G・エスパダスvs王座喪失 驕りvs執念! | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

身長153センチ。小さな巨人の異名を取ったWBA世界フライ級王者グティ・エスパダス(メキシコ)。実子のジュニアは、2000年4月WBS世界フェザー級チャンピオンに輝き、史上初の親子世界王者となっている。

”初夢無残!”。昭和52年元旦。圧倒的強さで3位のチャレンジャー高田次郎(協栄河合)選手を7回TKOに降したエスパダスの強さに、日本のファンはど肝を抜かれた。

同郷のWBC王者ミゲル・カントを、「スパーで2度倒しています」という言葉も、なるほどとうなずけたものである。王者は21歳になったばかりの若さ。当分王座は揺るがぬように思えた。

V2戦は4月、地元メリダで前王者アルフォンソ・ロペス(パナマ)を13回TKOで返り討ち。続いて11月、ロサンゼルスでアレックス・サンタナ・キドー(ニカラグア)を8回KO。そして昭和53年(1978年)1月2日、触沢公男(東洋)選手の挑戦を受けるため再び来日。



前世界王者小熊正二(新日本木村→大熊)選手、世界ランカーホセ・ルイス・クルス(メキシコ)を連続KO。クリスチャン触沢選手はまさに神がかり的勢いで、無名から半年後初めて世界タイトルマッチ(77年6月)のリングに上がった。しかし、カントの技巧の前に健闘空しくかぶとを脱ぐ。

カント戦後左目の視力は1.2から0.4まで落ちた。これは15ラウンド戦った試合のダメージによるもの。触沢選手は休養後、まずは再起戦と考えていた。これは常識である。

TV朝日はエスパダスvs高田戦の低視聴率にもめげず、1年前から78年1月2日のゴールデンタイムをプロボクシング世界タイトルマッチ中継のために空けていた。計画されていたカードが次々つぶれていく。慌てたTV朝日は11月も末になって、エスパダスvs触沢戦を正月のカードと決めた。

「会長、自信がない。あと2、3戦してからやらせてください」

「今断ったら、俺のTV局への面子がなくなってしまう」


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人の良い触沢選手は、「今度負けたら再起不能のガタガタになってしまう」という予感にかられながらも、”ボクサーの夢”である世界タイトルマッチのリングへ上がった。

しかし結果は、”無残!触沢歯が立たず”。というワンサイドゲームに終わる。初回から一方的に攻めた王者は、6回攻撃の手をわざと緩め、挑戦者に反撃の機会を与えた。顔色ひとつ変えずにこの回を終えると、次の7回は一気の猛攻。

猛然とラッシュした王者のパンチで挑戦者の左マブタがパックリと切れる。激しい出血。1分27秒ジョーダン主審のストップによって、エスパダスは楽々4度目の王座防衛に成功。試合後、王者が挑戦者を抱きながら涙を流したシーンが想いだされる。




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この試合の2日後、WBC王者カントが大熊選手を2-1の判定で破り11度目の王座防衛を果たしているが、「今のエスパダスなら若さとパワーでカントの技巧を粉砕するだろう」の声に異論は出なかった。

貧困家庭に育ち、町の喧嘩少年だったエスパダスがボクシングを始めたのは15歳のとき。べト・リベロマネジャーの指導でメキメキと腕をあげた青年は、世界の頂点に駆け上がると、「いい家を建て、家族に幸福な生活をさせてあげたい」と語り、「タイトルを5、6回守って引退するつもり」と結んでいる。

触沢戦。来日した王者側一行の中に、ベテラン、ルペ・サンチェスの姿があった。その役目は、「王者の”わがまま”を抑えるため」だという。真面目人間も慢心か・・・。

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5度目の防衛戦は指名試合。1位にランクされるのは元WBC王者ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)。すでに28歳。若きチャンピオンにはとてもかなうまいと見られていた。

8月、ベネズエラ・マラカイへ遠征したエスパダスのコンディションは最高。しかし、老雄ゴンザレスはうまい戦いを見せる。打ち合いではショートパンチで巧みにポイントを稼ぎ、中盤戦打ってはクリンチ。先にスタミナ切れの兆候を見せたのは、9連続KO(1分含)中のエスパダス。

自慢の強打が当たらず、クリンチで心身を消耗させられた王者は、ズルズルとポイントを失っていった。採点はメキシコ人ジャッジが146-146の引き分けとしたが、148-144、145-142の2-1でゴンザレス。


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74年10月大熊選手から王座を終われて以来、4年ぶりの世界返り咲きとなった返り咲き王者。それは執念と、キャリアのなせる業という他にないが、若き王者の慢心も見逃せない。

敗れてもなお、WBCはランク1位に前WBA王者を置いた。同郷対決も期待されたが、WBC王者カントは79年3月、15度目の防衛戦でLフライ級上がりの新鋭 朴 賛希(韓国)によもやの判定負けで王座を失う。そして9月のリマッチも引き分けで王座返り咲きならず。

79年12月。王座を失って以来3連続KO勝ち。エスパダスは指名挑戦者として、自信満々韓国・釜山へ乗り込んだ。試合は激しい打撃戦。初回開始早々挑戦者がダウンを奪うがダメージはない。


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朴のワン・ツー、左フックと、エスパダスの左右フックの激しい打撃戦に突入。ラウンド終盤には王者が倒し返す。そしてエスパダス2度目のダウンで初回終了。2回、挑戦者が勝負を賭けてきた左右フックをぶん回す。だが、朴はひるまない。よく見て、ジャブ、ワン・ツーで反撃。

パワー勝負は得意中の得意とするところだったが朴には通用せず、この回左フックで2度のダウンを奪われ2回分44秒KO負け。王座奪還はならなかった。この半年後、”望みなき挑戦”といわれた大熊選手が、ボディブローで朴のスタミナを奪い奇跡の王座奪還を果たす。




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エスパダスがキャリアを活かした攻めを見せていたら勝負は違ったものになっていたかもしれない。ここにも慢心の影が伺える。一方勝者朴も、最強挑戦者を完璧KOしたのが慢心へのきっかけになったように思われる。

慢心の若手王者を潰したのは、怖がらず、少しの隙も見逃さないベテランのキャリアを活かしたうまいボクシング。思えば、タイソンvsホリフィールドもそんな感じか。

消極策で王座を失ったゴンザレスと大熊選手は、以後、積極的ファイターへ変貌を遂げた。王座返り咲きまで、ゴンザレス3年10ヶ月(3度目)、大熊選手は5年4ヶ月を擁した。エスパダスに執念があったなら。

今日の勝利は、明日の勝利を保障するものではない。

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