風水に少しでも関心のある人ならば、今年が平城京遷都1300年という節目の時を迎えたことに感慨を深めるでしょう
今から1300年前、和銅3年(710)に遷都された平城京は日本で初めての国際都市でした。平城京は、唐の都・長安(現在の西安)を手本にしました。長安という大都市自体、風水によって作られました。
つまり、平城京は風水都市なのです
当時の都市風水は「四神相応(しじんそうおう)」が基本です。今も、その考え方が息づいています。
四神相応とは、背後に山、前方に海、湖沼、河川の水(すい)が配置されている背山臨水の地を左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵や背後の山より低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいいます。
この場合の四神は、背後の山が玄武(げんぶ)、前方の水が朱雀(すじゃく)、玄武を背にして左側の砂が青龍(せいりゅう)、右側が白虎(びゃっこ)と表現します。
平城京はその建都にあたっての詔勅に「方今、平城之地、四禽叶図、三山作鎮、亀筮並従(方に今、平城の地、四禽図に叶ひ、三山鎮を作し、亀筮並に従ふ)」とあります。この「四禽図に叶ひ」とは四神相応のことで奈良時代には平城京が四神相応の地であることが確認できる内容です。
平城京が遷都された当時、天皇をはじめ為政者たちは遣唐使を派遣して当時最先端の唐文化を積極的に輸入。長安は、当時の国際的な文化のセンターでもあり、シルクロードを通じて伝わった西域やペルシャの文明は、長安経由で日本にもたらされました。
平城京はまさに、東回りの文明の終着点。数々の御物が、唐、新羅、さらに西域やペルシャ文化の息吹を今に伝える正倉院は、まさにその象徴。そして「仏教東漸」の終着地として、東大寺の大仏建立に象徴される仏教文化の花が咲きました。
「はじまりの奈良、めぐる感動」をテーマに平城遷都1300年祭ではメーン会場となるかつて大極殿などがあった平城宮跡で朱雀門が復元され、今年4月には大極殿も復元完成します。
太極殿は平城京の北の一画にあり、まさに平城京の中心。しかし、784年に都が長岡京に遷った後、平城宮は放置され、大部分が田畑となり、すっかり忘れられた存在になっていました。
明治時代に入り、奈良県の技師として古社寺修理に携わっていた関野貞(1868~1935)が田んぼの中に大極殿の跡を発見。都跡村(現佐紀町)の住人が「大黒(タイコク)の芝」と呼んでいた場所でした。さすが、都市の北側にある玄武の場所を大黒と表現したものです。
平城京の宮殿が保存されるまでには先覚者、地元有志の熱心で忍耐強い保存運動がありました。平城遷都1300年祭の総事業費は100億円。来場者は全体で年間1200万~1300万人。メーン会場の平城宮跡は200万~250万人を見込んでいます。
あなたも、日本の「はじまり」に思いを馳せ、日本の風水都市を体感するために、今年は吉方取り(お水取り)に奈良を訪ねてみてはいかがでしょうか
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