チャンピオンメーカー・槍の笹崎 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

昭和16年5月、ピストン堀口(不二)選手との世紀の一戦に敗れた笹崎タケシ(日倶)選手は、戦争が終わった昭和21年7月リング復帰を果たす。対戦相手は、堀口選手。2度目の対戦は引分け。

11月、またしても堀口選手と相まみえた笹崎選手。この試合も引き分けたが、復帰後5ヶ月でこれが12戦目。堀口選手に至っては14戦目。凄い戦い振りです。

昭和22年5月、笹崎選手は初めて堀口選手に勝つ。しかし、翌年後半から笹崎選手のレコードには黒星が増え始める。これは、フェザー級から一気に日本ミドル級タイトルを獲得した堀口選手も同じで、二人は仲良くキャリアの下り坂を迎えた。


堀口選手からダウンを奪った笹崎選手。

昭和24年リングを去る笹崎選手の最後の勝利は、因縁の堀口選手から。ダウンを奪う圧勝だった。しかし10月、もう一人のライバル、ベビー・ゴステロ(比)に敗れ引退。指導者へと転向する。

昭和25年4月には、金子繁治(笹崎)選手がデビュー。28年12月には、東洋フェザー級の王座に就いた。この王座は、6度の防衛に成功。東洋無敵と言われる程の名選手に育った金子選手は、旺盛なファイティングスピリットを持つファイターだった。


左から、スタンレー・イトウ、笹崎会長、タッド・カワムラ、金子選手。


【金子繁治・”東洋無敵”人間怖くない、神様だけ怖い!】
【金子繁治・”東洋無敵”世界のチャンスは来ず!】

一方の堀口選手は、昭和25年10月、鉄道事故でその短い生涯を閉じた。その墓には、「拳闘こそ我が命」とある。

金子選手は世界王座挑戦のチャンスに恵まれず、昭和33年引退。入れ替わるようにデビューしたのが原田政彦選手。昭和35年、私の生まれた年だ。後、ファイティング原田を名乗る。ピストンとファイティング、実によく似かよる。


左から海津文雄、ムサシ中野、笹崎会長、ファイティング原田、牛若丸原田。


笹崎会長は、東洋の金子選手に継ぎ、世界王者原田選手他、多くのチャンピオンを創った。だが、そのほとんど全てがファイター・タイプ。槍と評されるようなストレート・パンチャーはいなかったように思う。

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初めてのスパーリングで、それまで見せたことも無い連打で相手選手を打ちまくり、笹崎会長を驚かせたという原田選手。デビューから5ヶ月、8戦を戦った所で内弟子として、家族と共に自分の手元に置く事を決意した笹崎会長。

きっと原田選手に、ピストンの影を見たのだろう。原田選手もまた、ボクシングの申し子だった。手数、スタミナ、打たれ強さ。初めてハワイへ渡った堀口選手のボクシングは、技術的には全く理解されなかったという。しかし、勝負には勝った。

ピストンの系譜。今の日本ボクシング界にもそれは生きている。 - 続 く -

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