喜友名朝博(きゅうな ともひろ)沖縄出身、コザ高校時代7勝6敗というパッとしない成績を残し81年11月プロデビュー。翌年の新人王予選では、後の日本王者で世界挑戦も経験する倉持 正 (角海老宝石)選手に準決勝で敗れ、早くも挫折を経験している。
82年協栄ジムには渡嘉勝男選手がWBA世界L・フライ級王者として君臨。世界1位・亀田昭雄選手、日本王者・安里義光選手の他にも、ホープが目白押しで、喜友名選手に目を向けるトレーナーはいなかった。
大竹マネジャーが喜友名選手とコンビを組んだのは、初めての敗北を喫した後のように記憶する。83年から快進撃が始まる。この年は2勝、しかし右拳を痛め8ヶ月のブランクを作る。だがこの間、左を徹底的に磨いた事が将来の喜友名選手の財産となる。「辛抱強く練習続けて、特に左パンチを徹底的に練習できた事が大きいと思います」
バイト先も大竹マネジャーから”肉の万世 ”を紹介された。時給も良いし、メシも美味い。渡嘉敷選手は世界王座獲得後”名誉社員”にもなった。大竹門下の出世コースだった”肉の万世”でのバイトだが、中には逃げ出す選手も。写真は、先輩・渡嘉敷勝男選手と喜友名選手。
”恥ずかしながら”戻って来たのは小口雅文選手。良く許されたと、それだけは感心。(~~)最近有名な”カツラ”ボクサーと間違われます。「小口君てカツラだったんですか」(~~)この件、面倒な説明はしない事にしている。(~~)作新学院の先輩であるらしいです。
とにかく”万世”のハンバーグは美味しい。協栄ジムの選手、計量後はいつもこれです(もちろんジム持ち)。10回戦になると好きな物食べる事ができますが、坂田選手は”ジャンボ・ハンバーグ ”一筋。亀田興毅選手もお気に入りのようです。
84年も3連勝して12月に迎えたのが、レパード玉熊(国際)選手との試合。玉熊選手8勝(1KO)1敗、喜友名選手10勝(4KO)1敗のホープ対決。アマ実績は玉熊選手が断然上回る。「L・フライならいいですよ」大竹マネジャー。
後の世界王者を10回KOで下したこの試合から、喜友名選手は一気に出世街道を走り出した。「あの試合が、最初のターニングポイントだった」大竹マネジャー。
85年8月、8連勝、4連続KOで挑んだのが野島嘉章(P堀口)選手の持つ日本L・フライ級王座。渡嘉敷選手と同じ年新人王戦に出場していた野島選手。大竹マネジャーが語っていたのを思い出す。「あの選手は、強くなるよ」
野島選手に競り勝ち、日本王座と共に世界ランキングも奪った喜友名選手。5ヵ月後のリターンマッチでも野島選手を退け、いよいよ世界が見えてきた。「まじめで、真剣な姿勢には感心させられます」大竹マネジャー。
「人がやるんじゃない。自分がやるんだからね。やらされるんじゃなくやるもの」先輩王者・具志堅用高選手の練習に対する考え方です。アイツも、コイツもよ~くこの言葉の意味考えてほしいなぁ。(~~)
写真は大竹マネジャーとのミット打ち。この時20代の大竹氏、当然ながら若い。(~~)「いや~、またやせちゃったよシャイアン。血圧130しかないし、病気かなぁ俺」「何言ってんだよ~。全然健康すぎだよ」「会長になると、好きなもん何でも食べれていいねぇ。俺なんか野菜しか食えないよ」(~~)肉派のシャイアン山本会長 であります。
柳 明佑(韓国)の持つWBA世界L・フライ級王座挑戦が決まった喜友名選手。ハワイキャンプも行い、準備万端、韓国へ乗り込みます。 -続く-
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-合宿所はこんな感じです- 佐々木基樹は帰ってくるのであろうか?
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