遠江国山香郡から遮光器土偶が出土していた!!(゜ロ゜ノ)ノ⁉️ | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️

内藤湖南は魏志倭人伝の…邪馬臺国(女王国)に属する諸国の一つ華奴蘇奴を遠江国磐田郡鹿苑神社の所在地とする説を上げましたが、鹿苑神社は磐田郡から山香郡が分割された時、山香郡与利郷から磐田二宮に分霊されました。

鹿苑神社本宮(天竜区春野町杉の本宮小國神社)が鎮座する山香郡与利郷は、現川根本町の大井川西岸地域を含んでいました。

この大井川西岸の上長尾遺跡(2300~2500年前)から遮光器土偶が発見‼️されています。




縄文時代晩期から弥生時代にかけ、与利郷に縄文人が暮らしていたのは間違いないようですし、この遮光器土偶が発見された上長尾は、天竜区の大部分を占めていた山香郡内から発見された‼️という事実は見逃せません❗

春野町川上から川根本町上長尾まで直線距離です約七キロ。
峠を越えて活発に行き交う古代の人々にとって目と鼻の先程の距離なのです。

この秋葉山を中心とする山間地域、旧山香郡一円に古代から人々が暮らし、秋葉信仰へと繋がる山岳信仰の息吹は、おそらく縄文時代に源流があると思われます。

縄文時代前期(7000~5500年前)には、温暖化による海進(海水面の上昇)が進み、日本の平野部は大半が海に沈んでいたと考えられています。

遠州平野は天竜区二俣町鹿島から扇状に広がり、西の三方原台地、東の磐田原台地に囲まれていますが、この遠州平野一帯が「磐田之海」であったようです。

柳田國男「日本の祭」には、
“遠州の山住神社などは、海から数十里も離れた奥山郷であるが、それでは祭には御潮取りに天竜川の下流、今では二俣のあたりまで行って川の水を汲んでいる。ここまでは海の潮が通うと見たのかと思う。”
と書いていますが、山住神社(奥山郷は平安時代以前は信濃国伊那郡)は縄文時代、この辺りが海であった記憶を伝えていたのでしょう。

実際に、満潮時にはここまで潮が来た、という「汐見渡(しおみど、しあみど)」という地名が今でも残っています。

縄文時代中期(5500~4500年前)には、天竜川を遡った長野県八ヶ岳付近で縄文遺跡が爆発的に増えています。この時代の長野県は全国的にみて人口密度が非常に高かったようです。



縄文中期後半(4500年前)の竪穴式住居が発見された天竜区熊(山香郡大岑郷の西端か?)のヒラシロ遺跡も標高六百メートルを超える高地にあります。

中部山岳地帯は氷河期であった旧石器時代から遺跡が多いのですが、信州産黒曜石が全国に流通しており、早くから広範な交易ルートが確立していました。

旧石器時代の遺跡としては50000~33000年前の野尻湖遺跡から67000点の化石遺物、250点の局部磨製石斧が出土。
世界的にも見ても群を抜く物量の遺跡で、世界初の磨製石器を作った日本の旧石器人、とりわけ中部山岳地帯が世界文明発祥の地とするイメージを膨らませる遺跡です。

氷河期終盤の遺跡としては、二俣町鹿島から一キロ程西よりに、本州最古、旧石器時代唯一の人骨「浜北人」が発見された根堅遺跡(18000~14000年前)があります。
狩猟民の行動範囲は非常に広範ですから、浜北人の生活圏は天竜区域にも及んでいたのでしょう。

氷河期が終わり、温暖化が進むと、遠州地方にいた浜北人の子孫の一部は、冷涼な信州の高地に移動していったかもしれません。

そして、高地に暮らした信州の縄文人が、再び寒冷化が進む縄文後期から天竜川を下り、遠州地方に進出してきたケースもあったでしょう。

縄文後期~晩期の浜松蜆塚遺跡、縄文晩期に謎の古代文字が刻まれた水窪石が発見された水窪遺跡など、遠州地方の隅々に多くの縄文遺跡が残されています。

平安時代の山香郡に相当する遠州山間地域は、縄文人の密集地帯であった信州の影響を受けながら山に暮らす人々が旧石器時代から連綿と暮らしていたと思われます。

寒冷化が進めば、海面が下がり、平野部が増えていきますので、自然と山から平野部へ移り住み、水田耕作が普及していくことになります。

そして、水田耕作の技術は、既に縄文人は持っていたとしても不思議ではないでしょう。
信州縄文人は、広範な交易ルートを持ち、遼河文明、黄河文明、長江文明とも交流があったようですから…

おそらく、弥生人が渡って来なかったとしても、この頃には水田耕作が普及していったと思われるのです。

!!ヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ!!

然し、縄文時代晩期になると、海を渡って東海地方の沿海部にも「もののふ」がやって来たようです…彼らの祖先は、海進期に海を渡って出ていった海洋系縄文人だったようですが、列島に残っていた山岳系縄文人との衝突は避けられなかったと思われるのです…

遠州にも山幸彦と海幸彦が一戦交えたと思われるエピソードが形を変えて遺されていると考えて良いのではないでしょうか…



(*`・ω-)ノ
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