ホンコンには行ったことがない。

そう言えば子供の頃、ホンコン焼きそばは好きった。今でもスーパーで売っているので、つい買いそうになるが、まだ買ったことはない。

 

 

駿台の英語科を作り上げた伊藤和夫は海外旅行に行ったことが無かったが、優秀なお弟子さんと言うか駿台の同僚に誘われ、初めての海外旅行が香港だったそうだ。誘ったのは確か山口紹師と大島師。間違いなく楽しい旅行だったことだろう。もしかすると数学科の旅好きだった講師も一緒だったのかも知れない。

 

 

スカタコ高校の教員だった頃の同僚が中国に返還前の香港に旅行していた。今思えば、その時期のホンコンを観ておくべきだった。

 

 

今日から香港の法律が変わるそうだ。日本政府は遺憾の意を表明し合衆国は制裁措置

を取った。ただ実際は中国政府の決定には誰も逆らえない訳で、そうすると残念ながら香港は大きく変わることになる。誰かがギャクで中国を香港化すれば良いじゃないかと言っていたが、そうなれば良いことだが、それは無理。

 

英国が特例で香港からの移民受け入れを表明している。それも良いオプションだが気候が違いすぎる。

 

今朝、ふと、考えた。

 

台湾の一領域に香港を丸ごと移転すれば良いんじゃないだろうか?

 

と、こんな無意味なことを散歩が終わり、湯船に浸かりながら考えていた。

 

NHKFMからはラフマニノフが流れており、DJと言うのかナビゲーターと言うのか分らないが番組の進行役の人が、『ラフマニノフは政治不安だったロシアからアメリカに移り.........』と解説したことから、香港について考えてみた。

 

今は好きなラフマニノフをyoutubeで聴きながらこの文章を書いている。

検索をかけたら、たまたまこの映像だった。

 

 

 

 

 

 

我が家の掛かり付けの歯科医は京大卒である。

少し受験のことを知っている人なら、「それ、流行りの学歴詐称じゃね」と言うかもしれない。

京大には歯学部は無いからだ。

 

旧帝大で歯学部が無いのは東大、名大、京大。

 

過日、コロナで学校が休校中の平日の夕方、別府公園を散歩した。

 

何時もなら職業柄、こんな時間に散歩など出来ない。

小中高が休校中は朝8時30分からSkypeで講義をしていた。

だから何時もは仕事が始まる夕方には、既に授業はほぼ終了していることが多かった訳だ。

散歩の時には本や音楽を持ってゆくことが多いし、歯医者やその他、少しでも待つ必要のある時には本を持ってゆく。

 

そう言えば、息子の小学校受験の時も本を持って行って時間を潰した。息子は怪獣の本を持って行き、これから

受検者は試験会場に移動すると言う直前まで待機場所の近隣にたまたま座っていた4,5人で一緒に本を見ていた。

引率の教員と共に検査場に移動する段になって、さすがに検査に不必要な本を持っているのはマズいかもと思い、取り上げた。

 

歯医者に通う時も本は持ってゆくのだが、その歯医者は割と面白そうな本があり、別に本を持ってゆかなくてもイイと思うようになり、待合室で、そこにある本を読むようになった。ある時、京大の学祭かなにかの冊子があり、それを見ていたら、診察室でその話になった。もちろん歯の治療だから多くは語れない。その時は大学は京大だったんですよと聞いただけで、待合室には九大歯学部卒と書いてあるので、「じゃあ、再受験したんですね」とは聞かなかった、と言うか治療中には会話は出来ない。

 

夕暮れ時、息子と散歩に出た。

行き場所は別府公園。東門の辺りでロン毛の歯科医とすれ違った。どちらからともなく、会話が始まった。実は京大理学部数学科を出ているが河合塾でアルバイトしていたので京都には住まずに大阪から通ったことや工業高校出身であることや分子生物学の勉強が出来ると思い九大歯学部に進み歯科医になったのは40歳くらいで、今でも週に2回は京都、1回は九大に通っているそうだ。

 

京大数学科と言えば僕にとっては森重文だが―森さんがフィールズ賞を受賞したとき師匠の秋山仁師が日経新聞に割と長い解説文を書いていた―その他の数学者たちの話しをし、結局、京大で数学を学問するということは哲学であると言う、取り合えずの結論に至った。7時過ぎても外は明るいが、この時は真っ暗になり、多分、1時間以上立ち話をしていたんだと思う。Mさんと別れて歩き始めると、足が痺れていた、こんなことも珍しい。

 

実はそれ以後、小僧さんの第一志望校は京大理学部数学科になった。

 

 

 

先週、ある塾生が、もう秋山先生の動画はUPしないのですか?と聞いてきた。
一応、あのシリーズは、あれで完結しているので、もうUPしないと思う。

少し横道に入る。

実は僕は20歳のころ、生まれて初めてアルバイトをした。
よくありがちなことだが、塾の講師。当時、札幌で1,2を争う大手塾だった。
ライバル塾は、その後、ITバブルの辺りに上場ブームも来ていて、一部上場企業となった。その頃、初めて「先生」と呼ばれた。
「先生」と呼ばれることは、あまり好きじゃない。田舎の小学校では給食のオバチャンに対しても「先生」と使うことも多い。実際、山の中にある公立高校に勤務しているとき、高校を卒業したばかりの若い事務員に対して、「先生」と使っていた。息子がよく見ているyoutubeにも塾経営者かつ医師の人が大学の学生さんに対して「先生」と使っている。確かに学校や医療機関では「先生」と使っておけばトラブルが少ないのかも知れない。

前置きの説明が長くなってしまった。

大分県民としては「先生」と呼べるのは唯一、福沢先生だけだと心から思っている。

最近、もう一人、「先生」と呼んでいる人がいる。藤井先生(将棋)だ。

と言うことで秋山「先生」のことは、当塾の塾生は、秋山師と呼んで欲しい。

ちなみに中国語では「師」は日本語の「先生」のことを意味し、「先生」は日本語では「~さん」の意味だと、かつての教え子から聞いたことがある。


今朝、fb経由で、こんな動画を見た。西さんは、われわれの世代では代ゼミの人気講師だが、今のネット社会では、それこそ、いつでも、どこでも、好きな時に、拝聴できる。

秋山師の映像授業も伊藤和夫師の映像や音声も、これから、UPする予定はないが、自分で見て、これは、と思う動画をシェアしてゆきたいと思う。現在、青学の教授をやっておられる入不二元義師の哲学講義もyoutube上にあればUPしたいし実は入不二師の弟さんで中卒でロックミュージシャンになった人が歌う映像をFB経由でいつか見たのだが、これが良くて寝ながら何度も聴いて、そのまま熟睡すると言う、良い音楽だった。

さて、このブログも休眠中だったものを、今回のコロナと言う緊急事態に遭遇し、一時的に再開したのだが、これからは、何らかの文章や映像を、時々UPしてゆこうと考えている。

さてさて、本当に前置きが長くなった。

西さんの講義を、あなたが好きな時間にぜひ聞いて下さい。
実に良い時代になった。

あ、コロナに関しては、これからが本番だと素人ながら考えています。

毎日、注意していることは、極力,濃厚接触を避けることと石鹸での手洗いの励行です。インフエンザ同様、清末塾で一人の感染者も出さないように最善を尽くします。何人かの保護者様には伝えていますが、大分県内の幼稚園、小中高で一人でも感染者が出た場合はまたスカイプなりZoomなりを使いネット授業を再開します。