記録より記憶に残る名選手
藤波さんは、こんなすごい選手と闘って来た!
藤波選手の国内対戦選手全部紹介!(対戦相手データベース)2023.12.29更新
※藤波さんの対戦相手選手の紹介を目的に「パンフレット」「ブログ」「雑誌記事」等から写真をお借りして掲載しています。問題があれば、すぐに削除します。よろしくお願いいたします。
RSD
※2007年までは、コメントをつけてゆくのを原則にしています。
※2008年以降は、特別な選手に限ってコメントをつけています。
●2006●
※東京ドームでの藤波軍と長州軍の対決でした。西村選手が「まあ下品というか」というような落ち着かない試合でした。 宇和野選手はIWAジャパンから長州のWJに移籍、さらにリキプロに所属して、長州と共にこの新日本に登場した選手。ヤングライオンの中に入って熱戦を繰り広げました。
※SPWFから夢ファク、大日本などいろいろな団体に所属したのち、新日本のリングに上がりました。なかなか勝利をつかめなかったが、ゼロワンで「テングカイザー」となって参戦。橋本とも組み、人気を得た。この試合では、まだまだその他大勢の感じでした。
※FMWから大日本に戦場をかえて、ストロングスタイルを貫くも、デスマッチも経験しました。後にビッグダディの元妻の美奈子と入籍するなど、引退してからも世間の注目を集めた。この試合では、やはりその他大勢でした。
※格闘技団体からゼロワンに参加して頭角を現して、「火祭り」でも優勝して、新日本との対抗戦にも出陣した。この後、多団体に参戦し、ノアにも参戦して存在感を高めた。この試合では、混乱の中、最後に長尾から見事な「原爆固め」でピン・フォールをおさめた。なお、佐藤選手は、このあとにも藤波さんともタッグで対戦しています。
※強靭な肉体を持つレスラーで、大日本で蛍光灯デスマッチなども勝ち抜く。いろいろな団体の対抗戦にも出撃し、DDTでは岡林と組んで活躍している。二人の連携で「眉山」なる技や、ぶっこぬきジャーマンなど、ジャーマンにこだわっている選手です。いまでも藤波さんと対戦したり、またドラデションにも参戦しています。最近では、あの葛西選手の暴挙(竹串攻撃)から藤波さんを守ってくれました、デモンストレーションの日本刀?は危ない感じがしますね。(笑)
※この試合が藤波の新日本プロレス所属での最後の試合(3471試合め)です。
「無我ワールド・プロレスリング」
※新生「無我ワールド・プロレスリング」の最初の興行での第一試合でした。この選手は、オーストラリアから来た「でかいけど、地味」という選手で、正直、藤波さんの団体を旗揚げしたお祝いに参戦したような選手。96年の「無我」でのタリープランチャード(よりは若いけど)同様、とにかく試合をしてくれて、成立させてくれてありがとう」という感じの選手でした。
※長井選手といえば、リングス所属のころの格闘技スタイル、キックを主体としたスタイル、全日本でタッグマッチの専門家となり、さらにまた、新日本での星野総裁に率いられての「魔界倶楽部」といろいろな引出しをもつ頼りになる選手です。無我ワールドからドラディションにも引き続き参加しつつ、多団体に出撃。思わず、生涯熱戦譜をつくったら面白いだろうなと編者RSD(私ですw)に思わせる選手(つくりませんけど) 藤波さんにもその功績を認められて、2021年「デビュー30周年記念大会」も行われました。藤波さんから「くそやろう」なる感想でお祝いされて、思わず「そりゃないっすよ、社長!」と答えました。 いろいろな団体の選手とタッグを組みますが、味方チームの中でも悪口を言い合って気合を入れ、気持ちを高める、という独特な手法?が秀逸ですね。
※ブラソスの3兄弟 長男 ブラソ・デ・オロ
次男 エル・ブラソ
三男 ブラソ・デ・プラタ
長男と三男は、1981年に来日して、藤波とも対戦していて、25年ぶりに三兄弟全員との対戦となりました。
※「無我」でデビューして、苦節10年、ついに藤波さんと対戦することになった。メキシコから全日本に帰ってきて、MAZDAで軍団(独立愚連隊)を結成。リングネームMAZADAとが多いけれど、無我では正田和彦で参戦。
●2007●
※アメリカのフロリダ州タンパ出身。2003年「WJ」に登場したと聞きましたが、よくわかりません。
※メキシコのルチャドール。日本にもCMLLジャパンに参戦。スペルデルフィンに勝利。無我ワールドでは、タッグタイトルマッチも行いました。パートナーはマイクセグラ。
※メキシコから闘龍門にはスペル・ノバで来日、無我ワールドにはマイク・スイシーダ・セグラで登場。ムエルテとタッグを組んだ。
※1996年の藤波さんの「無我」でデビュー。その後も多団体に出場。この「無我ワールド」に復帰して、藤波さんとの初対戦となりました。「くらしま太郎」というリングネームも使いましたが、すぐ戻しています。実は、「無我」の創成期にビリーライレージムへの遠征を望みながらも、若い竹村に遠征を譲ったというエピソードがあります。
2023年の今も藤波さんの「ドラディション」に参戦していて、長井やLEONAとタッグを組んでいます。セコンドとしても頼りにされています。実は、場外乱闘で逃げ遅れた私を守ってくれたり、乱れた椅子列を直し、私の観覧席を整備してくれたりして助かりました。ありがとう。倉島選手。RSD
※ユニバーサルの「モンンキマジック・ワキタ」から、みちのくプロレスを経て、大阪プロレスを旗揚げ。2003年にはアイドルの早坂好恵さんと結婚。(正式に発表する前に、デルフィンのファンが早坂さんに似てると週プロで話題になりましたね) この試合は「藤波さんの「国内3500試合」と銘打たれた特別試合で特製のマスクを使用してくれました。この後、沖縄プロレスなどを経て、現在も和泉市の市議会議員となって活躍しています。
※この試合は、「プロレス1年生(征矢)と36年生(藤波)」として紹介され話題になりました。今後の「無我ワールド」を背負って立つ若手の育成としてシングルが組まれたと認識しています。試合は、この日の大会の第一試合で行われて、藤波さんは2試合を行い(2度登場)ファンを喜ばせました。その後、全日本プロレスに参加し、以降も大いに活躍しています。
この試合の結果、藤波さんとのシングル戦成績で、藤波さんの1勝という記録が残りました。
「縁」というのは不思議なもので、もう交わることはないだろうと思われていた征矢選手でしたが、2023年の年末に藤波さんとタッグを組み、「師弟コンビ」として、ノアのリングに立ちました。藤波さんに気合を入れられながら、ドラゴンスクリューから、拳王に飛龍裸絞めを決めて勝利を奪いました。私は「幾星霜を経て、恩讐の彼方」タッグと思わず名付けてしまいました。
※大阪プロレスから、この無我ワールドに参戦。ボクシングにも転向したが、やはり大阪プロレスに復帰しました。全日本プロレスでも活躍しています。かっこいい選手です。
※ご存知、全日本プロレスの四天王のひとり。タイガーマスクで活躍していたが、天龍たちがSWSに転出したあと、素顔になって鶴田と対戦。90年5月4日、なんと藤波さんが全日本プロレスを観戦しているときに、マスクを脱いで三沢になりました。その日から15年後2005年の同じ5月4日、藤波・三沢の初めてのタッグチーム。新日本の藤波と全日本の匂いのする三沢のタッグ、試合後三沢の方から握手を藤波さんにもとめました。そして、、、これはもう語り尽くせません。。。上のこの試合は、はじめての対戦でした(そして、これが最後の対戦でもあります) 藤波さんは、ジャンボ鶴田や全日本の香りのする選手として対戦を語っていました。ノアの武道館大会で、タッグながらついに対戦となりました。
全日本時代の三沢(ポスターより)
※ノアの武道館大会で藤波さんと対戦。ノアの生え抜きで小橋の遺伝子を継ぐ若手として期待の星でした。。上の藤波組との対戦のあとも、ヘビー級の活躍で海外にも遠征、東京ドームでの棚橋との一騎打ち、真壁とのシングル、「オールトゲザー」興行でのメイン登場も話題となりました。さらに、全日本への移籍でファンの反応も複雑だったが、その後ノアに復帰し、活躍しました。ちょっと雑なひとことになっていますが、藤波さんとの対戦の頃にはすでに大物の片鱗を見せつけていました。「豪腕ラリアート」が得意技。
※馬場さんの全日本時代に期待された高木選手。決起軍にも入り天龍に向かっていきました。だが、やがて決起していないと解散させられ、まもなくSWSからWARに、「嵐」としての活躍もありました。また、全日本に復帰して新日の橋本真也や武藤とも対戦、しかしその後の低迷から、無我ワールドへの入団を直訴されたが、藤波さんからは「リングにも入れてもらえない」という状態からスタートするように指示をされ、懸命に努力、西村の応援もあって、ようやく試合に登場していた。無我ワールドに参加するにあたり、藤波さんのブログが炎上し、休止に追い込まれたのが記憶に残っています。
※新日本でデビューして、ジュニアを率いて活躍。大谷と共に、ゼロワンに移籍してからも安定した試合運びに定評があった。この時期に「無我ワールド」に参戦して、藤波さんとの初対戦。のちに「ブラックタイガー」にもなって、いろいろな団体に賛成している。藤波さんとのシングルはこの1戦のみで、藤波の1勝。
※IWAジャパンでデビュー、大日本の貴重なジュニア戦士だったが、新日本との対抗戦で唯一「すばらしい」と新日本ファンを唸らせた選手。アメリカでの活躍もあって、日本へ逆輸入。毒霧を吐き、やりたい放題のTAJIRIとなった。この「無我・ワールド」への参戦は、貴重な藤波さんとの対戦を残した。のちにWCNを立ち上げ、そこでは、藤波VSレザーフェイスという対戦を実現させている。現在は九州プロレスに所属。
※2007年までは、コメントをつけてゆくのを原則にしています。
※2008年以降は、特別な選手に限ってコメントをつけています。
●2008●
「ドラディション」
※以上の3選手について、調査中です。詳しいかた、コメントでお願いします。
藤波さんとのからみは、この1試合だけなんですね。
※この試合の「マッチョドラゴン」選手は、藤波さんの友人のマスクマン。ちなみに「ジャイアント嵐」は、高木功選手の変身らしい。
※怨霊・死神 まあ、凄いリングネームですねえ。「怨霊さ~ん」とか「死神選手」とか呼ばれるんでしょうか。。調査しています。
※声がかすれていて、何をしゃべっているのかがわかりにくいと評判な選手。天龍との対談をやったら面白いだろう。大日本プロレスで過激なデスマッチを繰り返して、特に「蛍光灯デスマッチ」を得意とした。全日本プロレスに行った後、新日本に参戦している。とにかく明るく前向きの意識はすばらしい。得意技のヘッドバッドに「こけし」と名付けて、山形県のアピールをしている(?)
※全日本のマットでいきいきとファイトしていますね。
※藤波さんが新日本プロレスの社長時代、ふたりの対談がありました。(「社長日記」) 最近のライガー相手のおしゃべりとは違って、緊張してましたね。精悍な好青年という感じでした(マスク越しですが) 他団体のチャンピオンになったり、話題に事欠かないです。
※FMWではあの大仁田の下で、その後もターザン後藤の下で、まあ、見るからに苦労して来た感じがありました。藤波さんとの対戦で、実力者であることがよくわかりました。
※エル・ブレイザー選手は、いろいろなリングネームを持っているようです。このマスクは名前の通り青い炎のイメージです。
※この佐山タイガーとは、新日本時代にエキシビションで対戦したことはあったが、ジュニアヘビー級を日本に定着・発展させた両雄の対戦は、これが初めてであった。しかも、お互いに超ヘビー級(笑)
藤波社長! つづいての 2009- に参りましょうぜ!
すでにリングスでも魔界倶楽部でもないな
2023.12.29