何故か徳島県に多いハプロNOは現代中国人とフィンランド人共通の祖先 | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



ヤンガードリアスが終わり一気に気温が上昇した  11700年前(BC9700)。

完新世の始まりと共にレバントでは先土器新石器時代となり農耕が普及していきます。

近年では、レバントに先駆けて長江で14000年前頃に稲作が始まっていたのではないか❓とする説があります。

まだ西ユーラシアには土器が無く、長江流域でもそれ程土器が普及しているとはいえない時代…




大量の土器生産をしていたのが環日本海地域の日本列島、沿海州です。

最終氷期最寒冷期には食物資源豊かな落葉樹林のナッツの森は、長江東南部と日本列島沿海部(特に九州から関東の太平洋岸)に広がっていましたが、

アジアでは15000年前からベーリング・アレレード期の温暖化が始まり、ナッツの森は北へと移動していきます。

長江東南部では、落葉樹林から常緑樹林へと植生が遷移し、食料資源が乏しくなった辺りから稲作を開始したのではないかと考えられています。

長江付近(華南)にいたY染色体ハプロタイプO1bは、そこに留まって稲作を始めたO1b1と、

森を追って環日本海地域へ移動したO1b2に分岐したようです。

この頃、華北には古羌、アルタイ語族の共通祖先O2a2がいたと思われます。

被支配層の粟作農耕民である漢民族(主にO2a1c)が人口爆発を起こしたのは5000年前以降の事で、この頃の華北にはアルタイ語族を話す東夷族が僅かにいた程度だったでしょう。

この頃の華北は黄砂とステップが入り交じった不毛地帯だったので、

まず、飯が食えません(/ω\)

遼河付近にはハプロN、
北海道と陸続きのアムール地方にはハプロC2、

日本列島にD1a2、C1a1がいたと思われます。

( ・ิϖ・ิ)っ

これまでお話した通り、食料資源確保が容易であった日本列島では食物をめぐる争いは起こらず、

異なる文化を持った部族が同一集落に共存したり、

異文化集団同士が広範な交易ネットワークを構築した

原始共産制の東夷社会が誕生していました。

後期旧石器時代(岩宿時代、BC36000~14500)を通じて、様々な文化を持った人々が住みやすい日本列島へやって来たのだと思われます。

(˶˙º̬˙˶)*॰

のちの東夷族、
トゥラーンに繋がる人々の基層となる、

ハプロN、Oは何処からやって来たかと言いますと…

5~6万年前には日本列島に到達していた可能性があるハプロC,Dとは異なる

F系統から分岐したハプロK系統のうち、

のちの印欧語族(ハプロR)、アメリカ先住民(ハプロQ)の共通祖先であるハプロK2b*は42000~39000年前に北京にいた田園洞人から検出されています。

トゥーラーンより出たと云われるアーリア人の祖先は、意外と早い時期にアジアにいたのです。

中東からユーラシアステップを経て36500年前に日本へ伝わった石刃技法をもたらしたのは案外アーリア人とアメリカ先住民の共通祖先であったかもしれません。

K2b*の子系統のうち、QRの親であるハプロPは、現在フィリピン、韓国に僅かに見られます。

ハプロPが岩宿時代の日本に住んでいた可能性もあるのです。

もう一方のハプロMSの子孫はポリネシア、メラネシア、オーストラリアに現在多く見られます。

その後、Pの子系統であるハプロQとRは、バイカル湖からエニセイ河流域に留まったのち、西ユーラシアとアメリカへと別れていきました。

一方、東アジアに多いOの親系統に繋がるK2a*は、
45000年前のロシア・オムスク州、アルタイ山脈を源流とするエルティシ川流域にいた
ウストイシム人から検出されています。

また、42000~37000年前のルーマニアにいたオアセ1からもK2a*が見つかりました。

オアセ1はネアンデルタール人の遺伝子を5~11%と濃厚に持ち、4~6世代前にネアンデルタール人の祖先を持っていました。

(˶˙º̬˙˶)*॰

ここで興味深いのは、

現代中国人に多いハプロO
の祖先系統であるオアセ1は現代ヨーロッパ人に近い形質を持っており、

アーリア人の祖先系統である田園洞人は現代アジア人に近い形質であった、

ということです。

父系はあまり形質に影響しないのではないかと考えられます。

ハプロタイプというのは、何千何万といる祖先のうちの、たった一人から受け継いだもので、直系を辿る手がかりにはなりますが、民族や人種の違いをあらわすものではありません。

( ・ิϖ・ิ)っ

日本人からは男系母系共に非常に多様なハプロタイプが検出されており、

縄文人と弥生人、古墳人の混血などという単純なものではなさそうです。

特に男系というのは、かつて繁栄した系統でも戦などによって壊滅する可能性が高く、かつて居た場所から姿を消してしまうケースが多く見られます。

特に狩猟民族は、土地に縛られる農耕民族や現代人とは比較にならないほど長距離を移動していました。

( ・ิϖ・ิ)っ

ハプロNOの共通祖先は、4万年前にユーラシアステップの西にいたようですが、この系統は冒険心が強いのか…

農耕民となり華北華南に定住した漢民族を除き広範囲に移動を繰り返しています。

オーストロネシア語族、オーストロアジア語族のように太平洋やインド洋の海洋民となり、マダガスカルやミクロネシアへと拡散していった子孫もいます。

ウラル語族(ハプロN)は遼河付近からシベリア、アラスカ、ウラル山脈を超えフィンランドやハンガリーに拡散していきました。

ハプロNの祖先は元々、ユーラシアステップの西にいたので、子孫である人々は、その後もユーラシアステップを自由に往来していたのでしょう。

フィンランド人やハンガリー人は現在でも
「日本人と同祖だ」
と言っているようですが、

彼らの祖先は確かに‼

沿海州で日本列島の縄文人と共に「東夷社会」を形成していたのです。

(*`º´*)/

さて、ハプロNとOの共通祖先であるハプロNOですが、

徳島に5.7%
福岡に3.8%
と、日本の一部に比較的高頻度に見られるようです。

( ´・_・`)

ハプロNO系統の人々は、縄文時代よりはるか以前の岩宿時代に、

大陸と日本列島を何度も行ったり来たりしていたのかもしれません。



最終氷期最寒冷期には、東シナ海は陸になっており、九州から大陸へ渡るのは造作もないことでした。

彼らは、大陸と列島の落葉樹林帯を自由に往き来し、彼らの行動が東夷社会を生み出していったのではないでしょうか❓