1963年に開設され5人の世界王者を輩出したヨネクラジムが、初の世界チャレンジを果たしたのは1970年6月の鈴木(ガッツ)石松選手。世界ライト級王者イスマエル・ラグナ(パナマ)陣営から正式な契約書が届くと石松選手は、「本当ですか。世界タイトルよりも、外国に行けるのがうれしい」と、正直な胸の内を明かしている。
1970年1月、3度目の10回戦で初のメインイベントに出場。東洋ライト級王者ジャガー柿沢(中村)選手と対戦した石松選手は大方の予想を覆し、ノンタイトル戦ながら柿沢選手を破り世界入り。一方、3月3日(日本時間4日)に米・ロサンゼルスでマンド・ラモス(米)を破り、世界王座返り咲きを果たしていたラグナは、ラモス戦前から初防衛戦の相手として柿沢選手を指名。柿沢選手は石松選手に敗れた後も世界ランクに留まり、ラグナ挑戦の前哨戦として趙永喆(韓国)と対戦。
しかし、よもやの初回KO負けで柿沢選手は、東洋タイトルを失う。そこで柿沢選手に勝った石松選手に世界王座挑戦のチャンスが転がり込んで来た。10回戦3度の経験しかないキャリアでの世界挑戦は、「あんまり早すぎて危険」と心配される。
だが、周囲の心配をよそに石松選手は、「はっきり言って勝てるとは思わない。しかし、相手も人間。命までは取られない。納得のいく試合をする」と断言。米倉健司会長は、「最初はものになるかと心配したが、とにかく努力でこの地位を築いた選手です」と評価。愛弟子の世界王座奪取に期待を寄せた。
ラグナは1965年4月にカルロス・オルチス(プエルトリコ)に勝ち、最初の世界タイトルを獲得。これはアル・ブラウン以来、パナマにとって30年ぶり史上2人目の世界王者誕生で、ラグナの人気は大統領を上回り、同国最大のアイドルとなった。そんなラグナは靴磨きの少年から身を起こし、プロボクサーとなったが、その理由は「拳一つで外国旅行が出来るから」で、石松選手の外国旅行が夢だった」と重なり合う。
6月6日(日本時間7日)、パナマシティ。「何回まで持つか?」の予想を背負い、ラグナに挑んだ石松選手は、王者の長く、速く、正確な左ジャブに苦しめられながらも、13回まで倒れることなく粘ったが、つにレフェリー・ストップ負け。そしてこの試合で、「世界戦で13回まで持った。”やれば”俺も捨てたもんじゃない」と妙な自信を付ける。
初防衛に成功したラグナは、9月にプエルトリコのサンファンでケン・ブキャナン(英)の挑戦を受けるが、際どいスプリット判定で敗れ王座陥落。1年後、ニューヨークでの再戦も大差の判定で敗れ、これを最後にグローブを壁に吊るした。
石松選手は1974年4月、3度目の世界挑戦でWBC世界ライト級王者ロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)を、幻の右でKO。念願の世界タイトルを獲得。1975年2月、3度目の防衛戦でラグナに引導を渡したブキャナンと対戦。速い左ジャブを持つブキャナンに対し、ラグナ戦で学んだ「左が世界を制する」を実践。文句なしの判定勝利を挙げ、世界中のファン、関係者をアッと言わせた。6月28日(日本時間29日)は、ラグナ77歳の誕生日。パナマのアイドルは、まだまだ意気盛んのようです。











