最初に世界王座を獲得したのは1986年7月、WBA世界クルーザー級のベルトだった。1990年10月25日、マイク・タイソン(米)から統一世界王座ヘビー級王座を奪ってたジェームス・ダグラス(米)挑戦のチャンスを掴んだホリフィールドは、3回KOでこのチャンスをものにする。

42歳のジョージ・フォアマン(米)、ラリー・ホームズ(米)らの挑戦を一蹴。無敗の世界ヘビー級王者は、対戦相手に恵まれなかった。そこへ現れたのが若きリディック・ボウ(米)25歳。1992年11月、30歳のホリフィールドは激闘の末ボウに敗れる。
しかし、負けて男を上げた試合であった。終盤はダウンも奪われKOされないだけでも奇跡といわれたが、試合中、ただの一度も勝負を諦めなかったという。

「このところ試合が終わるたびに、ひどく疲れたなあ、という実感がある。それが年齢というものかもしれない」
30歳のホリフィールドのコメントである。あえて戦いに挑む必要もない程の大金も稼いだ。しかし、16年の歳月がたった今も、世界ヘビー級の最前線で活躍を続けるのは驚嘆に値する。そのヒントは、次の言葉に要約されるだろう。
「ボクシングはスマートで、頭脳的なゲームである事を知らない人が多い」
ボウには1年後リベンジ成功。これも接戦だった。95年11月の3度目は互いに無冠同士で対戦。リードを奪いながらも8回逆転のTKO負けを喰らったホリフィールド。
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今月13日、ボウは二回りも大きくなった体でリングへ登場し、2度目のカムバックに成功した。ボウの敗戦はホリフィールドに敗れた試合のみである。そして今、両者の4度目の対決が期待されているという。
アジアの英雄マニー・パッキアオ(比)の前に屈辱の棄権負けを喫したオスカー・デラホーヤ(米)。リングを去るゴールデンボーイには、罵声が浴びせられた。

デラホーヤのプロデビューは、ホリフィールドがボウによって初めてレコードブックに黒星を擦り付けられた10日後。契約金100万ドルは、当時のレートで1億2千万円。プロモーターはボム・アラム。102秒で終わった試合のファイトマネーは15万ドル(1800万円)だった。
以来、数々の栄光と巨万の富を築き上げたデラホーヤ。戦い続けて16年、あれほど動けぬデラホーヤをはじめて見た。それはジェームス・トニー(米)のボディ・ブローでマットに落ちたホリフィールドに似かよる。タオル投入のTKO負け。
デラホーヤもまた、ドクターの勧告を受け入れなかったならば、ホリフィールド同様の醜態を見せていたに違いない。
ホリフィールドは敗戦を糧に、今日まで戦い続けている。勇気ある敗戦。負けた事により”本物”と認知されたボウ第1戦。そして、ワルーエフ戦での戦いぶりは多くの人々に感動を与えた。全ては過日のホリフィールドではない。46歳。力は落ちている。
「今、出来る事を一生懸命やる。勝負を諦めない」
このホリフィールドの姿勢が人々の心を打ったのだろう。スイスの観衆は大きな拍手で、偉大な敗者を受け入れた。
戦う心と戦略。それを遂行する体力。体力に合わせた作戦。己を知り、相手を読む。ボクシングは頭脳的ゲーム。己を知って戦うホリフィールドの今後には注目ですね。
デラホーヤもパッキアオ戦で己を知りえる事が出来たならば、まだまだ戦うことは可能だろう。しかし、短いサイクルでのトレーナー・チェンジは、余り上手くないように思う。パッキアオ増量勝利の一因は、フレディ・ローチトレーナーと長年コンビを組んで来た賜物だと思います。長い時間選手を見つめてきたトレーナーの目は大切です。
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