地位が人を育てる。渡嘉敷選手、強豪ルペ・マデラ(メキシコ)との初防衛戦に勝ち、次に迎えた相手は全日本新人王の先輩、伊波政春(カワイ)選手。82年7月7日、”七夕決戦”と銘打たれた蔵前国技館でのこの試合は、沖縄人同士の戦い。
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予想は互角。自信では挑戦者に軍配と書かれています。一進一退の攻防のまま迎えた8回、渡嘉敷選手の放った”右アッパー”一発。このパンチが、全てを決めました。
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よく立って来た伊波選手でしたが、足元はおぼつかずアッというまに2度のダウンを追加され、2分35秒渡嘉敷選手のKO勝。この右アッパー、渡嘉敷選手のボクシング生涯の中でも最高のパンチ。
非力と言われている渡嘉敷選手・15勝(2KO)1敗1分ですが、パンチはあった。が、力んでしまうので生かせなかったように思います。この頃は1年前と比べると格段に進歩してました。
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「世界戦で自分の実力を10とすれば、3つ出せれば十分よ。残りの7はハートだよ」具志堅用高選手の言葉ですが、最近も世界戦のリングでハートが弱く、力を出せずに敗れ去るケース多いですね。もっとも、普通の試合でも同じですけどボクシングは・・・。
伊波選手、新人王の先輩として自信満々でした。18勝(4KO)1敗。渡嘉敷選手、初防衛戦での勝利を酷評されていた事もあり、「ボクはこの試合に賭けていた」そして「アドバイス通りに動けた」
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ほんの一重の”ハートの差”だったと思います。真正面からの激突、それは激しい攻防戦でした。伊波選手はこの試合で全てを使い果たしてしまったかのように、続くWBCタイトル挑戦でもKO負け。一気に下降線を辿りました。
後年、ハワイのディスコで偶然伊波さんと遭遇する機会がありました。とってもいい人でした。
渡嘉敷選手、KO防衛はこの試合1度きりで、以後3ヶ月に1度のペースで15回戦を戦い続けます。たとえ歯を折られようとも(金成南戦)ローテーションは崩さずに。これは凄い事です。
歯を折られた金戦では「こんな痛い目に合わされて、負けてたまるかこのヤロー」と思ったそうですが、次の日行った歯医者さんでは痛くて泣いちゃったそうです。(~~)
宿敵となったルペ・マデラに、不運な王座明け渡しをするまで5度の防衛に成功。”カンムリワシ”にちなんで”ヤンバルクイナ”とキャッチフレーズも付きました。
不運な王座明け渡し。日本のリングで一度出された判定が覆された世界戦はこの試合だけではないかなぁ。とにかく揉めました。ドサクサでチャンピオンベルトも盗まれたくらいですから・・・。
続く・・・。