沖縄・糸満に息づく沖縄琉球暦による海人文化 | 福岡占いの館「宝琉館」 ホウリュウの開運鑑定ダイアリー

福岡占いの館「宝琉館」 ホウリュウの開運鑑定ダイアリー

福岡占いの館「宝琉館」の深川宝琉館長が占い(運命学)について綴る開運ダイアリーです。運命学も各占術の書籍のみに盲従せず、実占を通して活きた開運学に醸成することが肝要。おもむくまま雑感を記します。

沖縄三越での9日間にわたる開運鑑定会が大盛況の中で終了し、今回、鑑定にお越し下さったすべての方々に深謝します。来年もさらなる深い鑑定内容を心がけて準備して参ります。



日を新たに命を立つ ホウリュウの開運鑑定ダイアリー
鑑定会の翌日(5月6日)、沖縄の知人の車に乗って、久しぶりに沖縄南部の南城市や糸満市を巡りました。

糸満は古来、糸満族という海人がいて頑固に旧暦による祭祀を守り続けています。


糸満海人は明治後期から昭和初期にかけて沖縄近海の黒潮に乗り、福井や千葉、フィリピン、シンガポール、南洋諸島、ニューカレドニアまで出漁して海人としての幅広い見識と漁法技術を磨きました。とくにミーカガンと呼ばれる水中メガネの発明は潜水追い込み網漁に大きな変革をもたらし、海と共に生きる人々の智恵や技術は沖縄本島各地や八重山にも定着したのです。



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日本と韓国の間にある玄界灘の孤島、沖の島は「海の正倉院」と呼ばれる古代神道の貴重な文化遺産が残され、世界文化遺産の登録へ向けて活動が活発化されていますが、英彦山の宮司によると、糸満族は絶海の孤島である沖の島にも足を運び、禊ぎをして入島したと伝えられています。実に幅広いフィールドワークとでも言いましょうか。


沖縄南部の糸満は旧暦文化が今も根強く息づいています。


市庁舎自体も諸行事を計画する際、カレンダーで旧暦の日付を見ながら、できる限り旧暦行事と重ならないように配慮しているほどです。


糸満の人々が旧暦に沿った行事を大切にするのは、旧暦が月の満ち欠けに基づいた暦であるからです。糸満海人は旧暦の日付と月の形から、その日の大体の干満時間を導き出す計算方法が伝わっていて、その智恵によって海難から身を守り、大漁の潮目を読んでいきました。


沖縄には「沖縄琉球暦」という旧暦のカレンダーがあり、ご年配の方々や旧暦文化を大切にする人たちは日々、愛用しています。本土の旧暦と同じですが、面白いのは沖縄伝統の風習や文化を時節ごとに細かく説明してあることです。そして、うちなーぐちという沖縄方言なども細かく紹介されています。


糸満の書店に行くと、まず、表に「沖縄流旧暦」を宣伝するポスターが貼ってあり、「糸満では必需品」と強調しています。本屋の主人にお聞きしても、「糸満海人は旧暦を頑固に守り抜いて海に生きているさー」とにこやかに笑ってくれます。