越えて峠へと踏み込んで行ったのです。
中山道が和田峠を経由する、というのも、そこに黒曜石があった為に遥か太古の昔から道が開かれていたからでしょう。
国道152号もまた、何故そこまでいくつもの難所を越えて行かなければならなかったかといえば、やはり黒曜石の道であったからです。
国道152号は黒曜石を遠州へ流通させる道であると共に、海産物を信州へ運ぶ道がでもあり、また局部磨製石斧の原料となる蛇紋岩を産出する道でもありました。
肉食を中心とした後期旧石器時代には、ナトリウムが不足しないため食塩を摂取する必要は無かったようですが、縄文時代になり植物食中心の時代になると、塩もまたこの道を通じて運ばれていくことになりました。
海岸付近の人々にとっては、石器材料を手に入れる為に必要な道がであり、山間部の人々にとっては塩を手に入れるために。
海の民も山の民も互いにこの道を必要とし、そして海の民と山の民は互いに依存し合う必要があったのです。
最初にお互いを必要とする共生関係が構築されているわけですから、縄文時代の晩期まで基本的に海の民と山の民は争うことはありませんでした。
少なくとも日本列島内では。
諏訪(古代はスサ)の王は黒曜石産地を押さえ莫大な富を手にし、信州高原地帯を高天原(タカアマノハラ)と云いました。
縄文中期には八ヶ岳を抜いて日本列島最高峰となっていた富士山は、タカアマノハラを見渡せる場所として『原見(ハラミ)山』と呼ばれ、当時は古富士岳が崩壊しておらず山頂が二つあるツインピークの山、つまり二俣の山(岐山)であったため、岐山信仰が生まれています。
富士山(不二山)の二と、八ヶ岳の八が日本では数の大小を表す数字として用いられるようになります。
二俣神(岐神、クナト神)は別名八衢(やちまた)神とも云いますが、ミツマタ神とかヨツマタ神とは言いません。
フタマタノオロチ、ヤマタノオロチはいますが、ミツマタやヨツマタのオロチというのは聞きませんね。
中国では四夷や九州のように四と九を主に用います。
日本は円の文化ですが中国は方(正方形)の文化になります。
東夷族が何らかの理由でそのように決めたのです。
( 。・ω・。)ノ
ここからは神話伝承の話をします。
縄文中期のスサの王は、糸魚川のヒスイを遼河地域に輸出して利益を得ていましたが、何代目かのスサの王は中国に進出し、神農氏と呼ばれました。
神農(スサノオ)は、オルドス高原を越えて陝西省に入り、そこにあったツインピークの山に岐山と名をつけ、富士山同様に信仰の対象とします。
神農氏は炎帝を称し八代500年に及ぶ中国最初の王朝を開きました。
神農氏は姜姓で牛、鹿、羊をトーテムとしています。
姜、にも羌にも羊が入っていますが、古羌は現在のチベット族とはまだ合流しておらず(羌、氐は鮮卑族の慕容吐谷渾の支配下にいたが、のちに吐谷渾の住民がチベット族の吐藩に吸収された)、古羌は元々遼河地域にいた人々で日本海側の列島勢力(古出雲)に近く、ウラル系民族も混じっていたようです。
中国の研究者が炎帝の子孫が日本の天皇の祖先になったと言っているのは、ヤマト朝王家の初代オシホミミがアマテラスの子であると同時にスサノオの子でもあるわけですが、のちに中国で殷王朝を立てたヤマト族は、元は同族でありながら羌(出雲族)と大陸では激しく対立しています。
殷は羌族と姫(イ)族の連合日本倒され遼河地域に撤退します。
高天原から中国へ天下ったニニキの話は飛ばして、炎帝の直系を標榜する炎尊(彦火火出見)の子孫がヤマト朝と殷王朝の王家になります。
然し、同じく炎帝の直系を標榜する羌族とは対立関係となり、スサノオを直接的な祖先とすることは憚られるようになりました。
そして奈良を本拠にしたカムヤマト朝は、諏訪勢力とも対立するようになります。
日本に羊がいないため、諏訪では羊の代わりに75頭の鹿を神に捧げます。
ユダヤのうち少なくともいくつかの支族は出雲系の東夷族(羌)です。
シュメール→フェニキア→ユダヤ
の流れです。
(灬º 艸º灬)あくまでまだ検証途中の神話ですよ!

































