気の毒に思ったWBCスライマン会長は、「代わりの選手がいればチャンスをあげよう」と約束してくれたが、当時のGツダジムには代わりなどいない。
奇しくも赤井英和選手引退と同時期にジムへ入門して来た井岡弘樹選手が、この代わりの選手を務める事になり、チャンスが回って来た。
1987年8月、WBCにミニマム級が創設された。そしてそのランキング2位には井岡弘樹の名前が。
86年1月、17才の誕生日を待ってデビューを果たした井岡選手は、87年7月には小野健治(トクホン真闘)選手を文句ない判定で降し、日本王座を獲得していた。8戦全勝5KO。
王座決定戦は10月18日大阪・近大記念体育館と決まった。この時、日本に世界王者はいない。
当初予想されていたOPBF王者サムット・シスナルポン(タイ)は出場せず、対戦相手はマイ・トンブリーファーム(タイ)に決定。
これは、「タイ側の一方的都合によるもの」(津田会長)
タイ側でもチャンスに賭ける駆け引きが行なわれていた。WBCに強い発言力を持つ、ソムポップ氏(チタラダジム・オーナー)が推したトンブリーファーム。ムエタイで豊富なキャリアを誇り、国際式では18勝(4KO)1敗の26才。
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世界戦を前に、ハワイキャンプも行なった井岡選手。
「会長にお世辞言う時間、ありません」
エディ・タウンゼントトレーナーは、ジム2階の同じ部屋に住み、井岡選手をゼロから育て上げた。
津田会長も、入門して来たばかりの井岡少年を「絶対、世界チャンピオンなりますから」と紹介している。
赤井英和選手の引退式も同時に行なわれたリング。先輩の挫折で回って来たチャンス。赤井選手に憧れてこの世界に入って来た井岡選手である。
この時、エディさんの体は既にガンに侵されていた。当時のドキュメンタリー番組を見ると、井岡選手の早足の入場に付いていけないエディさんが見て取れる。
「エディさん、はよ呼んで来て」
大舞台を前に冷静沈着な18才。
試合は文句ない大差で井岡選手が勝った。18才9ヶ月と10日。日本人最年少世界王者の誕生。
「監督、エディさんもね」
皆さん、ありがとうございます。- 感謝 -
津田会長らに肩車された新チャンピオンは、リング上でガッチリと恩師と握手を交わす。タウンゼント氏の奥さん、二人の娘さんは泣いた。
「多分、これが最後のリング・・・」
井岡選手も知っていたのだろうか。
「選手勝ったら、会長が抱くの」
これまでの世界戦リングでは、選手が勝てば控えめなトレーナーだったエディさん。
井岡選手に最年少王者の称号を与えた名トレーナは、その執念で翌年1月31日の初防衛戦の控え室にいた。
しかし、試合を見届けることなく会場を離れる事になる。それが最後だった。
「井岡、あんた天狗になったらフィニッシュよ!」
”最年少世界王者”。
これは、勝ち続けるマイ・ボーイを戒め、共に夢を追い続けた老トレーナーの記録でもある。
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