とある不運で幸運な選手の話 | 岳さんの 自信がつく!ダッシュ教室!

岳さんの 自信がつく!ダッシュ教室!

このブログでは、わたくしスプリントコーチのタケさんコーチのスポーツ指導活動のアップと、主催しているダッシュ教室の開催予定日のご連絡で使っています。
毎月のスケジュールが決まり次第アップしていきます。

今回は、変わり者過ぎたスプリンターの話をさせていただきます。

彼は幼少から小学5年生まで足の遅さがコンプレックス。
足の遅さが原因で、学校中から石を投げられて毎日泣きながら帰っていた子でした。
ひどい重症な走り方。

顔の表情筋から指先、足先までコッチコチに全身力を入れて走り、まるで錆びたマジンガーZ。


頑張る=全身力を入れてやる事と思っていたため、走れば走るほど進まないので、しまいには苦しまぎれに首まで振るダメな方での完璧さ。



中学から、人並みの足の速さにはなりたい一心で陸上部に入部。
1年の時からバタバタ走るなってよく注意されました。
2年から父の転勤で転校。
ここでも陸上部に入ったものの、短距離の先生がいない状況💧
自分で研究し、自分で練習メニューを作る、自分がキャプテンという状態が卒業まで続きましたが、自主性そのものが人並み以上に身に付いたようでした。

中学陸上部時代から自分なりに研究していた甲斐があり、走り方は見た側からは完成度が高かったです。
ただ、ひたすら研究して完成していたのは、ビデオで当時のオリンピックを何千回と見て参考にした、見た側からは完成度の高いコピー。
フォームは非常にいいんだけど、形を完璧にまねしただけで、どう力を入れていたりどう抜いていたのかは別。
全身の力を入れている事を改善せずにコピーされたものでした。

それから高校陸上部へ。
県内ではトップクラスの練習量の監督のもとでの3年間。
他校との合同練習会や、スポーツメーカーの講習会でお手本で呼ばれるほど動きがキレイ✨
練習は300mインターバル走を毎日10セット以上ダッシュしたり懸垂20回以上出来るまでになるような筋トレなどする事で、何回も全力疾走出来るスタミナと100m11秒ジャストで走れる選手たちと同等の体力レベルまで上がりました。

だけど、大会では12秒5から上がらない…
もっと行くだろうとか、本気出してないなど沢山の人から言われました。

大事な部分が抜けたまま、鬼のようなトレーニング。
胃液が黄色くなるまで吐くし、尿漏れするまで走り込んでました。
全身の力みがまったく抜けない状態のままで、まともな選手たちに追いつくまで練習していました。

県大会での、中の上くらいのレベルの他校の選手たちと肩を並べるに至ったときは、私だけ体型がちょっと浮いてしまう💧太ももサイズから筋肉量が他よりもデカい。
みんなと一緒になるために命懸けの練習したためです。みんなより倍に全身力みながら走ってたので、追いつくためには倍以上練習が必要でした。

まさに素人が体力だけつけて速くなった状態。

この力みについて指導者たちからの指摘がほとんどなかったのは不運。
あまりに動きがキレイに見えたために、全身力んでたことに誰も気付かなかったんです😓

渡米し、カリフォルニア州立大学体育学部へ進学。
陸上専攻しました。
それまでの自分の考え方のまま、力んだ状態が治らずまたもや黒人スプリンターたちの倍の練習量を自分に課して、ようやく11秒2までなりました。

3年生の時に、ヨーロッパのプロチームへ練習生として入団。
プロからしたら笑われる遅さ。
だけど練習でのインターバル走や筋トレでは同等の強さのため、
実力わざと隠してるとも思われていたけど、タイムは11秒1でなかなか速くならない。
本人はもはやスピードの限界、びりっけつ坊やだったのがここまでやって及ばなかったんだからそろそろ自分を許してあげようとチームとの契約終了2ヶ月前にあきらめが浮かんでました。

変わらぬトレーニング漬けの退団1ヶ月前。
退屈な休日に、Amazonで運動に関する本を取り寄せ、なんとなしに読んでました。(カラダにはココロがある)って言う本。

そこで初めて、脱力というワードに触れ、
翌日の練習はタイム計測。
その時、前ももはブレーキの役割になると書いてあったのを思い出し、ちょっと試しに前ももをプランプランに力を抜きながら全力疾走して測って見ました。

上半身が先行して、足がもつれる寸前。

ステップが追い付かず転びそうに。

踏ん張り感のない走り方は自分の感覚ではすごく変な感じでした。

すると電子掲示板をみると、いきなりベストタイム大幅に更新💦
最初はタイマー故障かと思ったくらいあり得ないタイム。
トレーナーさんたちからは、プロのレギュラー選手たちと変わらないタイムに驚き、ドーピングに手を出したのかと疑われました。

この時、必要のない力を全身のいろんなパーツに入れて走り続けてきたことをこの選手は、陸上始めて12年目の引退前に悟りました。

幼少からの長年の力み経験がこのタイミングで活きる事に。
全身のどのパーツも意識して力を入れたり抜いたり出来る特技が出来ていた事。

脱力を覚えたその日から退団までの1ヶ月でどんどん更新し、
100m走は手動計測で10秒38までに。
並みの選手たちの倍以上練習して作り上げた身体は、歯車が噛み合ったときに火を吹きました🔥
これで、最後の大会でリレーにBチームで出場、プロで揃えたAチームに勝ちました。非常に運が強く味方しましたけど、絶対有り得ない優勝に会場大騒ぎでした。


それから、帰国。

25歳。

何から始めたらいいのか分からない状態。

とりあえず生きるためにバイトとトレーニング開始。

3ヶ月後、バイト中に割れるような頭痛と血便に襲われて入院。

長年のトレーニング量で無理し続けていたツケがまわり、内臓が疲弊しきっていてボロボロになってたそうです。

そしてドクターストップで日の目を見ることなく引退しました。

こんなに、12年も力任せでくすぶり続けたなんて、本当に愚かで、

ほんっと、鈍い奴。
早くに気付けるタイミングはもっとあったのに、最後にわかるなんて。
あの練習量の途中で脱力に気付けていたら、スター目指してたのかなぁ…。

デカい事やるのが好きだけど必ず、

見事なオチがついてくる。


その選手は、古川岳志といいました。
長い経験から見つけたたくさんの気づきとトレーニングプログラムを、
ダッシュ教室を開いて子供たちに指導しています。