龍反町・テスト落第→ラスベガス世界戦! | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

龍反町(野口) 選手。1965年(昭和40年)6月プロデビュー。69年1月、日本ウェルター級王座獲得。70年10月にはOPBFウェルター級タイトルを獲得。連続11度の防衛記録を残す。生涯戦績57勝(31KO)12敗4分。


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世界タイトルには三度挑戦。73年4月19日最初の挑戦は、一門の親友輪島功一(三迫)選手の持つ世界Sウェルター級王座。野口ジム第一号選手三迫仁志会長が育て上げた輪島選手への挑戦を、本家野口ジムの野口恭会長が、「先輩、ぜひお願いします」と切願し、史上二度目の日本人対決が実現した。

「今なら一杯飲んでもいいけど。ボクシングの話は抜きでね」(~~)

「だけどやりにくなァ」(~~)




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当時としては珍しい25歳の新人輪島選手がデビューした半年後、反町選手は日本ウェルター級王座を獲得する。4歳年下の大先輩は、「輪島君」と言っては、あれこれアドバイスを与えたという。二人は数えられないくらいのスパーを積んでいた。

同門・親友対決!輪島功一vs 龍 反町

71-72、71-72、71-71。ポイント差は僅かながら世界王座へは届かなかった。74年10月、輪島選手を倒して王者となったオスカー・”ショットガン”・アルバラード(米)への挑戦も、7回むなしく散った。

「あと2年早かったら、反町が勝っていたのに」(野口会長)


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それでも、「僕からボクシングを取ったら何も残らない」男はリング活動をあきらめなかった。そして、日本人初のラスベガス世界挑戦へ漕ぎ着けるのである。

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「こんなにへたなのも珍しかったですね」

そう語るのは野口会長。入門当時の反町選手は、「最初のうちはこれがジムへ入ってくると、また来たかコイツってなもんでいやになりましたね」(~~)という次第。

「雨が降っても風が吹いてもキチンと来るんですよ。だけど、何ていったって格好もつかないんですから、テストも受けさせられないで、仕方がないから勝手に練習させとけってなもんでしたよ」(~~)

「教わったジャブだけを毎日、毎日、3ヶ月間やったですよ。他の事は何にも教えてくれないんだから」

17歳の練習生は全く相手にされなかった。10人入って来れば、1週間で半数近くがいなくなり、1ヶ月たって残るのは2、3人程度。それも、スパーリングでこっぴどくやられると、もう来なくなる。そんな時代である。

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「入門した時にある先輩から、”お前なんか3ヶ月続いたらいい方だ”って言われたのが頭へ来ましてね、”よし、見てろきっと偉くなって見せるぞ”って決心したんです」

「途中何度かやめたかったんだけど辛抱しちゃったんです。だけど、僕と一緒に入った連中はどんどんテストに受かって選手になっちゃうんですからねェ」(~~)

「知ってる連中から、”いつ試合に出るんだ”と聞かれると、”1年くらいしないと選手になれないんだ”って、ごまかしてました」(~~)

入門から1年。反町青年はようやくプロテスト受験を許される。満を持しての挑戦。当時はこんなに時間をかけない。反町選手の6年前にプロテストに合格した海老原博幸(協栄)選手は、入門20日目でテスト合格している。しかし、・・・。

「それでも落っこちたんだから、僕はよっぽどダメな男だったんですね」(~~)

「僕は最初からダメだと思ってたんですけど、あんまり可哀そうだったもんですからね。そしたら、やっぱり」(~~)

1年もやってて可哀そうだから、ダメだと思ったけどプロテスト受けさせたという野口会長。ほんとにダメだったんですねェ(失礼)。(;^_^A


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「さすがに落ちた時はガックリ来ましたね。もう一度受けてダメだったら、もうやめようと思ったですよ。それで1ヶ月、間をおいて受けたらやっと受かったんです。うれしかったなァ」(~~)

二度目も不合格なら、プロボクサー 龍 反町は誕生しなかった。

「何しろジャブが3ヶ月でしょう。ジャブから右ストレート、左フックってのが基本だけど、たいていの人は1ヶ月くらいで覚えるのに、僕の場合は3、4ヶ月かかってるし、バンテージ巻いたのが3ヶ月目、サンドバッグ打つのと、スパーリングを初めてやったのは半年目なんですよ」(~~)

「それほど下手だったんですよ。だけど、私自身若かったから、無理だ無理だと思っちゃって見抜けなかったんでしょうねェ」(~~)




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「僕なんかまるで見捨てられた猫みないなもんですよ」(~~)

「半年くらいたって帰る時、”失礼します”って挨拶したら、”反町風邪ひくなよ。明日も休まず来いよ”って会長さんが言ってくれたんですよ。何だか目の中が熱くなるくらい嬉しくって駅まですっ飛んで帰ったこと覚えていますよ」

ようやく挑んだ昭和40年6月のデビュー戦は黒星。1ヵ月後、「今度負けたらやめよう」の決意で戦った2戦目で、プロボクサー反町選手は初白星を飾る。以後、この白星を57個も積み重ねることになろうとは、誰も知らない。

野口会長でさえ、あれほどの選手になろうとは感じていなかった様子である。

反町選手の決め手は、鋭い右ストレート。しかし、「好調時の反町は左がよく出る」といわれた。多彩な左あっての右ストレート。

「とにかく僕は物凄いぶっきちょで、下手クソで・・・」

チャンピオンへの道は、やっぱり基本の繰り返し。一度教えてもらったことを信じてやり抜くこと、大事ですね。


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「負けはしたけれど、ラスベガスで戦ったということは生涯忘れないで。あなたは誇りを持っていいのよ。立派に戦って立派に敗れたのだから。ボクサーをやめた後も、このことを決して忘れないでほしいわ」

数年前、川口駅から乗り込んだ車両の目の前に反町氏が座っていた。恐ろしい偶然(アッ、反町だ→ドキドキ\(゜□゜)/)。相変わらずダンディでした。カッコ良かったですねェ。

 

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