縄文家族|天竜楽市 -10ページ目

縄文家族|天竜楽市

天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



旧石器時代というのは縄文時代より前の時代です。

教科書にも殆ど載っておらず、日本人の多くが旧石器時代について知りません。

旧石器時代の研究はヨーロッパを中心に行われ、アジアではまだこれから知見が増えてくるだろう、という学問です。

人類アフリカ起源説などもアジアの研究を抜きに考えられてきた部分もあります。

縄文時代以上に謎のヴェールに包まれた旧石器時代について、これまでの研究の経緯なども説明しながら、縄文時代の前史として、軽く触れていきたいと思います。

(•ө•)♡

今から250万年前、人類(ヒト属=ホモ属)で最初に加工した石器を使用したのは原人ホモ・ハビリスとされていました。

それ以前の猿人は、未加工の自然石を利用したと考えられていましたが…

然し、エチオピアで発見された猿人アウストラロピテクス・ガルヒの化石の近くから僅かに加工した石器が見つかり、猿人段階で石器が使用されていた可能性もあるようです。

何れにしても、250万年前頃にアフリカで登場したオルドワン【Oldowan】石器は刃部のみを加工した単純な礫器と石核、剥片からなる石器群(とはいえ、それなりの加工技術を要する)でしたが、250万年前に始まり、2万年前まで使用されています。

※礫(拳大程度の石)に打撃を加え剥がれた欠片を剥片【flake】、欠片が剥がされた石を石核【core】という。

オルドワン石器は比較的小さな礫から鋭い縁を持った剥片が剥がされ(剥片石器)、道具として利用しました。

また、石核を打ち欠いて片側に刃をつけたチョッパー、
両面を交互に打ち欠きジグザグに刃をつけたチョッピング・トゥールが使用されています。

その後、176万年前になると、刃渡りの長い大型の石器が登場し、アフリカでアシュール文化【Acheulean】が始まります。

この石器は、大きめの礫から、10~30センチの巨大な剥片を剥がし、更なる剥離加工によって鋭い刃部を作り、剥片全体に渡り両面を丁寧に整形し涙敵形に仕上げたハンドアックスに代表されます。

140万年前には、石よりも加工が難しい骨製ハンドアックスも作られ、アフリカでは複雑かつ高度な加工技術が確立されていきました。

アシュール文化は、ホモ・エレクトゥス(旧名ピテカントロプス・エレクトゥス)が担い手の中心と考えられ、オルドワン石器含む原人段階の時代区分を一般に前期旧石器時代(250万年前~30万年前)と言います。

※アジアでは北京原人、ジャワ原人がホモ・エレクトゥスとされるが、彼らはアシュール石器の担い手では無いと考えられている。

ネアンデルタール人など、所謂旧人段階になると、中期旧石器時代(30~4万年前)として区分し、この時期になると、アフリカでは、より複雑で高度なルヴァロア技法が登場しました。

(˶˙º̬˙˶)*॰

このように初期人類の技術革新は、アフリカで始まったと考えられてきました。

最初の人類の出アフリカ(ユーラシア大陸への拡散)は180~200万年前頃とされています。

グルジアのドマニシ人は180万年前とされ、オルドワン石器を利用していました。

また、雲南省楚雄彝族自治州元謀県で発見された元謀原人は170万年前と推定され、同じ雲南省のワ族自治県から前期旧石器時代早期の石器が発見されたことから、オルドワン石器を使用する初期の人類がこの時期にアジアへ進出していたことが確実になっています。

なお、バルカン半島以西のヨーロッパへの人類進出は90万年前以降と考えられているようです。

(˶˙º̬˙˶)*॰

一方、アフリカやヨーロッパ、西アジアではアシュール文化のハンドアックスが普及し、更にルヴァロア技法のような複雑な技法も駆使されるようになりましたが、

ハラム・モビウスが1948年に提唱したモビウスライン【Movius line】の東側では、前期旧石器時代初期のオルドワン石器から進化の乏しいチョッパー、チョッピング・トゥールが2万年前まで使われ続けており、東アジア(東洋)は、永らく文化的に遅れていた世界とされてきました。

現代人であるクロマニョン人の研究がヨーロッパ中心に進められたこともあり、後期旧石器時代(4万年前頃~)のオーリャニック文化はヨーロッパから始まったと考えられていたのです。

( ・ิϖ・ิ)っ

然し、16世紀に東洋を訪れた南蛮人は、明や日本の技術力が高く文化度も欧州と比べ物にならないほど高い事実を知っていました。

当時の日本人が南蛮人を蔑視したのは、日本人が箸を使って食事をしていたのに対し、彼らは手づかみで食べていたことも理由の一つにあったようです。逆に彼らは日本人が庶民階級でも読み書きが出来、教養を身につけた人が多いことに驚愕していました。

彼らは東洋に憧れや畏怖を感じていましたが、西洋の技術水準が清や日本を上回るようになると、途端に東洋を見下すようになります。

戦後、日本にも東洋を未開とした欧米の史観が持ち込まれ、日本は永らく自虐史観に苛まれることになりました。

大航海時代に先駆けて、明は鄭和に命じ永楽三年(1405)に、「下西洋(西洋に下る)」と称して、

全長131mの巨大艦船62隻、乗組員総勢27800名からなる大船団を出航させます。

※当時のヨーロッパにこのような巨大船は無かったとされる。

永楽十一年(1413)の第4次航海では本隊がペルシア湾のホルムズ、分隊はモルディブ、ケニア、アラビア半島南岸の港湾都市に帰港しています。

鄭和の大船団は友好平和的な外交通商を目的としていましたが、到着した現地で戦闘を仕掛けられた際には軍事行動を行って現地勢力を鎮圧しています。

ヨーロッパを蹂躙した大元ウルス同様に西洋を制圧するだけの国力を明は有していましたが、精神文化の高い東洋人は、そのような野蛮な行為をしなかったのです。

一方、明の海軍力をもってしても、倭寇を鎮圧する事は出来ず、やがて明は海禁政策へと転換していきます。

日本の水軍が世界最強だったわけです🤔

その後、16世紀における世界最大の戦いは豊臣秀吉の明への出兵です。

明は朝鮮と連合して戦いましたが、太閤が亡くなるまで勝てる気がしなかったと「明史」に記されています。

欧米人はこうした歴史的経緯から、
「漢民族は他国に侵略することはない」
「日本人は度々他国に侵略し、非常に手強い」
というイメージを抱いています。

(´-ω-`)
話が脱線しましたが、西洋の野蛮に比べれば日本の侵略など可愛いものです。

フンやアヴァール、モンゴルといったアジアの騎馬民族に相次いで蹂躙され、暗黒の中世を過ごしたヨーロッパでは、アジアへのコンプレックスが高まり、こうしたコンプレックスはやがて、東洋を未開で野蛮とする蔑視に繋がっていきます。

中国が、かつては尊敬していた東夷族に何度も征服され、やがて東夷族を未開で野蛮と蔑視するように至る経緯と全く同じです。

(。ì _ í。)

私達、日本人は、東夷の王「天帝」のいる国として、永らく世界に君臨し、尊敬を集めてきました。

中華や西洋にコンプレックスを抱く必要は微塵もありません。

もう少し歴史的事実を学んで自国に誇りを持つと良いでしょう。

(˶˙º̬˙˶)*॰

以上のような経緯と、戦後処理の関係から、

「文明は西から来た」と、

戦後教育されるようになりましたが、

誤りです。

歴史というのは時代や政治によるバイアスを時系列に従って取り除いていかないと、確かな事は明らかになりません。

文化は西から東へ来るものもあれば、東から西へ伝わるものもあります。

西から東へ来る人がいるのであれば、東の人は必ず西を訪れ返礼しました。東の人々は一般庶民であっても古くから礼節をわきまえていたからです。

古くから人々の通行は一方通行ではありませんでした。

( ・ิϖ・ิ)っ

さて、モビウスラインについては、東洋から反論が出ています。

有名なのは、竹を利器として使い石器を重視しなかったからでは無いか、という「竹文化説」

中国は殆ど良質の石器材料に乏しいので、竹や木を積極的に利用した可能性はあるとは思います。

最近になって、マレーシアのブーキット・ブヌ遺跡(183万年前)から粗雑な初期のハンドアックスが発見され、同時期に前期アシュール文化が伝わっていた可能性が示唆されました。

(˶˙º̬˙˶)*॰
「えーと、アフリカは176万年前、マレーシアは183年前ね、φ(・ω・`)メモメモ」

21世紀になり、モビウスラインの東から続々と旧石器が発見されるようになります。

19世紀から20世紀にかけて、アヘン戦争以降の東洋は西洋の恣【ほしいまま】に略奪蹂躙され、考古学への取り組みも遅れていましたが、中国や東南アジアの経済発展により、近年東洋での重要な発見が続いています。

つい最近も、チベットで13万年前の後期アシュール石器が大量に発見されたと話題になりました。

( ・ิϖ・ิ)っ

一応、人類アフリカ起源説を基に話をしていますが、

中国が言うようにアジア起源も考えられないわけではなくなってきました。

アフリカは古人骨が残りやすいため、たまたまアジアからアフリカへ行った人の骨が残り、アジアでは残らなかった可能性もあるでしょう。

アジアに旧人はいないとされてきましたが、

デニソワ人の発見と太平洋の人々がデニソワ人由来の遺伝子を多く保持している事実が明らかになり、

また、出アフリカのクロマニョンによる文化と思われていたものが、ネアンデルタール由来とされるようになったケースも増えてきました。

アフリカ起源説の信頼性は、一時期程では無くなっているのです。

( ・ิϖ・ิ)っ
オーリャニック文化も中東のレバント起源が有力となり、

現生人類的という石刃技法もレバントからコーカサス地方を経て、ユーラシアステップを通じて東へ伝播したと考えられるようになってきました。

日本で最初に旧石器が発見されたのが1946年ですから、1948年のモビウスライン発表時には東洋の後期旧石器は殆ど知られていなかったと思われます。

また、世界最古級の磨製石器である日本列島38000年前の局部磨製石斧は、アジア在来の(モビウスが稚拙と判断した)石器技法から生まれたことも明らかになってきました。

そしてレバントオーリャニック文化の石刃技法は、36500年前には長野県に伝わっていたことが確実になったのです。

モビウスラインは否定されましたが、

西洋の石の文化と、
東洋の木の文化

というのは、モビウスラインが示したように早くから分かれていた可能性があります。

(´-ω-`)

日本人とは何か?

を、知る上で、

東洋人であること

を、忘れてはいけません。

( •́ㅿ•̀。 )

残念ながら、

中国嫌い
韓国もっと嫌い
モンゴル知らない

という人、

日本人は東洋人と違う‼ユダヤと同祖なのだ٩(°̀ᗝ°́)و

という憐れな人々に共通するのは、

戦後、米軍によって押し付けられた

東洋人蔑視の自虐史観に見事にハマっている、ということです。

(。-_-。)

大東亜戦争は、
日韓同祖、
倭漢満蒙鮮五族融和
をスローガンにしていましたが、

ネトウヨが言う中国嫌い韓国もっと嫌いは、

大東亜戦争の否定に繋がります。

歴史を知らないというのは、

恐ろしいのです😱

(˶˙º̬˙˶)*॰

前期旧石器時代に関するトピックとしては、

旧石器捏造事件というのがありました。

日本では今のところ、前期旧石器時代の遺物は見つかっておりません。

日本列島に存在する人類の遺跡は、60箇所ある中期旧石器時代からとなります。

然し、捏造事件の影響からか、或いは別の政治的配慮があるのか、分かりませんが、

60箇所の中期旧石器時代遺跡を無視する考古学者がいます。

(/ω\)
素人の私達さえ知っている事実を、

専門家である(一部の)考古学者が知らないフリする、という態度は如何なものでしょう❓

日本の考古学というのは、中央の偉い先生の言うことは鵜呑みにせず、

地方の研究者の様々な意見を聞いて回らなければ事実が全く見えてきません。

高名な先生の中には1948年のモビウスラインで止まったままの人もいます。

戦後教育の原点に固執しているのでしょうか❓

地方にいる在野の研究者からは、

「そろそろ、本当の事を言うべきだ」という声が聞こえてきます。

然し、立場上、上から止められていて言えないことが多いと聞いています。

(´-ω-`)

表には出ていない事実も多くありますが、

現在、公に発表されている研究成果(然し、教科書には載せられない)だけでも、

日本人が自虐史観から決定的に抜け出せる資料が揃っています。

広く知られていないだけなのです。




世界の歴史はメソポタミアに始まります。

文字による記録が歴史時代の始まりと定義されていますから、シュメルの楔形文字が歴史の起源になっているわけです。

文字の記録以前は先史時代です。

そして、文明は都市の出現によると定義されています。

それ(文明)以前は原始時代になります。

メソポタミアはBC4000~3000頃から文明が興り、BC2500頃には記録文書による歴史時代に突入しています。

一方、日本はというと、
『日本書紀』以前は先史時代、藤原京以前は原始時代となっているわけです。

メソポタミア、エジプトが五千年、中国四千年の歴史とされていますが、日本の歴史はたったの1300年に過ぎません。

然し、流石にこれはおかしいと異論を唱える人もいます。

メソポタミアやエジプトも記録は断片的で断絶した時代も永く、楔形文字やヒエログリフが解読されるまで神話伝承の世界でしかなかったわけです。

ヨーロッパも記録の少ない暗黒時代が中世まで及んでいます。

6世紀のアーサー王も実在したのか議論されています。

断片的な文字の記録だけでは歴史は明らかになりません。

日本では先史時代を歴史として扱わない傾向にありますが、一年前の出来事であっても物的証拠や科学捜査をしなければ明らかにならない事があります。

神話伝承のような噂話であっても、充分な調査を行う事で過去の事象のアウトラインが明らかになってくる可能性は高いのです。

人類の歴史が5000年前のメソポタミアで突然始まったわけではありません。

先史時代を原始的な未開で野蛮な時代とする考えは、現代では否定的になってきました。

歴史や文明が始まる前の助走期間を知ることで、何故、そこに歴史や文明が生まれたかが明らかになってきます。

人間とは何か、文明とは何かを知るためには、先史時代を知ることが非常に重要なのです。

メソポタミアやエジプト、中国やギリシアに比べて、日本は未開で劣っていたのだ。という自虐史観に陥ってしまえば、その後の文化や文明が何故そうなったかを正確に捉えることが困難になります。

38000年前の後期旧石器時代、日本列島は世界の先進地域でした。

43000~47000年前頃に地中海東岸のレバントで始まったオーリャニック文化が地中海北岸のヨーロッパに伝わり、それが現代人の文化の黎明とされています。

かつてはヨーロッパ中心で旧石器時代が考えられ、

原人(北京原人やジャワ原人などのホモ・エレクトゥス=旧名ピテカントロプス・エレクトゥス)段階の前期旧石器文化、

旧人(ネアンデルタール人)段階の中期旧石器文化、

そして新人(クロマニョン人)による後期旧石器文化。

ネアンデルタールのムスティエ文化からクロマニョンのオーリャニック文化への変遷が最初はヨーロッパ中心に研究が進められ、アジアでは遅れて研究が始まりました。

近年は中東や東欧、中央アジア、中国北部、日本で様々な発見が相次ぎ、ヨーロッパでネアンデルタールが滅びクロマニョンの時代が到来した、という単純な図式が成り立たなくなっています。

日本には旧石器時代は無いとされていましたが、1946年の岩宿遺跡の発見以降、日本全国で旧石器時代遺跡の発見が相次ぎ、現在までにその数は14500箇所といういう膨大な数になっているのです。

せいぜい5000年前とされていた縄文時代の始まりも、前期の前に早期、草創期が追加され16500年前まで遡っています。

後期旧石器時代は38000年前より遺跡が急増し、

磨製石器の使用、
集落の形成、
罠猟(落とし穴)の開始、
ナウマンゾウの狩猟と解体、
外洋航海

といった、世界初、或いは大陸に先駆けての人類の文化的活動の事実が明らかになりました。

地方の考古学研究者は嘆いているのですが、この、

日本列島の38000年前がスゴい‼️

という事実が教科書に載らないばかりか、
有識者と呼ばれる人々にも殆ど知られないのが、
我が国の惨状です。

最近は

縄文時代は実はスゴい(*º ロ º *)!!

というのは少しずつ知られるようになってきましたが、

それより22000年前の後期旧石器時代の日本列島が実はスゴい‼️

という事実がもっと広く知られない限り、

(*´థ.థ`*)縄文時代なんて原始時代だろ❓

という人の固定観念を打破するのは難しいでしょう。

後期旧石器時代~縄文時代の最新の知見を理解すれば、

弥生時代には殆ど渡来人は来ておらず、縄文人が大陸から文化を持ち帰って弥生文化に移行した‼

ことも、

卑弥呼の女王国連合は九州だけの小さな勢力ではなく、

ヤマト(奈良)を中心に西日本のほぼ全域に及ぶ連合国家であり、その事実は中国(魏)も充分把握していた。

ことも、すんなり理解できると思います。

38000年前、ユーラシアステップを移動して日本列島にやって来た人々がいました。

その人々は当然、ユーラシアステップを逆に辿れば中東やヨーロッパに行けることを知っていた人達です。

何万年もの間、この道を多くの人々が往来していました。

国境の無い時代、
土地が誰のものでも無かった時代、

人々は一年、二年かかっても厭わず、この道を自由に往来していたのです。

日本列島は、大陸から文化的に切り離された離れ小島ではありませんでした。





10月31日(日)16時~

茨城県つくば市松野木99-34
「海鮮や辰海」様にて
029-838-5666

縄文講座を行います。

当日は縄文人が食べていた食材を使った「縄文料理」の提供もございます。

縄文料理のお食事含む会費はお一人様四千円

Presented by縄文家族
新 縄文講座vol.1
~目から鱗!新事実続々発見~

縄文時代の暮らしを知ろう!

( ・`ω・´)💡

21世紀に入り、科学分析の進化は目覚ましく、世界的に先史時代の新発見が相次いでおり、ここ数年で「農耕社会」以前の「狩猟採集社会」が高く評価されるようになってきました。

肉食中心の「狩猟社会」から、植物の利用へと楫を切った「狩猟採集社会」の始まりは、農耕の前段階であると同時に、その社会こそが自然と共生し未来まで持続可能な高度な社会形態であったのです。

SDGs(持続可能な開発目標)が課題となる時代、

狩猟採集を基盤に起きつつ農耕に過度に依存せず、分業制が進み専門的で高度な技術力を高めながら、土地に縛られることなく広域な交易ネットワークを構築し、一次二次三次産業を程好くバランスさせた争いの少ない社会を実現していた環日本海地域に跨がる、縄文人、東夷族の社会は、

現代に生きる私達にとって昔話ではなく、未来を切り開くためのお手本として注目されているのです。

日本列島、そして日本海を挟んだ沿海地域は、世界的に最も早く16500年前より土器を使用しています。

そこに世界文明の前段階があったのです。


沿海地域からユーラシアステップの草原は、コーカサス地方、レバント地方へと繋がる大回廊でした。

多くの文明は、砂漠や山脈、大河に遮られていましたが、この草原には、人々の往来に大きな障害はありませんでした。

この大回廊を西から東へ、或いは東から西へ文化が相互に伝播していきました。

今、歴史的な「東夷社会」、現代も尚、草原で暮らすサスティナブルな遊牧民の暮らしに世界の注目が集まっています。

有識者はそこに未来があると確信しているのです。

!Σ( ̄□ ̄;)

日本列島の住民は、縄文時代が始まるより遥か昔の37500年前から太平洋に船を漕ぎ出していました。

縄文時代が始まる頃から急激な気温上昇と下降が繰り返されつつ、地球は最終氷期を脱し温暖な時代へと向かいます。

最も豊富な自然の恩恵を享受出来たのは、ブナ、ナラの森が広がる環日本海沿岸地域でした。

日本海に暖流が流れ込むようになると、そこは豊かな漁場となり、太平洋の荒波を経験していた縄文人は穏やかな内海を自由自在に駆け巡っていたのです。

古事記に登場する

尾張の相津の二俣杉(この当時はまだ遠江国造は置かれていないので、現代のボートの聖地である天竜相津マリーナは尾張であった。尾張はヤマト政権支配地域のENDの意)で作られた二俣小舟とは、

縄文時代のダブルカヌーで積載量も多く高速で遠距離航海が可能でした。

( ・`ω・´)💡

縄文人は山葡萄酒を楽しみ、
猪(豚もいた)、鹿、鴨、雉肉を屠り、
そして現代と変わらぬ豊富な魚介類を贅沢に食べていました。

クルミ、トチ、カヤなどのナッツや、キイチゴ、アケビ、ヤマグワなどの果実を採集し、
アズキ、エゴマ、ヒョウタン、ワラビ、ヒエを栽培し、
お団子やクッキー、ワラビ餅、お粥などにしてグルメな生活を送っていたのです。

自由な時間に寝て起きて、完全フレックスな労働時間は一日四時間程度。

あとは遊んで暮らしています。

芸術作品を作り出すプロのアーティストもいれば、

玉石器は早くから採掘業者、加工業者、運送業者、販売業者と分業が進み、生業を持っている人も多くいました。

中国史書にはっきり書かれていますが、東夷社会にも王はいましたが彼らは庶民と同じ家に住み、自ら畑を耕し、ことさら贅沢な暮らしをしてはいませんでした。

玉製、石製、土製、木製のアクセサリーは、誰もが平等に身に付けてお洒落をしていたのです。

入母屋造のような日本の伝統的な建築様式は既に高度な木工技術と共に確立していました。

栗や漆など樹木の管理栽培、植林も始まっています。

( ・`ω・´)💡

実は縄文時代の人々の暮らしは、現代日本の山間地域に暮らす人々と大きな差はありません。

日本の歴史学者は、
水田稲作のような灌漑を伴う単一栽培の大規模な農業の開始を「農耕社会」と定義しています。

そして都市の出現を「文明」と定義しています。

現代日本の山間地域の人々の暮らしは、
家庭菜園プラスアルファの換金作物栽培、
山菜やキノコ取りなどの採集、
猪や鹿の猟も行われています。

山にあるものを利用した自然と共生する暮らし…
それは定義上では、「農耕」「文明」に当てはまりません。

縄文時代から16500年続く「狩猟採集民」の暮らしなのです。

「持続可能な開発」とは、戦前には半数以上の日本人が縄文時代から続けてきた、小さなマチと多くのムラが機能的に結び付いたネットワーク社会がまさにそれであり、16500年の「実績」があるのです。

((‘д’o≡o’д’))
誰もが探して
欲しがっているもの
“それ”はいつかの
未来にあると
僕も皆も思い込んでいるよね
なのにねまさか過去にあるだなんて
一体どれ程の人間気付けるだろう

( ・`ω・´)💡

過去に学ばぬ人に
未来はありません

彼ら大祖先は、
それよりまた何万年も昔の
大祖先を思い、

何万年も未来の
子供たち(つまり現代の私達)のことを考えていました。

時間の流れが早くなった現代では、

ともすれば昨日と明日のことくらいにしか思いが至りません。

大祖先を知らないでSDGsなんて言えますか?

何万年も先の子孫のことを想像出来ずにSDGsが言えますか?

百年の見通ししかなければ百年もたないでしょう。

私達の大祖先には、
万年の予見
があったからこそ、
万年の継続があり、
こうして現代に私達が生きているのです。



縄文時代中期の山梨長野縄文王国には、有孔鍔付土器という特殊な土器が見られます。

この土器には昭和中期から

太鼓説
酒造具説

の二説が唱えられています。

その後、土器内部から炭化したヤマブドウの種子が発見され、

また住居内に埋設された状態(温度管理されていたと想定される)で見つかること、

小孔部には(太鼓として使用するために)紐等を通してついた摩擦痕が見られず、

小孔は発酵過程のガス抜き孔と考えられること、

等から酒造樽説が有力になっているようです(˶˙º̬˙˶)*॰

ただ、日本の考古学界の通例(笑)として、太鼓説論者も粘り強く反論を唱えており、統一された見解は示されておりません(≧▽≦)(笑)

然し(笑)、
結論としては99%酒造樽であるようです。

個人的には太鼓説も非常に魅力的なのですが…



(˶˙º̬˙˶)*॰

青森県の三内丸山遺跡でも、ヤマブドウ・ニワトコ・サルナシといった酒の材料がまとまって見つかり、

発酵したものを好むミバエの化石も大量に発見されたことから、

果実酒が作られていたことは確定的とされています。

有孔鍔付土器は縄文前期末から中期終末に作られ、関東甲信越を中心に分布してました。

器形は前期末から試行錯誤を経て中期中葉にほぼ完成された形態となり、内側に漆、外側に赤色顔料が塗られたものも存在しています。




中期終末には小孔が無くなり注口部が設けられるようになり、

後期には注口土器へ移行していったと考えられているようです。

(˶˙º̬˙˶)*॰

ヤマブドウは樺太、南千島、北海道、本州、四国に分布する日本列島固有の葡萄で、和名はエビカズラ。

近年、ワインの原料として注目され、栽培品種も登録されて商品化された山葡萄酒も販売されています。

( ・ิϖ・ิ)っ

一般にワインの原料とされるヴェニフェラ種は黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス(カフカス)地方、或いはペルシア(イラン)が原産とされていますが、

ワインの醸造が始まった地域も、南コーカサスのアルメニア、ジョージア(グルジア)、或いはイラン高原とされ、

(DNA解析の結果からは何れもコーカサスが起源の可能性が高まっているらしい)

BC6000~4000という年代が示されています。

縄文前期末というのはBC4000~3500頃です。

(๑・㉨・๑)




コーカサス地方は、東夷社会(ウラル・アルタイ諸語を話す環日本海狩猟採集交易ネットワーク社会)の遼河地域からユーラシアステップを経て通じている地域です。



西方へ移動しやすいユーラシアステップは、近世までアルタイ諸族(東夷、トゥーラーン)が抑えており、

中国王朝の支配が及んだのは(モンゴル族の)大元ウルス、(満州族の)清朝の時代だけでしたฅ( ̳• ·̫ • ̳ฅ)

この為、中国は沙漠を超え苦労を重ねて細々シルクロード交易を行うしか術が無かったわけですが、

東夷族は、ユーラシアステップをスイスイ((((((っ´・ω・`)っ
駆け抜けていたのです。

縄文時代中期、

メソポタミアにはシュメル、

イラン高原にはエラム

という日本語と同じ膠着語を話す黒い髪の人々(ぶっちゃけアルタイ諸語を話す東夷族)が陣取っていたわけですが、

ユーラシアステップから南下すれば、

イラン高原、
メソポタミア、
コーカサスは、

目と鼻の先にあります。

東夷社会の一員(中国史書に云うところの海を渡って来る東夷王のいる場所)である日本列島の縄文人に、

古代アルメニア人やエラム人から葡萄酒の製法が伝わっていたとしても、

何ら不思議ではありません(o・・o)/

漢語の「葡萄」はブドウ🍇を意味するペルシア語のブーダウが語源とされており、中国に葡萄酒が伝わったのは古くて周の時代とされ(中国からコーカサスへは杏子=中国原産、アプリコットが伝わったとされる)、漢代には葡萄酒が作られていたが、その後廃れたようです。

どうやら縄文時代の日本列島には、中国を飛び越えて(ユーラシアステップ経由で)西域の文化が伝わっていたようですが、

縄文中期の諏訪から釜無川流域の土器には、オリエンタルな風情を感じさせるものがあります( *´︶`*)








そして、ユーラシアステップ経由のカスピ海北岸は、北東アジアから来る文化と西から来る文化の出会う場所であったとされています。

東西の文化交流は、何時の時代も一方通行ではなく、西から東へ伝わるものもあれば東から西へ伝わっていく文化もありました。

中国では5000年前、西(岐山)に(東夷族の)炎帝神農氏が陣取り、その後裔の姜姓氏族(羌、氐)が西域と交流し、

東周以降は、やはり東夷族の秦(嬴姓趙氏)が西(岐山)を拠点とし西域と通行しています。

中国社会でも東夷族が重要な場所を確保していたことがわかります。

ところで、秦には元々そこにいた羌族だけでなく、西から追われてきた羌(ユダヤ人)が亡命していましたが、これが秦氏=ユダヤ人説の根拠になっています。

然し、秦の王族と共に日本へ渡って来たユダヤ人は極少数であったと思われます。

( ੭˙ᗜ˙)੭
近年の古代史研究の進歩は目覚しく‼

秦氏の一員として弥生~古墳時代にユダヤ人がやって来るよりずっと昔の…

縄文時代前期にオリエントから日本列島へやって来た人々がいた(またその逆があった)としても、何ら不思議ではなくなってきているのです。


トゥーラーン民族主義は20世紀初頭に勃興したユーラシア大陸非稲作民族連合の結集を呼び掛けるものでした。

ヨーロッパのモンゴル人を標榜するマジャル人(ハンガリー)、フィン人といったフィン・ウラル語族、

テュルク、モンゴル、ツングースのアルタイ語族など、

トゥーラーンとは、北東アジアの原始東夷社会を起源とする農耕社会を最後まで拒み続けた人々です。

トゥーラーン民族主義は、ナチスドイツのアーリア人(印欧語アーリア人はトゥーラーンを出自とする)至上主義と結びつき、ヒトラーはハンガリー、日本を名誉アーリア人として枢軸国結成の一因ともなりました。

第二次世界大戦の敗北を経て、敗者側の主張であるトゥーラーンやウラルアルタイ語族は表向き否定されていくことになりますが、そのような政治的イデオロギーを抜きにすれば、

ウラル語族の原郷とされる遼河文明、日本列島の縄文文化圏を含む北東アジアの東夷社会が新石器革命に関与した可能性は非常に高く、(政治的な理由から大きな声では語られていませんが)欧州でも常に研究対象となってきました。

(๑• - •`๑)戦後の日本では、

農耕民族である日本人が、狩猟民族である欧米人に勝てるわけが無い(*•̀ㅂ•́)و✧

などと戯けた自虐史観教育をしてきましたが…

真逆ですᕙ ( •̀∀•́ )(ᵒ̴̷͈ᗨᵒ̴̶̷͈ )ᕗ⋆°。✩

一万年前に中国江南、中東レバントで始まった農耕社会を、

最後(2000年前)まで拒み続けたのは、誇り高き東日本の縄文人です。

ฅ՞•ﻌ•՞ฅ

更新世末期、16500年前に日本列島周辺で土器が作られるようになります。

彼らは煮炊きを開始し、それまで生食では利用しづらかった植物資源を食糧として有効利用するようになります。

当時のヨーロッパはマドレーヌ文化といって洞窟に住み、ホラアナライオンやホラアナグマと格闘する原始狩猟社会が続いていました。

当時のヨーロッパ土人は洞窟に壁画を残していますが、それらは動物の絵ばかりで植物は描かれていません。

原始的な西洋土人はヨダレ🤤を垂らして美味しい食べ物ばかりを一所懸命描き出していたのでしょう。洞窟に住みながら…

近現代の西洋人は合理的思考で研究者はバカではないので、アーリア人の祖先が中央アジアから来たことを何となく知っていましたし、

スキタイ、フン(匈奴)、アヴァール(柔然)、テュルク(突厥)、モンゴル(蒙古)に蹂躙され続けた苦い歴史を知っています。

武力だけではなく、鉄器などの技術力も西洋は永らく劣っていました。

白人至上主義は、そうしたコンプレックスの裏返しで、

農耕社会=文明
狩猟社会=野蛮

という図式を作り出しました。

日本人は農耕民族、西洋人は狩猟民族などと言ったら、白人至上主義者は烈火の如く怒り出す(*`益´*)<(`^´)>でしょう。

(ᕯ❛⃘∀❛⃘ᕯ)o

漢民族もまた、武力、技術力で東夷族に劣っていたため、

三皇五帝、上古三代(夏商周)、秦、北魏、隋、唐、五代、宋、遼、金、元、清の各王朝の王族は東夷族、トゥーラーン出身でした。

漢民族出自の統一王朝は漢と明だけです。

西洋ではカール大帝がフン族の偉大な王アッティラの子孫であるとしていますが、トゥーラーンの先端技術を継承した王侯貴族が農民を(上手いことを言って)支配し続けてるというのが21世紀になっても変わらぬ実情です。

「卑弥呼 事鬼道能惑衆」
(卑弥呼。鬼道に事え能く衆を惑わす)

東夷族である陳壽が三國志に大衆を惑わせるのが政治の基本であるとしていますが、

惑わされ「日本人は農耕民族である(๑꒪⌓꒪๑)ノ」
などと思い込んではいけません。

衆を惑わせるとは、思い込ませることです。

(๑✪⌓✪๑)ノ
先生「日本人は農耕民族です」

生徒「はーい(๑꒪⌓꒪๑)ノ」

先生「西洋では一万年前から農耕社会に移行しましたが、日本は2000年前の弥生時代からです。縄文時代は狩猟採集社会でした(๑✪⌓✪๑)ノ」

「はーい(๑꒪⌓꒪๑)ノ」

( ꒪言꒪)
何の疑問も思わなかったら相当のバカです。

ネットワークビジネスや環境問題ビジネスに簡単に騙されてしまいます(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜

(๑´̥̥̥>ω<̥̥̥`๑)
歴史家の常ですが…

政治的な絡みがあり、本当の事は大きな声では言えません。

日本の考古学界は、東の亀ケ岡文化が西の弥生文化より優れていることを既に把握していますが、

上からの指示で公表出来ません。

だから、たとえば考古学者が…

「朝鮮半島の(5500年前の)櫛目文土器が日本に伝わり曽畑式土器が(6000年前に)作られた(๑✪⌓✪๑)ノ」

と、時系列上有り得ない事を言ったら、察しなければなりません‼

「日本の曽畑式土器が朝鮮に伝わったんだな(゚ー゚)(。_。)ウンウン」

( •́ㅿ•̀ )
一度、洗脳(思い込ま)されてしまうと、

目の前に事実があっても信じることは出来ません。

釈迦やイエスが懸念したように、多くの人は自分で考えることが出来ず、一度思い込まされてしまうと、騙されたまま一生を過ごします。

知らぬが仏✋😊👌とも言いますが…

( ・ิϖ・ิ)っ

分からない人には一生分からないでしょうが(笑)

話を続けていきます。

後期旧石器時代のヨーロッパは氷河に閉ざされ原始的な狩猟社会を継続して洞窟に居住し、ご馳走を壁画に描いて悶々と過ごしていました。食糧事情は不安定で飢えに苦しんでいました。

日本列島では38000年前に平地性住居を伴う集落(環状ブロック遺跡群)が見られます。

最大で70~80人が共同作業でナウマンゾウを狩っていました。

環太平洋地域にはヨーロッパには無い磨製石器があり、木を伐って船を作り海洋航海に乗り出しています。

太平洋は漁業資源豊富ですし川には大量に鮭が遡上してきます。

日本列島には氷床は殆ど見られず、海面が下がり太平洋岸には照葉樹林帯が存在した可能性があり、沿岸部では落とし穴猟も始まり効率的に獲物を捉えています。

後期旧石器時代(38000年前~16500年前)を通じて日本列島には14500箇所の膨大な遺跡があり、大陸を含む広域な交易ネットワークが形成されていました。

黒曜石は単なる道具ではなく、より良質の石材を求めて諏訪地方や神津島などの地域ブランド品が全国に流通しています。

産地ごとに異なる黒曜石の色や模様にも関心があったようです。

それは豊かな証でしょう。

食えない場所に人は集まって来ません。

ヨーロッパだけを見れば、狩猟社会は貧しく飢えていましたし、農耕社会に移行して豊かになったかもしれませんが…

海洋交易民として世界を見ていた縄文人が農耕に依存した社会へ移行しなかったのは、彼らより豊かで充分食えていたからでしょう。

狩猟採集交易ネットワーク社会は、家族単位で洞窟に暮らすような原始的な狩猟社会ではありません。

自給自足ではなく、交換が基本ですから当然経済が発達していきます。

金持ちケンカせずで、争いません。

周辺にいる他の部族は大切なお客様でありビジネスパートナーです。

農耕民は土地に縛られますから情報に乏しく、土地の所有を巡って他の部族とは激しく争うことになります。周囲にいるのは敵なのです。

縄文人は気候変動に伴い西へ東へ大移動していましたが、土地に縛られていませんから食える場所に移動すればよいのです。

そして森や山や海や川は誰のものでもありません。

大切なのは、何処に食べ物があるのか?
何処に良質な資源があるのか?
リアルな情報です。

農民は土地に纏わる過去の物語を大切にして(土地の所有権を主張するため)文字の記録を残していますが、東夷商人にとってはリアルな今の情報が大切です。

文字の起源は東夷商人が商業記録のメモ書きに使ったのが最初ですが、彼らは企業秘密を広く知られないために様々な文字のヴァリエーションを生み出しました。

東夷商人が使っていた文字を、のちに農耕民が利用して記録を遺しています。

然し、戦になると農耕民は記録をつけない東夷族に常に蹂躙されてしまうのです。

広域な移動をする東夷族は星を見て方角を知るために天文学が発達します。

狩猟採集で生きていくには、食べられるものと毒性のあるものを知っていなければなりませんが、これは薬学、医学の発達に繋がっていきます。

ヨーロッパでは洞窟に穴居していた頃、日本列島では平地に家を建てています。

22000年前には基礎を作り柱を建てる頑健な竪穴式住居が見られるようになります。

東夷社会は地球上のどこにもない文明の前史を持っていました。

石器は、
石を切り出す人、
加工する人、
交易ネットワークを遠くまで運搬する人、

既に分業が進んでいました。

石器や石器材料は持ち運べる資産であり、貨幣価値のあるものでした。

石を掘っている人、加工する人、運んでいる人は自分では狩猟採集をしません。

自給自足では無いのです。

黒曜石という貨幣と食糧を交換するのです。

更新世が終わり、温暖な完新世が訪れた時、

1次、2次、3次産業のバランスが取れた狩猟採集交易ネットワーク社会を形成していた東夷社会は、

原始的な狩猟民に対して3万年のアドヴァンテージを持っていました。

北東にいた彼らと西、或いは南にいた原住民の邂逅から農耕社会、都市文明、(文字の記録による)歴史が生まれていきます。

然し、30000年のアドヴァンテージは容易く埋まることはありませんでした。

中国では東夷満州族の清朝が倒れるまで東夷族優位の状況が変わることはなかったのです。

欧州も東から来たモンゴロイドが現地民の妻を娶りコーカソイド化しつつ支配層に食い込んでいます。

その優位性は、現代でも変わっていないかもしれません。

トゥーラーンを出自とする一部の支配層にとっての話ですが…(๑• - •`๑)