アントニオ・セルバンテス 「世界王座獲得50年!」 コロンビア初の世界王者 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

1972年10月29日(日本時間30日)にアントニオ・セルバンテス(コロンビア)がアルフォンソ・フレージャー(パナマ)を10回KOに破り、WBA世界スーパーライト級王座を獲得し、同国初の世界王者となってから50年。スーパーヒーローの功績を称え、11月6日(日本時間7日)にはカルタヘナで記念興行も開催された。

 

 

世界王座は通算16度防衛。1973年12月にはパナマでライオン古山(笹崎)選手の挑戦を15回判定で撃退。1974年10月には、東京・日大講堂で日本期待の門田恭明(新一・三迫)選手を、圧倒的強さで8回KOに退けた。門田選手はWBC世界ライト級王者ロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)への挑戦を、ガッツ・石松(ヨネクラ)選手に先を越され、「悔いなき善戦を望む」と予想された石松選手が、まさかのKO勝ちで王座奪取。

 

 

ゴンサレスが勝てば次に対戦する事になっていた門田選手は、1階級上げてセルバンテスの王座に挑戦したが、セルバンテスは強く、門田選手は8度倒され8回KO負け。強気で鳴る三迫仁志会長も、「1階級違うとこんなに違うのかなァ。今日は俺も門田も思い知ったよ」と兜を脱がざるを得なかった。

 

 

1975年9月にはべネスラ・カラカスで、バトルホーク風間(SB石丸→池田)選手とノンタイトル戦で対戦し、6回TKO勝ち。当時の日本の一線級は誰も歯が立たなかった。「ファイトマネー12万5千ドルを降らなければ、いつ、どこででも防衛戦をやる」と言い、その通り実行したセルバンテスは、l1973年には年間5度の防衛に成功。”戦うチャンピオン”の異名を与えられ、一時はパウンドフォー・パウンドのナンバーワンといわれれた。コロンビアから、新”キッド・パンべレ”の誕生が待たれます。

 

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