金平ジムから協栄ジム 「プロ活動停止!」 60年の歴史にピリオド | BOXING MASTER

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋43年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

野口ジム所属の元日本バンタム級ランカーの金平正紀氏が、引退後、後輩の山神淳一氏(湘南山神ジム会長)を誘い営んでいた恵比寿のとんかつや”とん金”に、海老原博幸氏が出前持ちとして入って来たが、その条件はボクシング教えます。仕事の合間を縫って本家の野口ジムへ海老原選手と共に通い稽古をつけた金平氏は、海老原氏に賭ける決意を固め、とんかつ屋を売却し1959年に金平ジムを設立。

 

 

金平会長、海老原選手、山神トレーナーのトリオが挑んだ夢は、1963年9月18日に海老原選手が世界フライ級王者ポーン・キングピッチ(タイ)を1ラウンドでKOし、現実なものとなる。海老原選手はタイでの再戦でポーンに敗れてしまったが、英雄を慕う若き選手たちが多数入門。金平ジムの前途は洋々だった。しかし、金平会長と盟友の後援者である黒木利秋氏は、先物取引で致命的な損失を被る。

 

二人は悲壮な覚悟で協栄物産に赴き、「もう、煮るなり焼くなり、好きにして下さい」と開き直った。しかし、ここで協栄物産の井上会長から頂いた言葉は、「そんな物騒な事を言わないで下さいよ。うちがスポンサーになりますから、頑張って下さい」。1966年3月、金平ジムは協栄ジムに名称変更。

 

1966年7月、ラスベガス左から山神トレーナー、金平正紀会長、一人置いて協栄物産・井上会長、海老原博幸選手。

 

その後、海外タイムスジム、ベル協栄、ワールド・スポーツクラブと名を変えた時期もあるが、ボクシング界でも社会的にも認知度が高い、協栄ジムに戻り現在に至っていたわけですが、突然のプロ活動休止は驚き。今少し、今後を見守りたいと思います。

 

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