4日後楽園ホール。無敗の挑戦者三浦数馬(ドリーム)選手を迎えた日本Sバンタム級王者下田昭文(帝拳)選手は、8回負傷判定を失い思わぬ敗戦。その王座を明け渡してしまった。
浦谷レフェリーにしがみつき、試合続行を訴えた下田選手であったが、挑戦者の傷は深く、8回38秒試合は停止された。ジャッジ全員が77-76とスコア。一人は王者を支持したが、二人が挑戦者の勝利を認めた。
38秒で終わった8回が10-10とするならば、全てのラウンドが振り分けられていた事になる。負傷していない下田選手は、最後まで戦いたかった気持ちが強いだろう。しかし、この点は新王者も同じ。下田選手のランクがどのようになるかわからぬが、再戦の機会はありそうです。
負傷判定。この制度がまだ日本になじんでいない頃、渡嘉敷勝男(協栄)選手は、コミッションの勘違いで一度は勝利のコールを受けたが、王座を明け渡すハメになった。あれほど揉めた後楽園ホールは知りません。

【渡嘉敷勝男流血と怒号!WBA世界L・フライ級戦・判定が覆った】
この負傷判定なる制度が出来る前は、バッティングだろうがパンチだろうが、カットし試合続行不可能となった方が負けという、理不尽だが、ある意味わかりやすいルールであった。ダウンを奪い勝っていようが、TKO負け。何人の選手が涙を呑んで来た事だろうか。
カットしやすい体質の選手は、それ自体弱点であると定義されていた時代である。現在では、一方がカットすると試合のペースが上がる。ラウンドにもよるが、いつ下されるかわからぬ負傷判定が怖いのである。
「損しちゃうぞ!」
理不尽な王座喪失。マンテキーヤ(バターのように滑らか)と呼ばれた元世界ウェルター級王者ホセ・ナポレス(キューバ→メキシコ)。ライト級、Sライト級とクラスを上げて来た無冠の帝王ナポレスであったが、強すぎる余りに世界王者から敬遠される。

ホセ・マンテキーヤ・ナポレス。
1969年4月、1階級上の王者カーチス・コークス(米)への挑戦話に飛びついたナポレスは、王者を打ちまくった挙句13回終了でストップ。念願の世界王座に就く。デビューから11年目の初挑戦だった。1964年3月初来日したナポレスは、世界10位吉本武輝(リキ)選手を初回で倒している。
1970年12月ナポレス4度目の防衛戦は1位ビリー・バッカス(米)が相手。挑戦者は29勝(15KO)10敗4分の30歳。キャリアの前半、8勝7敗3分という平凡な数字を残し一時引退していた。カムバック後好調を続けていたとはいえ、カケ率は9-1と一方的。自信満々挑戦者の地元に乗り込んだナポレスの楽勝と見られていた。
2回、両選手共に右目上をカットする。3回に入るとナポレスは左マブタも切り、顔面は真っ赤。4回半ば、ジャック・ミリシク主審は試合をストップ。地元の大声援の中、新王者バッカスが告げられた。世界のボクシングファンを驚かせたナポレスの敗戦であった。
「ドクターは何で向こうはチェックせず、俺の傷だけチェックしたんだ」
互いにカットした場合、敵地では地元選手の手が上がる。「傷は向こうの方が大きいのに」理不尽な時代でありました。

72年来日したナポレスは、 龍 反町選手と2回のスパーを披露。
1963年から1974年のミドル級王者カルロス・モンソン(亜)戦までの10年間で、ナポレスは二つの敗戦を記録しているが、いずれもカットによるもの。そして二つの不本意な敗戦の借りはキッチリとお返ししている。
7ヵ月後の再戦はナポレスの楽勝。一方的にバッカスを打ちまくった前王者が8回TKO勝ちで王座復帰を果たしている。
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さて、新王者三浦選手。初防衛戦はチャンピオンカーニバルで1位木村章司(花形)選手の挑戦を受ける事になろう。ダウンを喫し、引き分けている木村選手との対戦は興味深い。
リベンジモードを歩む下田選手も、どんな道のりを歩むのか。来年はスーパークラスで”最強後楽園”日本タイトル挑戦者決定戦が行われる。瀬藤vs下田の再戦、ありそうですね。
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