「どうも、ありがとうございました」と、湯場選手の控え室へ挨拶に出向いた好漢あきべぇ選手は、報道陣が去った控え室で一人泣いた。
「ああいう事ができるいい子なんだよ、あきべぇは」
「1年後くらいには、雪辱する気持ちでやってほしいねぇ」
ボクシング「牛若丸」が亀田「弁慶」に教えたコト(J-CASTニュース)
スポーツマンの心を、みのもんた氏が、”朝ズバッ!”で取り上げてくれました。
さて、あきべぇ選手。初のKO負け、しかも担架で運ばれた。だが、案ずる事はない。あの輪島功一選手も同じ目に、いや、もっとひどい目にあっている。

1968年6月のデビュー以来7連続KO勝ち。同門対決を制し、全日本ウェルター級新人王獲得。69年9月4日、12戦目で日本Sウェルター級王座を獲得した輪島選手は12戦全勝11KO。脅威の新人と言われた。
その余勢を駆って組まれたのが、時のWBC世界Sライト級王者ペドロ・アディグ(比)とのノンタイトル戦。三迫会長、自信満々、強気のマッチメークだった。
「輪島のパンチが当たればKO勝ちさ」
1969年10月30日後楽園ホール。満員の観衆が見たものは・・・。

わずか141秒、たった一発のパンチでリングに横たわり、ピクリとも動かない脅威の新人の姿だった。
「やっぱり無理だと思ったよ」

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68年12月、”黒い恐怖”アドルフ・プリット(米)との王座決定戦に判定勝ち、世界のベルトを手にしたアディグ。だが2ヵ月後、ハワイでのリマッチ(ノンタイトル戦)は5回KO負け。8ヶ月ぶりの再起戦だった世界王者。
もしかしたらの雰囲気があってもおかしくない。しかし、現実は厳しかった。
「ラッキーパンチよ」(~~)
アディグは翌年1月ローマへ飛び、ブルーノ・アルカリにその座を追われた。
輪島選手は、救急車で慈恵医大病院に運ばれながらも、12月18日には日本王座初防衛戦に挑む元気ぶり。タートル岡部選手を7回KOに下し、再起に成功した。
好事魔多し。2ヶ月もおかず行った2度目の防衛戦では、”足長おじさん”ジョージ・カーターの前に判定負け。またもや、終わったなと言われたものだ。
しかし、2ヵ月後の再戦を2-1、ぎりぎりで勝利すると世界王座まで一気に駆け上がった輪島選手。
”好漢”あきべぇ選手、たくましく成長していってほしいものです。
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