サルディバルvs関。 ★デラホーヤ・タイソン・お宝Tシャツ!
当時の世界フェザー級。王者ビセンテ・サルディバル(メキシコ)は、関選手との2連戦に勝ち抜くと、英国に渡りハワード・ウィンストン(英)の挑戦を受ける。しかし、これは関選手との第1戦と同じく、ひじょうに際どい判定で王者が防衛に成功。
67年10月14日。地元メキシコでウィンストンの再挑戦を受けたサルディバルは、英国のラッシャーに苦戦するも12回TKOで退け8度目の王座防衛に成功するが、王座を返上し引退を発表してしまう。
無敵王者の突然の王座返上を受けて世界フェザー級戦線は混沌とする。
12月10日発表のWBAランキングは、1位アントニオ・ヘレラ(コロンビア)、2位ホセ・レグラ(スペイン)、3位関光徳(新和)、4位フランキー・クロフォード、5位エンリケ・ヒンギンズ(コロンビア)、6位ペドロ・ゴメス(ベネズエラ)、7位ボビー・バルデス(米)、8位ハワード・ウィンストン(英)、9位ドワイト・ホーキンス(米)、10位トニー・オルバラド(米)。
12月14日。ロサンゼルスで、WBA1位ヘレラと、WBA世界Sフェザー級2位(カ州公認Sフェザー級王者)ラウル・ロハス(米・上写真)の両者で、カリフォルニア州公認世界フェザー級王座決定戦が行われた。ロハスKO勝ちの声が圧倒的だが、結果は15回ロハスの判定勝ちに終わる。
WBCは1位ウィンストンと、3位関選手の間で王座決定戦を行うことを発表する。ウィンストンは、サルディバル戦での連敗後の再起戦である。一度はサルディバルと際どい勝負を演じたということでウィンストンを1位に据えたのは、WBC設立の中核をなすBBBCの後押しだろう。
一方の関選手は、67年1月サルディバルに敗れてから6連勝を記録し、すっかり復調していた。だが、JBCが加盟していないWBCタイトルマッチは国内で開催できない。試合は翌68年1月23日ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールと決まった。
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12月10日、WBAは次の声明を出す。
「サルディバルの引退で空位となったフェザー級のタイトルにつき、挑戦資格者の権利が守られていないため、いかなるタイトル戦と銘打った試合もWBAとしては承認するわけにはいかない」
この時、まだカリフォルニア州はWBAに加盟していない。WBAに加盟する米国各州は、総会においてそれぞれ一票を有していた時代。
WBAは空位の王座決定戦をロハスとヒンギンズで行うことを決める。3月28日、はれてカリフォルニア州ロサンゼルスで開催されたWBA世界フェザー級王座決定戦は、ロハスが判定で勝ち新WBA王者となる。
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英国へ乗り込んだ関選手は、5度目のチャンスに元気一杯。少しも臆することなく堂々とウィンストンと渡りあう。ほぼ互角で迎えた第9ラウンド、関選手は右目上に小さな傷を作った。レフェリーがドクターに傷を見せようとしたところ、ストップと勘違いしたファンが大挙リングになだれ込む。
そのまま収拾がつかなくなったリング上で、ウィンストンのTKO勝ちが宣告された。余りに不可解。リングサイドには、レフェリーの裁定に大声を出して抗議するサルディバルの姿があったという
この地元裁定に抗議し関選手は直ちに引退を表明。12度防衛した東洋フェザー級王座は既に返上していた。黒星スタートのデビューから僅か2年半での世界初挑戦(フライ級)は異例のはやさ。”悲運のボクサー”の生涯戦績は61勝(35KO)11敗1分。
68年はWBC会長国フィリピンのWBA脱退で対立が表面化。王座分裂が加速していく。
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ウィンストン(上写真)のWBC王座は半年後の初防衛戦でアッサリ奪われる。キューバ出身の無冠の帝王レグラが王座に輝いた。だが、この王座も永く続かない。69年1月ロンドンでジョニー・ファメション(豪)の挑戦を受けたレグラは、僅差の判定を失い初防衛に失敗。
そしてファメションは初防衛戦でファイティング原田(笹崎)選手を迎え、世紀の大誤審!ファメションvs原田Ⅰ という結果に終わる。
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原田選手の3階級制覇達成。これは欧米人以外では初めての快挙となる。当時の世論は、「原田の国内再挑戦を認めろ」一色に染まる。JBCは世論に動かされる形で、「原田選手が勝てば西城選手と統一戦を義務付ける」ことで日本初のWBC世界戦を認可する。
70年1月6日ファメションvs原田再戦日本開催。関選手がロンドンのリングで不可解な裁定に泣いてから2年の歳月が流れていた。3階級制覇ならなかった原田選手は引退。そしてファメションは、カムバックしてきたサルディバルの前に兜を脱ぎ王座転落してしまうのだった。
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