WBA"初"指名戦入札 三原vsカルレ | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

入札で落札された世界タイトルマッチの、王者と挑戦者両方が王座承認団体をソデに振った形のWBA世界フェザー級タイトル。いち早く降りた挑戦者ミゲール・アンヘル・ガルシア(米)はWBO王座を狙い、王座を放棄したセレスティノ・カバジェロ(パナマ)は、WBC1位にランクされた。


WBAの指名試合が入札に持ち込まれるようになったのは、1980年11月の総会で認められてから。


その第1号は、当時世界1位にランクされていた三原 正 (三迫)選手と、王者アユブ・カルレ(ウガンダ)のSウェルター級戦。落札したのは、今でも元気なボブ・アラム率いるトップランク社で、日本では考えられない破格の条件だった。


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ボブ・アラム。


当時の挑戦者のファイトマネーは1万ドル(約220万円)が相場。しかし、三原選手のファイトマネーは5万ドル(約千百万円)。他に、これまでの待ち代1万ドル、雑費が5千ドルプラスされ、合計6万5千ドル(約千四百三十万円)というもの。


カルレvs三原戦は、81年4月デンマークのコペンハーゲンで開催されることが決まった。日本開催をもくろんでいた三原陣営の目算は、WBAの”入札”により頓挫


カルレは工藤政志(熊谷コサカ)選手から王座を奪っていったサウスポーのテクニシャンでパンチもあった。4度の防衛を果たしていた無敗の黒人王者の実力は、高く評価されていた。


歴史は三原選手が敵地でカルレに挑戦して勝てたかどうかは、神のみぞ知るということになる。


入札と時を同じくして、シュガーレイ・レナード(米)がロベルト・デュラン(パナマ)とのリマッチを制し、WBC世界ウェルター級王座を奪回。初防衛を果たしたレナードは、2階級制覇を目指しカルレの王座に食指を延ばす。


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アラムは三原陣営に「1回待った」を交渉し、カルレvsレナード戦勝者との対戦を約束。81年6月25日、ヒューストンのアストロドームで行われた、カルレvsレナード戦のアンダーカードに顔見せ出場を果たしている。


2階級制覇を果たしたレナードは、Sウェルター級王座を返上。三原選手は81年11月ニューヨーク州ロチェスターで行われた王座決定戦で無敗のロッキー・フラット(米)を破り、見事に世界王座を獲得。


初防衛戦は、「勝てる相手」として同級10位デビー・ムーア(米)が選ばれた。王者のファイトマネーは2千2百万円。


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来日したアラムは、「WBC同級王者ウィルフレッド・ベニテス(プエルトリコ)となら、60万ドル(1億3千2百万円)。ウェルター級王者レナードとなら75万ドル(1億6千5百万円)。それぐらいの価値はある」と、三原選手を語った。


だが、三原選手はまさかの敗戦で百日天下に終わってしまう。そして、世界再挑戦の機会はついに来なかった。


ムーアへのオプションのひとつはデュランに譲られ、「負ければ終わり」と見られていたデュランが若き王者を粉砕。マービン・ハグラー(米)、トーマス・ハーンズ(米)戦とのビッグマッチへ繋げた。これに介在したのもやっぱりアラム。


時は流れ、王者も1位選手も権利を放棄するまでになったWBA王座はさびしい限りです。


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